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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第二部

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第13話 再会

「……フィー姉ちゃん」

—— 愛称の絆

 しばらく、誰も、口を開かなかった。

 三つの記憶が——壁と、リズムと、古い一文字が——重く、場に横たわっていた。

 その沈黙をほどくように、エルシェが口を開いた。


「……ねえ。ちょっと、整理させて」


 よく通る声が、淀んだ空気を、やわらかく押し返していく。


「アネッサさんは、あの壁の文字を。フィオラさんは、あのリズムを。リノさんは、あの『光』の字を。三人とも、子供の頃、ここにいた——そう、思い出した。そうよね?」


 誰かが、こくり、と頷いた。


「三人も、よ。……だったら」


 エルシェの声が、ふと、低くなる。


「私たちも、なのかもしれない。本当は、みんな、この場所を、知っているのかも。ただ——思い出せて、いないだけで」


 その言葉は、静かに、けれど、確かに、皆の胸に落ちた。

 偶然、集められたわけでは、ないのかもしれない。

 自分たちは、どこかで、繋がっている。

 その予感が——うっすらと、形を持ち始めていた。


 重くなりかけた空気を、けれど、エルシェは、ふっと笑って押し返した。


「でも。もしも、よ。もしも、こんな小さな頃に、私たち、ここで、出会っていたんだとしたら」


 その横顔に、舞台の上のような明るさが戻る。


「それって、すてきな、再会じゃない。怖いことばかり、考えなくても、いいのかもね」


 張りつめていた何人かの肩から、すっと力が抜けた。

 どんな暗がりも、光の当たる場所に、変えてしまう。

 それが、根っからの、舞台人の、温かさだった。


 不思議な人だ、と、クイナは思った。

 出口のない部屋で、これだけのことが、起きて。

 それでも、この人は——闇のほうではなく、光のほうを、見ようとする。

 その強さに、強張っていた何人かの顔が、ほどけていくのがわかった。


 その嬉しさが、こぼれたのだろうか。

 エルシェの唇から、自分でも気付かぬうちに、小さな鼻歌が漏れ始めた。

 ふ、ふん……ふ、ふん、と。

 歌劇の舞台で鍛えた、澄んだ声が、低く、心地よく、揺れる。


 鼻歌を、口ずさみながら。

 エルシェの視線が、何気なく、部屋を巡って——

 そして、ふと、ひとりの背中で、止まった。

 楽器を背負った、フィオラの、後ろ姿。

 その、肩の、線。

 背の、丸み。

 ただの見知らぬ背中の、はずなのに——その輪郭が、なぜか、胸のずっと奥を、そっと撫でた。


「……あ」


 エルシェの鼻歌が、止まった。

 大きく見開かれた目が、その背中に釘付けになる。


「この背中……知ってる」


 声が、震えた。


「子供の頃……不安で、たまらなかった時。私の前に、いつも、この背中が、あった。守るみたいに。……この、背中の影に、隠れていれば、大丈夫だって、思えたの」


 エルシェの手が、自分の胸を押さえた。


「年上の、誰か。私の、すぐ隣で。指で、とん、とん、とん、って——リズムを、刻んでくれた。私は、それに、合わせて……鼻歌を、歌っていた。そう、さっきの、これを」


 エルシェの声が、潤んでいく。


「不思議、なの。こんなに、怖い場所だったはずなのに。あの、背中の、すぐそばだけは——温かかった。私、ひとりじゃ、なかった。あの人が、いてくれたら、なんにも、怖くなかった。……どうして、こんな大切なことを、忘れて、いられたんだろう……」


