■第5章 第2節:残る夜(中)
夜はゆっくりと深くなっていった。外の光は完全に消え、家の中は小さな灯りだけが揺れている。壁に映る影が静かに動き、空気は昼よりもさらに落ち着いていた。音はほとんどない。遠くで風が通る音と、時折軋む木の音。それだけだ。
シャーロットは作業台の代わりに、床に広げた布の上に簡易的な作業場所を作っていた。ここには薬屋のような設備はない。火も自由には使えない。だが、やれることはある。持ってきた乳鉢と容器を並べ、必要な分だけを整えている。
「……もう一回、少し作るね」
小さく言う。
リナは顔を上げる。
「……さっきの、まだある」
「あるけど、少しだけ新しいのにする」
強くはしない。
変えすぎない。
同じ流れで、少しだけ状態を整える。
「……うん」
リナは短く答える。
それだけでいい。
シャーロットは乳鉢に薬草を入れる。さっき外で少し採取してきたものと、持ってきたものを合わせる。量は少ない。だが、足りる分はある。
潰す。
静かな音が夜の中に広がる。
一定のリズム。
力を入れすぎない。
均一に。
クロエが横で静かに見ている。
「配合、変えてる?」
リナがぽつりと聞く。
シャーロットは手を止めずに答える。
「少しだけ。夜は体が弱るから」
リナはしばらく黙っていた。
それから、小さく言う。
「……さっきより、優しい匂い」
シャーロットは少しだけ笑う。
「そうしてる」
それ以上の説明はしない。
言葉にしても、伝わりきらない。
感覚で分かれば、それでいい。
乳鉢から容器へ移す。
水を加える。
ゆっくり混ぜる。
火は使えない。
だから時間をかける。
焦らない。
夜は急がない方がいい。
「……これ」
リナに渡す。
リナはすぐに受け取る。
さっきより迷いがない。
ミアの口元へ。
少しだけ。
止める。
呼吸を見る。
また少し。
その繰り返し。
「……飲めてる」
リナが小さく言う。
「うん」
シャーロットは頷く。
それだけでいい。
大きく変わる必要はない。
少しずつ、持たせる。
夜を越えるために。
しばらくして、ミアの呼吸がさらに落ち着く。浅さが減り、間隔が整う。
シャーロットはそれを見て、小さく息を吐いた。
「……いいね」
クロエが答える。
「安定しています」
それは安心できる状態ではない。
でも、悪くはない。
このまま維持できれば、朝につながる。
「……リナ」
シャーロットが呼ぶ。
リナは顔を上げる。
「少し休んでいいよ」
リナはすぐに首を振る。
「……大丈夫」
「大丈夫じゃなくてもいい」
シャーロットは静かに言う。
「ここは見てるから」
リナは言葉を失う。
少しだけ視線が揺れる。
「……でも」
「交代でいい」
シャーロットは続ける。
「ずっと見てるのは疲れる」
リナは黙る。
そのままミアを見る。
手を握る。
離さない。
それから、小さく言う。
「……少しだけ」
「うん」
シャーロットは頷く。
リナはそのまま座ったまま、少しだけ体を預けるようにする。完全に横にはならない。いつでも動けるように、という姿勢だった。
それでも、少しだけ目が閉じる。
その様子を見て、シャーロットは視線をミアに戻す。
呼吸は安定している。
顔色はまだ悪い。
でも、さっきよりはいい。
(持ってる)
その感覚がある。
クロエが小さく言う。
「この状態であれば、朝まで維持可能です」
「うん」
シャーロットは短く答える。
静かな時間が流れる。
灯りが揺れる。
外の風が通る。
その中で、三人は同じ空間にいる。
シャーロットは少しだけ背を伸ばす。
体はまだ動く。
疲れはある。
でも、限界ではない。
「……クロエ」
「はい」
「この村、他にも同じ感じ?」
クロエは少し考える。
「重症は少数です。ただし、軽度の体調不良が広範囲に存在しています」
「……やっぱり」
一部だけではない。
全体的に弱っている。
「原因は?」
「複合要因と推測されます。栄養不足、水質低下、環境変化」
シャーロットは少しだけ考える。
「……一気には無理だね」
「はい」
「でも、少しずつなら」
クロエは頷く。
「可能です」
シャーロットはミアを見る。
そして、リナを見る。
「……まずはここ」
小さく言う。
それが一番近い。
一番見える。
それでいい。
外で何かが動く音がする。
足音ではない。
風でもない。
少し重い。
クロエがすぐに反応する。
「外に反応あり」
「人?」
「不明。距離あり」
シャーロットは少しだけ息を整える。
警戒はする。
でも、慌てない。
「……様子見で」
「了解」
クロエは静かに立ち上がり、入口の近くへ移動する。
音はしばらく続いたが、やがて遠ざかる。
危険ではない。
少なくとも今は。
「……大丈夫そう」
シャーロットが言う。
クロエが戻る。
「はい」
リナはその間も目を開けなかった。
眠っているのか、休んでいるだけなのか。
どちらでもいい。
今はそれでいい。
シャーロットは灯りを少しだけ調整する。
強すぎないように。
暗すぎないように。
「……朝まで、これでいこう」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。
「はい」
時間はゆっくり進む。
急がない。
止まらない。
ただ、続く。
シャーロットはミアの呼吸を見ながら、一定の間隔で薬を少量ずつ与える。多くはしない。必要な分だけ。
リナは途中で何度か目を覚まし、そのたびに様子を見る。そしてまた少し休む。その繰り返し。
「……ありがとう」
不意に、リナが言う。
小さな声だった。
シャーロットは少しだけ視線を向ける。
「まだだよ」
短く答える。
リナはそれ以上何も言わない。
でも、その言葉は消えない。
夜の中に、静かに残る。
シャーロットは再びミアを見る。
呼吸は安定している。
さっきより、さらに。
(繋がった)
そう思う。
完全ではない。
でも、切れていない。
それで十分だ。
シャーロットはゆっくりと息を吐く。
「……朝、来るね」
ぽつりと呟く。
クロエが静かに頷く。
その言葉は、ただの時間の話ではない。
ここから先に進むための区切り。
その手前の、静かな夜だった。




