■第7章 第3節:帰り道の一杯(下)
■第7章 第3節:帰り道の一杯(下)
日が傾ききる頃、白花の薬屋の中には、やわらかな橙色が満ちていた。
昼の賑わいとは違う、落ち着いた気配。だが、客足は途切れない。
扉が開く。
「……置いてきたやつ、あるか?」
見慣れた木こりの男が入ってくる。
棚の一角に視線を向ける。
そこには、名前の書かれたコップがいくつも並んでいた。
「あるよ」
シャーロットが答える。
ミアがすぐに棚へ向かう。
「これだよね?」
男の名前の書かれた板を指でなぞる。
「それそれ」
ミアがコップを取って持ってくる。
「はい!」
「ありがとな」
受け取る仕草が自然だ。
昨日までなかった動きが、もう“いつもの”になりつつある。
「いつもの、軽いやつ」
男が言う。
「はい、普段用ですね」
リナがすぐに応じる。
シャーロットは奥で調合に入る。
(……少しだけ、整える)
同じ軽さ。
同じ飲みやすさ。
だが、完全には揃わない。
クロエが言う。
「配合に微差があります」
「うん」
「再現性は低いままです」
「でも、大きくは変わらないでしょ」
「現時点では問題ありません」
それでいい。
コップに注ぎ、渡す。
男は一口飲む。
「……はぁ」
深く息を吐く。
「これだな」
昨日と同じ言葉。
だが、今日は少し違う。
「帰りにここ寄るの、もう決まりだ」
軽く笑う。
「家に帰る前に一回抜ける感じがいい」
その言葉に、リナが小さく頷く。
「そういう使い方、いいと思います」
男は代金を置く。
「明日も来る」
「待ってる」
シャーロットが軽く返す。
男が出ていく。
扉が閉まる。
すぐに次の足音。
「私のもある?」
女性が入ってくる。
「あります」
リナが答える。
ミアが棚からコップを取る。
「これ!」
女性はそれを見て少し笑う。
「楽だね、これ」
「持ってこなくていいからね」
ミアが言う。
「忘れても大丈夫」
「助かる」
短い会話。
だが、それが続く。
シャーロットはまた作る。
同じように。
少しだけ違う。
クロエが小さく言う。
「味の差異が出ています」
「どれくらい?」
「甘味の強弱にばらつきがあります」
「でも飲めるでしょ」
「はい」
それでいい。
女性は飲む。
「……今日は少し甘い?」
「そうかも」
シャーロットが答える。
「でもいい」
女性はそのまま飲み干す。
「その日の感じで違うのも悪くないね」
軽い言葉。
だが、それが受け入れられている。
クロエが静かに言う。
「変動を許容しています」
「そうだね」
シャーロットは頷く。
“同じじゃなくてもいい”。
その前提が、すでにできている。
そのとき、入口で子供の声。
「ぼくのある?」
小さなコップの持ち主。
「あるよ」
ミアがすぐに取る。
「これ!」
子供は受け取る。
「今日はどっち?」
シャーロットが聞く。
「甘いの」
迷いがない。
シャーロットは作る。
少し甘め。
渡す。
子供は飲む。
「……うん」
満足そうに頷く。
「これ好き」
そのまま帰っていく。
リナがそれを見て言う。
「完全に決まってるね」
「うん」
シャーロットも頷く。
「選ぶの早い」
クロエが言う。
「嗜好が固定化しています」
「そういうことね」
ミアが言う。
「みんな“いつもの”だね」
「そうだね」
シャーロットは軽く笑う。
店の中に、“いつもの”が増えていく。
人ごとに違う。
だが、それぞれに決まっている。
それが並んでいる。
棚の上に。
名前と一緒に。
夕方が過ぎる。
人の流れが少し落ち着く。
最後の客が帰る。
静けさが戻る。
リナが大きく息を吐く。
「……今日、すごかったね」
「うん」
シャーロットが答える。
「増えた」
ミアが棚を見る。
「いっぱい」
コップの数が、明らかに増えている。
リナが言う。
「これ、全部毎日来る人?」
「たぶんね」
シャーロットは答える。
クロエが言う。
「継続利用率が高い状態です」
「いいこと?」
「はい」
短い答え。
シャーロットは棚を見る。
並んだコップ。
名前。
その一つ一つに、人がいる。
「……ここ、いい場所になってきたね」
ぽつりと呟く。
リナが頷く。
「うん」
ミアも言う。
「ここ好き」
クロエは少しだけ間を置いてから言う。
「機能しています」
それぞれの言葉。
だが、意味は同じだった。
白花の薬屋は、
ただ薬を渡す場所ではなく、
人が戻ってくる場所になっていた。
シャーロットは小さく息を吐く。
「明日もやろう」
「うん」
リナが答える。
「やる!」
ミアが元気よく言う。
「問題ありません」
クロエが続ける。
それで決まる。
外はもう暗い。
だが、店の中にはまだ温もりが残っている。
白花の薬屋は、
今日も、
確かに“回っていた”。




