第15話 撫でる手
再会を果たした四人を包む温かさは、まだこの部屋に残っていた。
小さなお守りが、四つの手のあいだを、ゆっくりと巡っていく。
誰かが握り、隣へ手渡し、また次の手のひらへ。
その素朴な毛の感触が、四人を、順に、繋いでいくようだった。
「これ、ずっと持ってたんだ」
日焼けした活発な女性——シキータが、照れたように笑う。
「今になって、わかった。あの時握ってたのも、これだったんだなって」
お守りを受け取った、眼鏡をかけた知的な女性——アネッサが、その毛並みを、いとおしむように、なぞった。
そして、そっと、目元をぬぐう。
「あなたたちは、私を『アオ』と呼んでくれました。……ひとりで、誰とも親しくなろうとしなかった、閉じこもっていた私を、いつも、みんなが、やさしく、手を引いてくれた」
「アオは、ずっとひとりでいたもんね」
シキータが、くすっと笑う。
「でも、あたしが動物の話をすると、ちゃんと、聞いてくれたよね」
「……覚えて、いるんですね。そんなことまで」
アネッサの硬い頬が、ほんの少しだけ、ゆるんだ。
本を抱えた控えめな女性——ミュリエルが、小さく頷く。
「私は、いつも、みんなの隣にいました。……だから、あの時も、ちっとも、寂しくなかったんです」
その声は小さかったが、ひとことずつ、確かに、やさしかった。
装飾の多い衣装の、しなやかな女性——サリーシアが、三人を見渡して、目を細めた。
「私が、いちばん年上だったからね。あなたたちのこと、いつも見てた。……怖がってる時は、踊って、笑わせようとしたっけ」
「ああ、それ、覚えてる!」
シキータが、ぱっと顔を輝かせた。
「アリ姉さんが、変な踊りして。あたしたち、つられて笑ったんだ。怖いの、どっか行っちゃって」
「そうですね。あの変な踊りには、なぜか笑ってしまう力が、ありました」
アネッサが、笑顔で続いた。
「変な、とは失礼だね」
サリーシアが、おかしそうに、肩をすくめる。
「でもね。ほんとうは、私だって、怖かったんだよ。だから、あなたたちが笑ってくれると、私のほうこそ、ほっと、できたんだ」
「……そうだったんですか」
ミュリエルが、目を、丸くする。
「ずっと、平気な顔をしているんだと、思っていました」
「年上は、つらいんだよ。みんなの前では、泣けないからね」
サリーシアが、おどけて言うと、四人は、また、小さく笑った。
「でも——そう。あの時も、笑えてたんだね。こんな場所でも。みんなが、いてくれたから」
アネッサが、眼鏡の奥の目を、細めた。
「ふしぎですね。怖かったはずの記憶なのに……思い出すと、あたたかい」
「ねえ、もう一回、やろうよ」
シキータが、お守りを、輪の真ん中へ、差し出した。
「あの時みたいに。順番に、握って。……だいじょうぶ、って」
四人の手が、ひとつずつ、その小さなお守りの上に、重ねられた。
あたたかい手のひらが、重なって、ひとつになる。
二十年前と、おなじように。
「……うん。だいじょうぶ」
誰かが、そっと、呟いた。
もう、誰の声なのかも、わからなかった。
四人の声が、ひとつに、溶けていたから。
四人は、それぞれに、まるで違う暮らしを生きてきた。
遠く離れ、互いの存在さえ忘れたまま、二十年。
それでも、こうして同じ部屋に集まれば、そして、記憶を取り戻せば、すぐに、あの頃の顔へ戻ってしまう。
まるで、離れていた時間など、なかったかのように。
ミュリエルは、何も言わず、ただ、お守りを両手で包んでいた。
その横顔が、やわらかく、ほどけている。
四人のあいだに流れる時間は、もう、見知らぬ者どうしのものではなかった。
四人は、顔を見合わせて、笑った。
その笑みの端に、涙が滲んでいた。
誰かが泣けば、誰かが肩を寄せ、誰かが笑えば、つられてまた笑う。
二十年前、この部屋で身を寄せ合った時間が、そのまま、また戻ってきたかのようだった。
その昂りが、こぼれたのだろうか。
サリーシアの唇から、ふいに、短い口笛が漏れた。