 ひとつ、ひとつ、言葉が、あふれていく。

 止められない、感情の、波のように。

 そして——その波の、いちばん高いところで。

 エルシェの口から、ひとつの呼び名が、こぼれ落ちた。


「……フィー姉ちゃん」


 自分でも、驚いたように。

 エルシェが、その言葉を、繰り返す。


「フィー姉ちゃん……私、そう、呼んでた」


 その瞬間だった。

 フィオラの体が、びくり、と跳ねた。

 振り向いた顔が、くしゃりと歪んだ。


「……フィー姉ちゃん」


 フィオラが、呆然と繰り返す。


「そうだ。私……『フィー姉ちゃん』って、呼ばれてた。私のリズムに、鼻歌を合わせて——私の後ろを、ついて回る、小さな子が、いた」


 フィオラの目が、まっすぐエルシェを捉えた。

 その瞳が、見る間に、潤んでいく。


「エルシェ。……あなた、だったの」


 二人の間の、思い出せもしなかった、長い長い空白が、その一言で、音もなく、埋まっていく。


「私、あなたを……守ってた……ちっちゃな、妹みたいに」


 フィオラの声も、もう、震えていた。

 なんでも笑い飛ばす、いつものさばさばは、どこにも、なかった。


「思い出したよ。あなたの、小さな手。私の、服の裾を、ぎゅって、握って、離さなかった」


 エルシェは、答える代わりに——ただ、何度も、何度も頷いた。

 その頬を、涙が伝っていた。


 どちらからともなく、二人は、距離を詰めた。

 姉が、妹を。

 妹が、姉を。

 思い出せなかった、長い長い時間を、埋めるように、固く抱き合った。

 ふたつの影が、ひとつに重なる。

 その姿に、見ている者の胸まで、じんと熱くなった。


 部屋の、あちこちから、声が、上がった。


「すごい……! 二人の記憶が、繋がった!」


 シキータが、興奮を抑えきれずに叫ぶ。


「ねえ、それって——あたしも、誰かと、繋がってるのかな!?」


 シエラが、目を細めた。


「……ひとつの記憶が、もうひとつの記憶を、呼ぶ。これは、運命の符号かも、しれないわね」


 アネッサも、頬を紅潮させていた。


「記憶が、連鎖した……興味深い。一人では、辿り着けなかった先に、二人なら、届く」


 コルテは、両手を胸の前で組み、そっと目を閉じていた。

 まるで、その再会を、祈り、祝福するかのように。

 モアは、何も言わず、ただ、自分の胸のあたりを握りしめていた。

 羨ましさと、心細さの、入り混じった、横顔で。


 その輪の中で、ピッパも、静かに頷いていた。


「そうね。……ほんとうに、よかったわね」


 誰かの言葉に、ひとつ、ひとつ、そっと、寄り添うように。


 クイナは、少し離れて、その光景を見つめていた。

 目を細め、その一部始終を、記憶の底に畳み込んでいく。


 ——繋がった。

 ひとりの記憶が、もうひとりの存在を、鍵にして。

 アネッサも、フィオラも、リノも、ひとりでは、記憶の入り口の扉で、止まっていた。

 けれど、エルシェが「フィー姉ちゃん」と呼んだ瞬間、フィオラの記憶は、その先へ、進んだ。

 ——記憶は、ひとりでは、先に進めない。

 誰かと、誰かが、揃って、はじめて、鍵が回る。

 扉が、開く。

 ばらばらの、断片。

 それが、人と人との間で、噛み合った時にだけ、ひとつの鍵に、なる。

 ——だとすれば。

 この十七人は、もともと、ひとつの何かを、ばらばらに、千切られて、ここへ、撒かれたのではないか。

 いつか、どこかで。

 誰かの、手で。


 やがて、二人は、そっと身を離した。

 けれど、繋いだ手だけは、まだ、ほどこうとしなかった。

 失くしたはずの、姉妹の時間を、確かめ合うように。

 その姿に、ほかの誰の目にも、おなじ問いが灯りはじめていた。

 ——もしかしたら、私にも。

 この中に、手を、取り合える、誰かが、いるのかもしれない。


 ひとつの再会が、小さな希望と——そして、ひとつの問いを残した。

 私は、いったい、誰と、ここに、いたのだろう。


 そして、いつものように——私は、その輪の中にいない。

 繋がる相手も、呼ぶ名前も、呼ばれる名前も、ない。

 目の前の再会を、ただ、ガラス越しのように、外から見ているだけ。


 そんな冷めた心で、クイナは思った。

 フィオラの隣には、たしか、二人、いたはずだ。

 リズムに、鼻歌を合わせた子——それは、エルシェだとわかった。

 でも、もう一人。

 別の、綺麗なメロディを、口ずさんでいた、誰か。

 その子は——その誰かは、その記憶を、まだ思い出せていない。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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