表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/78

■第5章 第1節:外へ(中)

近づくにつれて、その場所が村であることははっきりしてきた。

低い柵があり、畑らしき場所があり、いくつかの家が並んでいる。規模は白花の薬屋がある村と似ているか、少し小さいくらいだった。けれど、空気が違う。人が暮らしているはずの場所なのに、生活の音がほとんどしない。鳥の声と、風に揺れる草の音だけが妙に大きく聞こえる。

シャーロットは足を止め、村の入口から中を見た。扉の閉まった家がいくつかある。煙突から煙は上がっていない。畑も手入れが途中で止まったように見えた。完全に放置されているわけではないが、普通に生活している場所にも見えない。

「……静かすぎるね」

小さく言うと、クロエが短く答える。

「はい。活動量が少ないです」

「人はいるんだよね?」

「います。ただし、多くありません」

シャーロットは軽く息を吸った。

ここで引き返すこともできる。素材を探しに来ただけなら、無理に近づく必要はない。危ない可能性もある。知らない場所で、何が起きているかも分からない。

それでも、足は止まらなかった。

「……少しだけ、見よう」

クロエは反対しない。ただ、シャーロットの半歩後ろに立つ。

「危険があれば止めます」

「うん」

それだけ確認して、シャーロットは村へ入った。

道は細く、土が乾いている。人が歩いた跡はあるが、新しいものは少ない。家の前に置かれた桶が倒れたままになっていて、風で少しだけ転がる音がした。井戸の周りにも人はいない。白花の薬屋の村なら、この時間帯には誰かしら動いている。水を汲む人、畑へ向かう人、家の前を掃く人。けれど、ここにはそれがない。

(何かあったんだ)

そう思う。

大きな破壊の跡はない。魔物に襲われたような爪痕も、焼けた家もない。だから一見すると静かな村に見える。でも、生活が止まっている。

しばらく歩くと、一軒の家の扉が少しだけ開いた。

中から誰かがこちらを見ている。

シャーロットは足を止める。

「こんにちは」

できるだけ柔らかく声をかけた。

返事はない。

けれど、扉は閉まらなかった。

中にいるのは大人だろうか。影だけでは分からない。ただ、こちらを警戒しているのは分かった。

「旅の途中です。少し通りかかって……」

そこまで言ったところで、家の中からかすれた声がした。

「……何しに来た」

男の声だった。弱く、少し荒れている。

「素材を探していて、近くまで来ました。この村、少し様子がおかしい気がして」

男はしばらく黙った。

それから、ゆっくりと扉が開く。

出てきたのは、痩せた中年の男だった。顔色は悪く、目の下に深い影がある。怪我はないように見えるが、疲れがひどい。

「余所者が来る場所じゃない」

男はそう言った。

拒絶というより、忠告に近い声だった。

シャーロットは少しだけ考えてから、素直に頷く。

「そうかもしれません」

男は意外そうに眉を動かした。

「でも、困ってる人がいるなら、少しだけ見ます」

その言葉に、男の表情が少し変わる。警戒は残っているが、完全な拒絶ではなくなった。

「……薬師か?」

「薬屋です」

シャーロットはそう答えた。

まだ自分で言うのは少しだけ慣れない。でも、今はその言葉が一番近かった。

男の視線がシャーロットの腰のポーチに動く。それから、クロエを見る。クロエは何も言わず、静かに立っているだけだった。

「薬があるのか」

「少しなら。あとは、材料があれば作れます」

男は喉の奥で小さく息を吐いた。

「……遅かったな」

その言葉は、誰に向けたものでもないように聞こえた。

シャーロットは聞き返さなかった。

聞くべきではない気がした。

代わりに、ゆっくりと言う。

「今、見られる人はいますか」

男は黙ったまま、村の奥を見る。

その視線の先に、いくつかの家があった。

「熱を出してるやつがいる。怪我をしたやつもいる。だが……」

そこで言葉が止まる。

「だが?」

「もう、どうにもならんこともある」

シャーロットの胸の奥が、少しだけ冷える。

その意味は分かる。

全部は間に合わない。

全部は救えない。

そういう場所に来てしまったのだと、分かった。

それでも、見える範囲なら。

シャーロットは一度だけ息を吸う。

「……見ます。できる範囲で」

男はしばらくシャーロットを見る。

それから、小さく頷いた。

「こっちだ」

案内されたのは、村の中央に近い家だった。中には数人が集まっていた。重い病ではなさそうだが、疲労と軽い熱、手当ての遅れた怪我が目立つ。白花の薬屋に来る村人たちより状態は悪い。薬がないまま、時間が経ってしまったのだろう。

