第14話 お守り
「ひとつの再会が、また、次の再会を呼ぶ」
—— 連鎖する記憶
フィオラとエルシェの——姉妹の再会の余韻が、まだ部屋に、残っていた。
繋いだままの二人の手を、誰もが、どこか眩しそうに、見つめている。
そしてその眼差しの奥で、めいめいが、同じ問いを、胸に転がし始めていた。
——私にも、誰か、いるのだろうか。
自分の記憶の底を、そっと手探りするような、静かな時間が、流れた。
その静けさを破ったのは、日焼けした活発な女性——シキータだった。
「……あたしにも、あるかも」
ぽつりとそう言って、ポケットから、何かを取り出した。
それは、手のひらにのるほどの、小さなお守り。
毛で編まれた、ふわふわとした、素朴なものだった。
「これ」
シキータが、それを皆に向けて、そっと掲げる。
「記憶をなくす前から、ずっと持ってた。あたしの、たったひとつの、思い出の品なんだ」
いつもの勢いを、少しだけ抑えた、低い声だった。
「物心ついた時には、もう、手の中にあった。誰にもらったのかも、わからない。それでも……肌身離さず、大事にしてきたんだ」
やわらかな毛の束を、シキータの指が、いとおしむように、撫でる。
——記憶をなくす前から。
その言葉に、クイナは、わずかに、眉を寄せた。
シキータは、お守りを、両手で包み込んだ。
まるで祈るように、ぎゅっと、握りしめて、目を閉じる。
失くした何かを、その温もりから、懸命に、手繰り寄せようとしていた。
「……あ」
閉じた瞼の奥で、ひとつの情景が、像を結んだらしかった。
シキータの肩が、小さく、跳ねる。
「思い出した……あたし、ここにいた」
見開いた瞳が、遠い一点を、見つめている。
「この部屋。冷たくて、広い床。……あたしの、すぐ隣に、何人か、いたんだ。あたしと、同じくらいの年の子が」
言葉が、ひとつずつ、こぼれ落ちていく。
「みんな、不安で、たまらなくて。何かを、待っていて。……でも、ひとりじゃ、なかった。このお守りを握って、『だいじょうぶ、だいじょうぶ』って、小さな声で、励まし合ってた。順番に握らせ合って、勇気を、分けっこするみたいに」
いつもは全開のはずの明るさが、今は、薄い膜の向こうに、あるようだった。
シキータの指が、お守りの毛並みを、何度も、何度もなぞる。
あの日、いくつもの小さな手が、順に触れていった、その名残を、たどるように。
その頬が、見る間に、紅潮していく。
記憶の熱が、そのまま、肌に移ったかのように。
そして——感極まったように、シキータの口から、三つの呼び名が、こぼれ落ちた。
「アオ……ミユ……アリ姉さん……」
自分でも、気付かぬうちに、唇からすべり出た、子供の頃の呼び方。
その瞬間だった。
三人が、同時に、息を呑んだ。
まず、眼鏡をかけた知的な女性——アネッサが、はっと、顔を上げた。
「アオ……」
その声が、震えていた。
「その呼び方……知っています。私、『アオ』と、呼ばれていました。思い出しました……」
すでに一度、子供の頃の自分を取り戻していた彼女の記憶が、その一言で、さらに奥へと、進んだ。
「どうしてそんな呼び方になったのかは、自分でも、思い出せません。でも、確かに、みんな、私をそう呼んでいました。硬くて、生真面目だった私を、その名前で、いつも、和ませてくれて」
次に、本を抱えた控えめな女性——ミュリエルが、細い声を、漏らした。
「私も、思い出しました。ミユ……私のことを、そう呼んだ子が、いました」
普段は訥々とした口調が、記憶をたぐる時だけ、不思議と、滑らかになる。
「私は、いつも、みんなの隣にいて。静かに、何かを抱えて、座っていました。それでも、寂しくなかった。隣に、みんながいてくれたから」
そして、装飾の多い衣装の、しなやかな女性——サリーシアが、ゆっくりと、目を細めた。
「アリ姉さん、か。……懐かしいね……なんで忘れていたんだろう」
余裕のある姉御肌の声が、ほんの少し、潤んでいる。
「サリーシアだから、アリ姉さん。私が、一番、年上だった。だから、この子たちを見ていてあげなきゃって——そう、思っていた気がする」
四人が、互いの顔を、見合わせた。
