■第5章 第1節:外へ(下)
案内された家は、村の奥の端にあった。周りの家よりも少しだけ小さく、扉は閉じられている。壁の一部は古く、補修の跡が残っていた。だが、完全に放置されているわけではない。入口の前には小さな石が並べられていて、踏み固められた跡がある。誰かが出入りしている痕跡だった。
男は少し離れた位置で足を止める。
「ここだ」
それだけ言う。
シャーロットは扉を見た。
中の気配は、かすかにある。
二人分。
小さい。
動きは少ない。
クロエが小さく言う。
「二名確認。片方は弱っています」
シャーロットは軽く息を吸う。
「……入るね」
男は何も言わない。ただ、その場に立ったまま見ている。
シャーロットは扉に近づき、軽くノックする。
返事はない。
もう一度叩く。
それでも返事はない。
「……開けるよ」
小さく声をかけて、ゆっくりと扉を押す。
きしむ音とともに、少しだけ開く。
中は暗い。
外の光が差し込んで、床の一部を照らす。
そこに、二つの影があった。
一人は座っている。
もう一人は横になっている。
シャーロットは一歩中へ入る。
「こんにちは」
静かに声をかける。
座っていた方が、ゆっくりと顔を上げた。
女の子だった。
年はまだ低い。
それでも、その目は子供のものではなかった。
警戒と、疲れと、何かを諦めたような静けさが混ざっている。
「……誰」
かすれた声。
シャーロットは少しだけ距離を保ったまま答える。
「通りかかった薬屋。少し見てもいい?」
女の子はすぐには答えない。
視線が揺れる。
シャーロットとクロエを交互に見る。
それから、横になっている方を見る。
小さな体。
呼吸が浅い。
額に手が置かれている。
熱がある。
「……妹」
女の子が小さく言う。
それだけで十分だった。
シャーロットはゆっくりと近づく。
急がない。
驚かせないように。
「触るね」
一言だけ確認して、妹の額に手を当てる。
熱が高い。
脱水気味。
体力も落ちている。
「……少し水、ある?」
女の子は無言で、隅に置かれた容器を指す。
中は半分以下。
シャーロットはそれを確認し、クロエに視線を送る。
「お願い」
クロエはすぐに動く。
外に出て、水を確保する。
シャーロットはその間にポーチを開く。
持ってきた薬を確認する。
数は多くない。
だが、使える。
「……少しだけ楽にするね」
女の子に言う。
返事はない。
だが、止める様子もない。
シャーロットは乳鉢を取り出す。
持ってきたものだ。
薬草を少量入れ、潰す。
静かな音が部屋に響く。
その音だけが、空気を動かす。
女の子はじっと見ている。
目を離さない。
シャーロットは気にせず手を動かす。
均一に。
無駄なく。
金属容器に移す。
水を加える。
火は使えない。
だから、簡易的に調整する。
強くはしない。
体に負担をかけないように。
クロエが戻る。
水を差し出す。
シャーロットはそれを受け取り、調整する。
「少しずつでいいから」
妹の口元に容器を近づける。
女の子が少しだけ迷う。
それから、支えるように手を添える。
妹がわずかに動く。
少しだけ飲む。
咳き込む。
シャーロットは止める。
「無理しない」
短く言う。
少し時間を置く。
呼吸が落ち着く。
もう一度。
今度は少しだけ飲む。
それを繰り返す。
すぐには変わらない。
だが、呼吸が少しだけ整う。
「……大丈夫」
シャーロットは小さく言う。
女の子は何も言わない。
ただ、妹の顔を見ている。
「他に痛いところある?」
シャーロットは聞く。
女の子は少しだけ考えてから首を振る。
「……ない」
声は小さい。
だが、はっきりしている。
「ご飯は?」
「……少し」
それだけで分かる。
足りていない。
でも、ここでそれはどうにもならない。
今できるのは、体を持たせること。
「これ、少し置いていくね」
シャーロットは残りの薬を差し出す。
女の子はすぐには受け取らない。
視線が揺れる。
「……いいの」
「うん」
シャーロットは短く答える。
「飲み方はさっきと同じ。無理しないで」
女の子はゆっくりと手を伸ばす。
受け取る。
その動きは慎重だった。
壊れ物を扱うみたいに。
「……ありがとう」
小さな声。
それだけだった。
シャーロットは少しだけ頷く。
それ以上は言わない。
言葉を重ねると、崩れそうな気がした。
部屋の中は静かだ。
風の音だけが聞こえる。
シャーロットは一度立ち上がる。
周囲を見る。
生活の跡はある。
だが、止まっている。
ここで二人だけで過ごしている。
それが分かる。
「……他に誰か来てる?」
シャーロットは聞く。
女の子は首を振る。
「……来ない」
その一言が重い。
シャーロットは少しだけ目を閉じる。
(見える範囲)
その言葉が浮かぶ。
ここは、見える範囲だ。
目の前にいる。
手を伸ばせば届く。
だから――
「……少し考えるね」
ぽつりと呟く。
女の子は反応しない。
クロエが静かに言う。
「どうしますか」
シャーロットはすぐには答えない。
部屋の中を見る。
妹。
姉。
何もない空間。
止まった生活。
「……戻るだけなら、簡単」
小さく言う。
クロエは何も言わない。
「でも、それでいいかって言われると……」
言葉が止まる。
答えは出ている。
ただ、口に出していないだけ。
シャーロットはもう一度、妹の様子を見る。
少しだけ呼吸が落ち着いている。
まだ安心はできない。
でも、さっきよりはいい。
「……今日、ここにいるね」
静かに言う。
クロエが頷く。
「了解しました」
シャーロットは女の子を見る。
「すぐ帰らない。もう少し様子見る」
女の子は驚いたように目を開く。
だが、何も言わない。
言えないのかもしれない。
シャーロットはそれ以上聞かない。
無理に言葉を引き出す必要はない。
外に出る。
空気が少し冷たい。
男がまだそこにいた。
「……どうだ」
「少し落ち着きました」
シャーロットは答える。
「でも、まだ無理はできません」
男は黙って頷く。
「……今日はここにいます」
シャーロットが言う。
男は少し驚く。
「帰らんのか」
「見える範囲なので」
短く答える。
男はしばらく何も言わなかった。
それから、小さく息を吐く。
「……そうか」
それだけだった。
シャーロットは空を見上げる。
日が傾き始めている。
今日は戻らない。
ここで一晩過ごす。
予定外。
でも――
間違いではない。
「……クロエ」
「はい」
「明日、どうするか決めよう」
「了解です」
シャーロットはもう一度家の中を見る。
小さな影が二つ。
静かにそこにある。
「……ここからだね」
小さく呟く。
その言葉は、自分に向けたものだった。




