■第2章 第4節:なぜ助けるのか
三度目に作った即席ポーションを使い終えた頃には、黒竜の呼吸は明らかに安定していた。まだ浅さは残っているが、最初に見たときの“今にも途切れそうな状態”ではない。胸の上下も一定のリズムを取り戻しつつあり、わずかだが回復の兆しが見える。
シャーロットはその様子を見ながら、小さく息を吐いた。
「……よかった」
声に出してしまうくらいには、安心していた。
完全に助かったわけではない。それは分かっている。それでも、ここまで持ち直したという事実だけで十分だった。
黒竜の瞳が、ゆっくりと動く。
金色の視線が、再びシャーロットを捉える。その動きは先ほどまでよりもはっきりしていて、焦点も定まっているように見えた。
(見えてる)
そう思う。
ただぼんやりと眺めているのではなく、確実にこちらを認識している視線だった。
シャーロットはそのまま視線を受け止める。
怖くないわけではない。目の前にいるのは黒竜だ。本来なら、人間が近づくことすら許されない存在。それでも、なぜか逃げようとは思わなかった。
「……まだ、痛い?」
自然とそんな言葉が出る。
意味があるかどうかは分からない。通じるとも思っていない。ただ、そこにいるから聞いただけだ。
黒竜は答えない。
だが、その瞳がほんのわずかに細められる。
それだけで、十分だった。
シャーロットは少しだけ視線を落とし、傷口を見る。まだ深い。回復しているとはいえ、完全には程遠い状態だ。
(まだ足りないよね)
今までのポーションでは限界がある。即席で作ったものも効果はあるが、決定打にはならない。このままでは、時間をかけて少しずつ回復するだけだ。
それでも、やめる理由にはならなかった。
シャーロットはその場にしゃがみ込み、ポーチの中を確認する。使えそうなものはもうほとんど残っていない。さっき摘んだ葉も、あとわずかだ。
(どうしようかな)
少しだけ考える。
ここで離れることもできる。最低限の応急処置はした。あとは自然に任せる。それも間違いではない。
むしろ、それが普通の判断だ。
でも――
(見えてるし)
それだけだった。
目の前にあるものを、見なかったことにはできない。助けられるかどうかは関係ない。できることが少しでもあるなら、やる。
それが、自分のやり方だった。
シャーロットは小さく息を吐く。
「……もうちょっとだけ、やってみる」
黒竜に向けて言うというより、自分に言い聞かせるような声だった。
黒竜は動かない。ただ、その言葉を聞いているかのように、静かに視線を向け続けている。
シャーロットは立ち上がり、周囲を見渡す。使えそうな素材がないかを探す。さっきと同じように、地面や木の根元、草の間に視線を巡らせる。
(これ……使えるかな)
見つけたのは、少し形の違う葉だった。さっきのものよりも厚く、色もわずかに濃い。触れると、ほんの少しだけ湿っている。
感覚的に、悪くないと思った。
数枚摘み取り、ポーチに入れる。ほかにもいくつか目についたものを集める。理屈ではなく、あくまで感覚だ。
黒竜の方へ戻る。
その途中で、ふと足が止まる。
(……なんで、やってるんだろ)
今さらのように思う。
目の前にいるのは黒竜だ。助けたところで何があるわけでもない。むしろ危険が増える可能性の方が高い。
それでも、やめようとは思わなかった。
理由を探そうとして、やめる。
(別に、いいか)
理由なんて、特にいらない。
見えているからやる。それだけで十分だと思った。
シャーロットはそのまま黒竜のそばに戻り、再びしゃがみ込む。手の中の素材を確認し、小さく頷く。
「……やってみるね」
いつも通り、感覚で作る。
容器に水を入れ、葉を潰し、混ぜる。順番も量も曖昧だが、不思議と手は迷わない。必要な分だけ、自然と調整できている気がした。
完成した液体は、さっきよりもわずかに色が濃い。
「……ちょっと強いかも」
そう呟きながらも、手は止めない。
黒竜の傷口へと近づき、ゆっくりと流す。
液体が触れた瞬間、わずかに反応が返ってくる。
呼吸がさらに安定する。
傷の周囲に、はっきりとした変化が現れる。
(……やっぱり)
効いている。
今までよりも、確実に。
シャーロットはその変化を見ながら、小さく息を吐く。
「よかった」
それだけで十分だった。
黒竜の瞳が、ゆっくりと瞬く。
その動きは、もう“瀕死の存在”のものではなかった。
意識がある。
理解している。
そして――
ただ見ているだけではない。
ほんのわずかに、シャーロットの行動を受け入れているような気配があった。
シャーロットはその視線を感じながら、静かに笑う。
「……もう少しだけ、付き合ってね」
軽くそう言う。
返事はない。
それでも、拒絶もなかった。
それだけで十分だった。
理由なんてなくてもいい。
助ける理由が特別じゃなくてもいい。
ただ、目の前にあって、手を伸ばせるなら――
それでいいと、シャーロットは思っていた。




