■第5章 第2節:残る夜(下)
夜はさらに深くなり、外の気配はほとんど消えていた。風の音すら遠く、家の中には小さな灯りと、三人の呼吸だけが残っている。時間の流れが遅く感じるのは、動きが少ないからではなく、一つ一つを確かめながら進めているからだと、シャーロットは思った。
ミアの呼吸は安定している。浅かったものが、一定の間隔で繰り返されている。熱はまだあるが、上がり続けている様子はない。体が落ち着く方向に動いているのが分かる。それだけで、この夜の意味は十分にある。
シャーロットはミアの額に軽く触れ、温度を確かめる。指先に伝わる熱はまだ強いが、さっきのような荒れた感じはない。
「……下がりきってはないけど、悪くはないね」
小さく呟く。
クロエが答える。
「維持されています」
「うん」
シャーロットは頷く。
維持できている。
それが一番大事だ。
崩れていない。
それだけで、朝に繋がる。
リナはさっきよりも体を預けるようにして座っていた。完全に眠っているわけではないが、意識は浅い。ミアの手は握ったまま。離していない。
シャーロットはその様子を見て、少しだけ視線を落とす。
(ちゃんと守ってる)
小さい体で、ずっと。
無理をしているのは分かる。
でも、それを責めることはできない。
シャーロットは少しだけ位置を変え、リナとミアの間に近い場所に座る。距離を詰めすぎないようにしながら、すぐに手が届く位置に。
灯りが小さく揺れる。
壁に映る影が、ゆっくりと動く。
時間は静かに進む。
シャーロットは一定の間隔でミアの様子を見ながら、少量の薬を与える。量は変えない。変えすぎると負担になる。夜は特に慎重に。
「……これでいい」
小さく言う。
クロエが答える。
「適切です」
それ以上の調整はしない。
余計なことはしない。
今は“足さない”ことも重要だった。
しばらくして、リナが小さく動く。目を開ける。すぐにミアを見る。手を握る力が少しだけ強くなる。
「……大丈夫」
シャーロットが先に言う。
リナは一瞬だけシャーロットを見る。
それから、もう一度ミアを見る。
「……さっきより、いい」
「うん」
シャーロットは頷く。
「このままいけば、朝はもう少し楽になると思う」
断定はしない。
でも、希望だけは置く。
リナはそれを聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。
完全ではない。
でも、少しだけ。
「……起きてなくていい」
シャーロットが言う。
「見てるから」
リナは少しだけ迷うように目を閉じる。
そのまま、完全に力を抜くことはしないが、意識は落ちる。
眠りに近い状態。
それでいい。
シャーロットは視線をミアに戻す。
呼吸は変わらない。
安定している。
外は完全に夜だ。
光はない。
音もない。
ただ、この場所だけが、わずかに動いている。
クロエが小さく言う。
「時間経過、問題なし」
「うん」
シャーロットは短く答える。
その言葉があるだけで、確認が終わる。
無駄な会話はいらない。
必要な分だけでいい。
シャーロットは一度、背を伸ばす。
体はまだ動く。
疲れはあるが、限界ではない。
「……このまま朝まで持てば」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。
「高確率で回復に向かいます」
「そこまで言い切るんだ」
「現状の推移からの推測です」
シャーロットは少しだけ笑う。
「じゃあ、それ信じる」
クロエは何も言わない。
だが、否定もしない。
それでいい。
時間はさらに進む。
灯りの油が少しずつ減る。
シャーロットはそれを見て、最小限で調整する。
消さない。
でも、無駄に明るくもしない。
夜は静かな方がいい。
しばらくして、ミアが小さく動く。呼吸のリズムが変わる。目を開けることはないが、意識が少し戻ってきたような反応。
シャーロットはすぐに手を添える。
「大丈夫」
小さく言う。
声は届いているか分からない。
でも、それでいい。
ミアの動きはすぐに落ち着く。
呼吸も元に戻る。
シャーロットはゆっくりと手を離す。
「……いい流れ」
クロエが答える。
「はい」
シャーロットは軽く息を吐く。
ここまで来れば、大きく崩れる可能性は低い。
完全ではない。
でも、繋がっている。
それが分かる。
リナが再び目を開ける。
今度は少しだけはっきりしている。
「……まだ、夜?」
「うん」
シャーロットは答える。
「でも、もう少し」
リナは小さく頷く。
それから、少しだけ周りを見る。
シャーロット。
クロエ。
ミア。
その順番で。
「……ほんとに、いる」
ぽつりと呟く。
その言葉は、確認だった。
夢ではないか。
途中でいなくならないか。
それを確かめるような。
シャーロットは短く答える。
「いるよ」
それ以上は言わない。
言葉を足すと、軽くなる。
リナはそのまま少しだけ目を閉じる。
完全には眠らない。
でも、さっきよりも力が抜けている。
シャーロットはその様子を見て、視線をミアに戻す。
呼吸。
温度。
状態。
問題なし。
クロエが小さく言う。
「夜間フェーズ、終盤です」
「もうそんな時間?」
「はい」
シャーロットは窓の方を見る。
外はまだ暗い。
だが、空気が少しだけ変わっている。
夜の終わりに近い感覚。
「……朝来るね」
ぽつりと呟く。
クロエが頷く。
「はい」
その言葉には、意味がある。
ただ時間が進むだけじゃない。
ここから先に進むための区切り。
その手前。
シャーロットはもう一度、ミアの手を軽く触る。
温度は少しだけ下がっている。
確実に。
「……大丈夫」
小さく言う。
それは誰に向けたものでもない。
ただ、今の状態を確かめる言葉。
リナがかすかに反応する。
目を開けないまま。
でも、聞こえている。
シャーロットは静かに座り直す。
もう少し。
あと少しで朝だ。
その時間を、何も崩さずに繋ぐ。
それだけに集中する。
白花の薬屋とは違う場所。
違う環境。
違う条件。
それでも、やることは同じだ。
見て、判断して、支える。
それを続けるだけ。
外がほんのわずかに明るくなり始める。
夜が終わる。
長かったようで、短い時間。
だが、その中で確かに変わったものがある。
シャーロットは静かに息を吐いた。
「……繋がったね」
クロエが答える。
「はい」
その一言で十分だった。
この夜は終わる。
そして、次が始まる。