ばらばらに、途切れていた記憶の糸が、四本、寄り集まって、ひとつの結び目を、つくっていく。
「あたしたち……同じ部屋に、いたんだ」
「励まし合って、いたんですね」
「ええ。……きっと、私たちは」
誰からともなく、その言葉が、口をついて、出た。
「——同じ孤児院の、出身だったのね」
四人の顔に、じわりと、笑みが広がっていく。
フィオラとエルシェの再会とは、また、違う温度だった。
二人ではなく、四人。
同じ場所で、肩を寄せ合って育った仲間が、二十年の時を越えて、また、ひとつの輪に、戻っていく。
シキータが、握っていたお守りを、そっと、三人の真ん中へ差し出した。
「これ……みんなも、触ってみて。あの時も、こうやって、回したんだ」
アネッサが、おそるおそる、その毛並みに、指を触れた。
「……ああ、この感触。指の先が、ちゃんと、覚えています」
ミュリエルも、そっと、手を伸ばす。
「あたたかい。……あの頃の、手のひらの温度が、よみがえるみたいです」
最後に、サリーシアが、三人の手を、上からまとめて、包み込んだ。
「……私たち四人、ひとりも欠けずに、また巡り会えたんだね」
四つの手が、そのお守りの上で、そっと、重なり合う。
失った二十年を、その温もりで、確かめ合うように。
その光景に、見ていた者たちの胸も、温かく、満たされていった。
エルシェが、目元を、そっと押さえる。
「素敵……本当に、素敵」
シエラが、静かに、頷いた。
「ひとつの再会が、また、次の再会を呼ぶ。……やはり、運命なのね」
その傍らで、リオナが、そっと、胸に、手を当てた。
「私たちも、もしかして……」
その目が、ゆっくりと、部屋の中を巡っていく。
まだ繋がっていない、誰かの面影を、探すように。
その一方で、輪の和やかさから、そっと身を引いて、壁際に立つ者も、いた。
芯のある、静かな雰囲気の女性——モアだった。
名を呼び合える者たちを、まぶしいものでも見るように、ただ、黙って見つめている。
その横顔に、羨望とも、心細さともつかない、淡い影が、差していた。
そして——その賑わいの中に、ピッパも、ごく自然に、混じっていた。
「よかった。……ほんとうに、よかったわね」
誰かが涙ぐめば、同じように目を細め、誰かが笑えば、同じように、微笑んで。
その場の空気に、過不足なく、寄り添いながら。
クイナは、いつものように、輪の少し外から、その一部始終を、見つめていた。
ひとつも、逃すまいと、目に映るすべてを、記憶の底へ、沈めていく。
——ふたつ目だ。
フィオラとエルシェ。
そして、シキータ、アネッサ、ミュリエル、サリーシア。
ひとつ目の絆が、二人。
ふたつ目の絆が、四人。
どちらも、同じ場所で育った者どうしが、互いの名を呼び合うことで、記憶を、手繰り寄せている。
——繋がりには、単位が、あるのだ。
ばらばらの十七人では、ない。
いくつかの、小さな組。
その組が、この部屋の中で、ひとつ、またひとつと、輪郭を取り戻し始めている。
遠い昔。
いくつもの違う場所から、子供たちが、この一室へ、集められたのではないか。
そう考えれば、ばらばらだったはずの者たちが、ここで繋がり直していく不思議にも、ひとつの説明が、つく。
それに、とクイナは、もう一度、シキータのお守りに、目をやった。
記憶をなくす前から、持っていた、という言葉。
——ならば、あれは。
失われた「記憶」へ続く、数少ない手がかりの、ひとつかもしれない。
四人は、お守りを囲んで、なお、語り合っていた。
失われた歳月を、少しずつ、埋め合わせるように。
その姿を、ほかの者たちが、羨望と、期待の入り混じった目で、見守っている。
——次は、私かもしれない。
二人が、四人になった。
ならば、まだ繋がらぬ者たちにも、きっと、それぞれの相手が、どこかに、いる。
その予感が、出口のない部屋に、ささやかな熱を、灯し始めていた。
そして、いつものように。
——私の手の中には、何もない。
握りしめるお守りも、呼び合う名前も、肩を寄せる相手も。
四人が分かち合うその温もりの、どこにも、自分の居場所は、なかった。
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