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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第二部

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第11話 リズム

 あれから、しばらく。

 めいめいが、自分の記憶の奥を、懸命に覗き込んでいた。

 けれど——何かを思い出せたのは、やはり、アネッサ、ただ一人だけ。

 その彼女も、肝心なところで、行き止まっていた。


 その淀んだ空気を破ったのは、シキータだった。


「ねえ、それより」


 シキータが、ぱっと顔を上げる。


「アネッサさん。さっき読んでくれた、あの壁の文字——碑文、だっけ。あれ、いったい、何が書いてあったの? もう一回、ちゃんと、教えてよ」


 考えてみれば、と、クイナは思った。

 碑文を見つけ、断片を拾いはしたが、皆が落ち着いて、その中身を聞く機会は、まだなかった。

 次々に起きる出来事に、ただ、追い立てられていただけだ。


「……そうですね。曖昧な記憶より、まずは、確かなものから」


 アネッサが、眼鏡の位置を直し、立ち上がった。

 不確かな記憶の沼から、足を引き上げるように。

 自分の領分に戻ると、その横顔に、少しだけ、研究者の落ち着きが、戻ってきた。


「まず——一枚ずつ、書いてある通りに、声に出してみます。意味は、そのあとで」


 アネッサが、ひとつ目の壁に、指を添えた。

 ひとつ、息を吸う。

 そして、その口から、誰も聞いたことのない言葉がこぼれ出た。


「——イ・サ・レーン。トゥオ・ネ・ヴィ……」


 低く、転がるような響きだった。

 意味は、まるで、わからない。

 けれど、不思議と、耳の奥に、残った。


「……これは、儀式の、手順。何を、どんな順番で行うか。段取りのようなものが、刻まれています」


 次の壁へ、指が移る。


「——サラ・ク・トー。ネイ・ファ・ルゥ……」


 その聞き慣れない響きに、何人かが身じろぎした。


「こちらは、伝承。古い言葉で——『聖女召喚』。聖女を、呼び出す。そういう、言い伝えです」


 三つ目の壁へ。

 アネッサの指が、文字の溝を、なぞっていく。


「——ヴェ・ドゥ・ナ。オル・テ・シア……」


「『等価交換』。何かを差し出して、その代わりに、何かを得る——代償の、決まりごとです」


 その響きを聞きながら——フィオラの指先が、かすかに、動いた。


 そして、最後に。

 ひときわ深く刻まれた壁の前で、アネッサの指が、止まった。

 ほかのどれよりも、長く、古い言葉の連なり。


「——カイ・ロ・ネス。ウ・ドゥ・ライ。テオ・サ・ミン……」


 低く、高く、また、低く。

 ひとつの音が、次の音を手招きするように。

 硬いはずのアネッサの声が、その律動だけは、確かに、なぞっていた。

 まるで、遠い昔に、誰かが唄った歌の、名残のように。


「これが——過去の儀式の歴史。いつ行われたか、その記録です」


 全員が、深刻な面持ちで、聞き入っていた。


 聖女召喚。

 等価交換。

 言葉は、確かに、そこにある。

 けれど、その言葉が、自分たちにとって、何を意味するのか。

 誰にも、わからなかった。


 白い装束の、ナリアが、震える声で、呟いた。


「……まさか、私たちが。この、儀式と……」


 その先は、言葉に、ならなかった。

 誰も、それを、否定できなかった。

 できるだけの材料が、何ひとつ、なかったから。


 その時だった。

 楽器を背負った女性——フィオラが、ふと、小さく、呟いた。


「……うたみたい」


 近くにいた者が、怪訝そうに、振り返る。


「詩?」


「うん。さっき、アネッサさんが、ひとつずつ、声に出して、読んだ——あの、古い言葉。あれが、頭の中で、ずっと、鳴っていて。なんだか、韻を踏んでるみたいで。リズムがとれる」