シャーロットはすぐにポーチを下ろした。

「重い人から見ます」

男が驚いたように見る。

「分かるのか」

「たぶん」

シャーロットは短く答える。

順番を決める。高い熱がある人、傷が汚れている人、脱水気味の人。できることは限られている。手持ちの薬も多くはない。素材採取用の道具はあるが、ここで大量に作れるわけでもない。

それでも、何もしないよりはずっといい。

「クロエ、水をお願い」

「はい」

クロエはすぐに動いた。

静かで、無駄のない動きだった。

シャーロットは一人ずつ状態を見ていく。持ってきた薬を少量ずつ使い、足りないところは村の周囲にある薬草で補う。完全な治療ではない。劇的に回復するわけでもない。ただ、悪化を止める。少し楽にする。眠れるようにする。

それが今できることだった。

「……これ、少しずつ飲んでください」

熱のある女性に薬を渡す。

「傷は先に洗ってから。これを直接塗りすぎないでください」

怪我をした男に説明する。

「水、飲めるなら少しずつ。無理に一気に飲まないで」

脱水気味の老人に言う。

言葉は短い。

だが、ひとつずつ確実に渡していく。

村の人たちは最初こそ警戒していたが、シャーロットが派手なことをしないのを見ると、少しずつ落ち着いていった。大げさな魔法も使わない。強い言葉も使わない。ただ見て、考えて、必要なものを渡す。その地味さが、逆に安心につながっているようだった。

しばらくして、一通りの応急処置が終わった。

シャーロットは小さく息を吐く。

「……今できるのはここまでです」

案内してくれた男は、深く頭を下げた。

「助かった」

「まだです。様子を見ないと」

「それでもだ」

男の声は低かった。

そこには、どうにもならないものを見てきた人の重さがあった。

シャーロットは何も言えなかった。

すべてを救ったわけではない。むしろ、救えなかったものの方が多いのかもしれない。

でも、目の前にいる人たちは少しだけ楽になった。

それだけは分かった。

家の外へ出ると、空気が少しだけ変わっていた。最初に入った時より、村の中にわずかな動きが戻っている。扉の隙間からこちらを見る人、遠くで様子をうかがう人。完全に安心したわけではないが、閉じきっていたものが少しだけ開いたような感じだった。

「……何があったんですか」

シャーロットは男に聞いた。

男はしばらく黙っていた。

それから、少し離れた家を見た。

「あそこの家の夫婦が、山で事故に遭った」

「事故……」

「ああ。薬草と薪を取りに行って、戻らなかった。探しに行った時には、もう遅かった」

シャーロットは言葉を失う。

男は続ける。

「その後、村の中で熱を出す者が増えた。怪我人もいた。だが、薬も人手も足りん。町へ行ける者も少ない」

小さな村では、一つの出来事が全体に響く。

人が二人いなくなるだけで、仕事が止まる。誰かの手が足りなくなる。薬を取りに行く人も、看病する人も足りなくなる。

「……その夫婦に、子供は?」

シャーロットは静かに聞いた。

男の表情が少しだけ曇る。

「いる」

その一言で、胸の奥が小さく締まった。

「姉妹だ」

男はそう言って、村の奥にある小さな家を見た。

「姉の方は、まだ小さいのに妹の面倒を見てる。だが、もう限界だろうな」

シャーロットはその家を見る。

扉は閉まっている。

けれど、その前に小さな布が干されていた。子供のものだ。

風に揺れている。

「……会えますか」

シャーロットは聞いた。

男は少し迷った。

「今は、そっとしておいた方がいいかもしれん」

「分かってます」

シャーロットは短く答える。

「でも、見えるところにいるなら、見ます」

男はシャーロットを見た。

その言葉の意味を測るように。

やがて、小さく頷いた。

「こっちだ」

シャーロットは歩き出す。

クロエは何も言わず、少し後ろにつく。

村の奥へ向かう道は、さっきよりも静かだった。

閉じた扉。

小さな家。

干された布。

そこに、姉妹がいる。

シャーロットは息を整える。

素材を探しに来たはずだった。

でも、今はもう、それだけではなくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