ふぃ、ふぃ——と、しなやかな旋律が、ひとふし。
本人も気付かないような、ささやかな音だった。
誰も、気に留めなかった。
それが、この穏やかな時間の、自然な一部であるかのように。
その光景を、少し離れて見ていた二人がいた。
学究的な雰囲気の、若い女性——ユーニア。
そして、白い装束を纏った、清浄な雰囲気の女性——ナリア。
二人は、さきほどから、ひとことも話していなかった。
ただ、目の前の再会を、じっと、見つめている。
誰かの名を呼び、誰かに名を呼ばれる——その光景が、まぶしくて、たまらないというように。
二人の胸にも、きっと、おなじ思いが、あったのだろう。
あんなふうに、自分にも、呼び合える誰かが、いたのだろうか、と。
けれど、いくら記憶を探しても、その相手の顔は、浮かんでこない。
二人の目に、見る間に、涙が盛り上がっていく。
「……素敵、ですね」
ユーニアの声が、揺れた。
「皆さんの絆が……あんまり、温かくて」
言いながら、ユーニアの手が、無意識に、自分のポケットの上を、そっと押さえた。
何かを、確かめるように。
けれど、本人は、その仕草に、気づいてもいないようだった。
ナリアも、こくりと頷く。
こらえようとして、こらえきれず、二人の頬を、涙が伝った。
——自分たちも、どこかで、誰かと繋がっていたのだろうか。
その淡い期待と、まだ何も思い出せない心細さが、入り混じった涙だった。
その時だった。
品のある、落ち着いた装いの女性——リオナが、ごく自然に、二人へ、後ろから手を伸ばした。
右手で、ユーニアの頭を。
左手で、ナリアの頭を。
ゆっくりと、包み込むように、撫でる。
「……大丈夫、大丈夫」
仲居らしい、柔らかな声だった。
年長者の、慣れた手つき。
まるで、何度もそうしてきたかのように。
その手が——ふと、止まった。
「……あれ」
リオナが、自分の手のひらを、不思議そうに見つめる。
「私……昔も、こうやって、誰かの頭を、撫でた気がする」
声が、記憶の底を探るように、低くなっていく。
「怖くて、震えてる、二人を。……このちっちゃな頭を、撫でて。だいじょうぶ、だいじょうぶ、って」
リオナの目が、潤んでいった。
「広い、部屋だった。冷たい、石の床。何かが始まるのを、待っていて。私も、ほんとうは、怖かった。……でも、私が、いちばん上だったから。この子たちだけは、守らなきゃって」
その時の、小さな二つのぬくもりが、よみがえる。
左右から、ぴったりと身を寄せてきた、二人の重み。
怖い、と口にはしないまま、ただ、私のそばを、離れなかった。
その小さな重みだけは、二十年の時を越えても、私の左右に、残っていた。
頭の記憶より先に、この手のひらが、それを覚えていたのだ。
撫でるたびに、その重みが、すこしずつ、確かに、なっていく。
その指先は、いまも、二人の髪を、そっと撫でている。
遠い日の仕草を、なぞり直すように。
「……頭を撫でていると、二人とも、涙を堪えて、ちょっとだけ、笑ってくれた」
遠い記憶の底から、ひとつ、またひとつと、像が立ちのぼってくる。
言葉が、ひとつずつ、ほどけていく。
「それにつられて、私も、笑顔になったんだ……」
そして——その記憶の、いちばん柔らかいところで。
リオナの口から、二つの呼び名が、こぼれ落ちた。
「……ユナ。ナル」
自分でも、驚いたように。
リオナが、もう一度、繰り返す。
「ユナ、ナル。そう、呼んでた。私、この子たちを」
その瞬間だった。
ユーニアと、ナリアの肩が、同時に、びくりと震えた。
二人は弾かれたように振り返り、見開いた目が、まっすぐ、リオナを、捉える。
そして——どちらからともなく、ほとんど同時に。
二人の唇から、おなじ呼び名が、こぼれた。
「「……ナーねえね?」」
その呼び名だけが、三人のあいだに、行き場なく、残された。
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