 いつのまにか、フィオラの指が、自分の膝を、軽く、叩いていた。

 とん、とん、とん……と。

 規則正しい、リズム。

 吟遊詩人の指は、言葉の奥にある律動を、無意識に、拾っていた。


 とん、とん、とん。

 その指の動きが、続くうちに。

 フィオラの表情が、ふいに、変わった。

 叩く手が、ぴたり、と止まる。


「……あれ」


 その目が、大きく、見開かれた。


「このリズム……私、知っている」


 声が、かすかに、震えていた。


「ずっと昔。何かの……前に。不安で、たまらなくて。落ち着こうとして——こうやって、指で、同じリズムを、刻んでいた」


 フィオラは、自分の手を、信じられないものでも見るように、見つめた。


「待って、いたんだ。私。何かを、ずっと。それが、怖くて。でも、このリズムを刻んでいると、少しだけ、心が、凪いだ」


 フィオラが、自分の右手を、ひらいては、閉じた。


「この、指の感じ。いまの私が、弦を、押さえる時と、同じだ。子供の頃の、これが——そのまま、私の手に、残ったのかもしれない」


 指先が、もう一度、宙で、とん、と、跳ねた。


「隣に……いました。私と、同じくらいの、年の子が」


 言葉が、ひとつずつ、こぼれていく。


「その子が——私のリズムに、合わせて、鼻歌を、歌ってくれた。小さな、声で。そう、こんなふうに……」


 フィオラの唇が、何かのメロディを、なぞろうとして。

 けれど、音にならず、消えた。


「それから……もう一人。別の、誰かが、いた。その子は、また違う、綺麗なメロディを……口ずさんで、いた気が……する」


 そこで、フィオラの言葉も、途切れた。

 鼻歌の子の顔も。

 メロディを口ずさんだ、もう一人の顔も。

 広い部屋の冷たい石の床の感触だけを残して——その先は、霧の中に、沈んでいた。


「……だめだ。誰だったのか、までは、出てこない」


 その時。

 フィオラの隣で、エルシェが、小さく、息を呑んだ。

 とん、とん、とん、というリズムを、聞いた瞬間から。

 その瞳が、どこか、落ち着かなげに、揺れていた。


「……このリズム」


 エルシェが、自分の胸に、手を当てる。


「なんだか……知っている気が、する。どこかで、聞いた気が……」


 けれど、それきり、言葉は、続かなかった。

 形になりかけた何かは、すぐに、霧散したらしい。

 エルシェは、戸惑ったように、首を振った。


「……ごめんなさい。気のせい、かしら」


 部屋のあちこちで。

 めいめいが、自分の手元に、目を落としていた。

 無意識の癖。

 いつも、なぞっている何か。

 数人が、自分の指を、ぎゅっと、握りしめる。


「……私たちも、本当は」


 誰かが、言いかけて、口を、つぐんだ。

 その先を、言葉にするのが、怖い、というように。


 クイナは、少し離れた場所で、二人を——アネッサと、フィオラを、静かに見比べていた。

 目を細め、ひとつ残らず、記憶に、焼き付けていく。


 ——共通している。

 不安。

 何かを、待っていた。

 広い部屋。

 冷たい石の床。

 そして——隣に、いた「誰か」。

 二人とも、同じものを、語っている。

 まるで、同じ日の同じ場所を、別々の角度から、覗いているかのように。

 ——同じ場所に、同じ頃。

 この二人は、確かにいた。

 アネッサは、目で。

 フィオラは、手で。

 それぞれの覚え方で、同じ一日を、抱えている。


 けれど、と、クイナは思った。

 ——やはり、その「誰か」だけが、像を結ばない。

 アネッサの隣に、いた誰か。

 フィオラのリズムに、鼻歌を合わせた誰か。

 そして、綺麗なメロディを口ずさんでいたもう一人。

 みな、顔のない、ただの「誰か」のまま、宙に、浮いている。


 それに——エルシェ。

 フィオラのリズムに、ひとり、過敏に反応していた。

 あの揺らぎは、いったい、何だったのか。

 クイナは、その横顔も、静かに、記憶の隅に刻んでおいた。


 そして、いつものように。

 ——私には、覚えがない。

 あのリズムも。

 あのメロディも。

 広い部屋も。

 二人が分かち合っている、その記憶のどこにも、自分は立っていなかった。


 フィオラが、長い息をついて、楽器の紐を握り直した。


「私の記憶も……ここまで、みたいだ。もどかしいな。喉まで、出かかってるのに」


 その横で、アネッサが、深く頷いた。

 二人の間に、言葉はなかった。

 けれど、確かに、何かが——同じ何かが、通い合っているのが、見て取れた。


 ひとつの記憶が、別の記憶を呼んだ。

 碑文の古い言葉のリズムが、ひとりの女性の記憶を目覚めさせた。


 淡く脈打つ魔法陣の光の中で。

 十七人は、まだ、それぞれの記憶の入り口を探しあぐねていた。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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