■第1章 第5節:ひとりになる
三人の背中が見えなくなってから、どれくらい時間が経ったのか分からなかった。森の中は相変わらず静かで、さっきまでの戦闘の気配もすでに薄れている。風が木々を揺らし、葉の擦れる音だけが一定のリズムで続いていた。
シャーロットはしばらくその場に立っていたが、やがて小さく息を吐いて歩き出す。来た道を戻るだけだ。特別なことは何もない。いつもと同じ森で、ただ隣に誰もいないだけだった。
(帰ろう)
それだけを考える。王都に戻れば、ギルドもあるし、宿もある。とりあえず困ることはない。頭では分かっている。
それでも、足取りは少しだけ遅かった。
森の中を進む。足元の感触、木々の配置、視界の開け方。どれも見慣れたものだ。何度も通った道だから迷うことはない。むしろ、体が勝手に動く。
ふと、足を止める。
(……あ)
違和感に気づく。
周囲に、ほんのわずかな気配がある。さっきまでならレオンたちが気づいて対処していた程度のものだ。強くはない。だが、完全に無視できるほど弱くもない。
シャーロットは少しだけ周囲を見渡す。視線を巡らせ、気配の位置を探る。
(あっち、かな)
茂みの奥。視線を向けると、わずかに動く影が見えた。小型の魔物だ。単体であれば脅威ではないが、油断すれば怪我はする。
いつもなら、前に誰かがいる。
ガルドが盾で受けて、レオンが斬って、セリスが魔法で削る。その流れが当たり前だった。
でも、今は違う。
(……やるしかないか)
小さく呟く。
腰のポーチに手を伸ばす。中にはいくつかのポーションが入っている。自分で作ったものではない。市販品だ。効果は分かっている。普通の回復薬。
それを確認してから、一歩前に出る。
魔物もこちらに気づいたらしく、ゆっくりと距離を詰めてくる。唸り声は低く、警戒している様子が見て取れた。
シャーロットは深く息を吸う。
戦えないわけではない。冒険者としての最低限の訓練は受けている。白魔法も使える。問題はないはずだ。
(大丈夫)
自分に言い聞かせる。
魔物が飛びかかってくる。タイミングは分かる。見えている。体を横にずらし、直撃を避ける。完全には避けきれず、腕に軽い衝撃が走る。
「っ……」
小さく息が漏れる。だが、大きなダメージではない。すぐに距離を取る。
(これくらいなら)
手のひらに魔力を集め、小さな回復をかける。傷は浅い。すぐに塞がる。
魔物は再び構え直している。数は一体。動きも単純だ。冷静に見れば、対処はできる。
もう一度、タイミングを見る。
踏み込み。避ける。距離を取る。その繰り返し。
少しずつ、慣れてくる。
(あれ……)
ふと、気づく。
動けている。
今までと同じように、とはいかない。けれど、何もできないわけでもない。
三人がいないだけで、戦えなくなるわけではない。
ただ――
(やりづらい)
それははっきりしていた。
前に出てくれる人がいない。攻撃を引き受けてくれる人がいない。火力で一気に削ってくれる人もいない。
全部、自分でやらないといけない。
それが、こんなにも違うものなのかと実感する。
魔物の動きが鈍った瞬間、距離を詰める。手に持ったナイフで浅く切りつける。大きなダメージにはならないが、確実に削っていく。
時間はかかったが、やがて魔物は力を失い、その場に倒れた。
静寂が戻る。
シャーロットはその場に立ったまま、少しだけ息を整える。
(……終わった)
思ったよりも疲れている。大した戦闘ではなかったはずなのに、体に残る消耗がはっきりと分かる。
今までなら、こんな感覚はほとんどなかった。
「そっか……」
小さく呟く。
これが、本来の状態だ。
何も整えられていない状態で戦うと、こうなる。消耗はそのまま残るし、動きも少しずつ鈍っていく。
今までが、少し違っていただけだ。
(……帰ろう)
もう一度そう思う。
ここにいる理由はない。依頼も終わっている。パーティもない。
なら、戻るしかない。
シャーロットはゆっくりと歩き出す。さっきよりも足取りはしっかりしていた。自分で戦って、自分で回復して、それでも歩ける。
それだけで十分だった。
森を抜けると、遠くに王都の外壁が見えてくる。見慣れた景色だ。あそこに戻れば、とりあえずは落ち着く。
(これから、どうしようかな)
ぼんやりと考える。
またパーティを探すのか。それとも別のことをするのか。特に決めてはいない。
急ぐ必要もないと思った。
今はただ、ひとりになっただけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
シャーロットは門へ向かって歩く。夕暮れの光が長く影を伸ばしていた。隣に並ぶ影はない。
それでも、足は止まらない。
ひとりで歩くことに、少しずつ慣れていくように。




