■第5章 第1節:外へ
朝はいつもと同じように始まった。白花の薬屋の扉を開け、看板の位置を整え、作業台の上を確認する。火の器具、金属の容器、陶器の容器、乳鉢、素材袋。それぞれの位置は決まっていて、触れる順番ももう体に馴染んでいる。シャーロットは一つ一つに軽く手を触れ、問題がないことを確かめてから小さく息を吐いた。
「……今日は閉めるね」
ぽつりと呟く。
クロエが横で短く答える。
「はい」
それ以上の確認は必要なかった。昨日のうちに決めている。素材を取りに外へ出る。今のままでも回せるが、少しずつ来る人が増えている以上、この先を考えるなら動く必要がある。
シャーロットは簡単な紙を取り出し、「本日休み」と書いて看板の横に貼る。前に町へ行ったときと同じだが、今回は少し意味が違う。ただの買い出しではない。もう少し外へ出る。
「……なんか、久しぶりだね」
紙を貼りながらそう言う。
「外に出ること自体は短期間です」
クロエが答える。
「でも、ちょっと違う感じしない?」
シャーロットは振り返る。
クロエはわずかに視線を動かす。
「目的が異なります」
「それだね」
ただ移動するのではなく、探しに行く。必要なものを、自分で選んで持ち帰る。その違いは小さくない。
扉を閉める前に、シャーロットは一度だけ中を見渡した。整えられた作業台、並んだ容器、静かな空間。ここはもう、ただの仮の場所ではない。戻ってくる場所だ。
「……いってきます」
小さく言う。
クロエは何も言わないが、隣に立っている。
それで十分だった。
外に出ると、朝の村の空気が広がっていた。まだ動きは少ないが、すでに畑へ向かう人や、水を汲みに行く人の姿が見える。シャーロットはそれらに軽く会釈をしながら歩く。
「今日は閉めるのか?」
後ろから声がかかる。
振り返ると、顔見知りの男がいた。
「はい、ちょっと外まで」
「素材か?」
「そんな感じです」
男は軽く頷く。
「無理すんなよ」
「はい」
短いやり取りだった。
だが、それで十分だった。
村の外へ向かう道に出る。何度か通った道だが、今日は少しだけ見え方が違う。目的があると、同じ道でも印象が変わる。
「……どっち行く?」
シャーロットが聞く。
クロエは迷いなく答える。
「町とは反対方向です」
「やっぱり?」
「既知の範囲では変化が少ないためです」
「なるほどね」
シャーロットは軽く頷く。
町の周辺は一度見ている。素材も悪くはないが、特別良いわけでもない。少し違う場所を探すなら、反対側に行く方がいい。
「じゃあ、そっちで」
進む方向が決まる。
道はやがて細くなり、踏み固められた土から、少し柔らかい地面へと変わる。草が増え、低い木が点在し始める。村の気配が少しずつ遠くなっていく。
「……この辺、あんまり来てないね」
シャーロットが言う。
「はい。利用頻度は低い範囲です」
「だからか」
人の手があまり入っていない分、自然のままの状態が残っている。足元には見慣れない草が混じり、葉の形も少しずつ違う。
シャーロットはしゃがみ込み、一つの葉を手に取る。
軽く潰す。
香りを確かめる。
「……ちょっと違う」
ぽつりと呟く。
クロエが近くで見る。
「成分差があります」
「強い?」
「やや高い傾向です」
シャーロットは少し考える。
「使えそう?」
「処理次第です」
「じゃあ、少しだけ」
袋を取り出し、少量だけ採取する。
全部持っていく必要はない。
試す分だけでいい。
「……こういうの増えそうだね」
「はい」
クロエは短く答える。
進む。
同じように見えても、少しずつ違う。葉の色、形、香り。村の周辺とは微妙に環境が違う。
「……ちょっと楽しいかも」
シャーロットは小さく笑う。
「新規情報の取得です」
「そういう言い方じゃなくてさ」
クロエは特に反応しない。
シャーロットは立ち上がり、先へ進む。
日が少しずつ上がり、周囲が明るくなる。影が短くなり、見える範囲が広がる。
しばらく歩くと、道の形が少し変わる。踏み固められた跡が薄くなり、代わりに草が広がっている。
「……あんまり人通ってないね」
「頻度は低いです」
「だよね」
それでも完全な未踏ではない。かすかに人が通った跡はある。だが、日常的ではない。
「……もう少し行ってみよう」
「はい」
進む。
途中で何度か足を止め、素材を確認する。良さそうなものを少量ずつ採取し、袋に入れる。重さはまだ問題ない。
「……これくらいなら持てるね」
「許容範囲内です」
クロエが答える。
シャーロットは軽く頷く。
無理はしない。
持てる分だけ。
それでいい。
やがて、視界の先に少し開けた場所が見えてくる。木々が途切れ、空間が広がっている。
「……あれ?」
シャーロットが足を止める。
クロエも同じ方向を見る。
「人工的な構造があります」
「……建物?」
遠くに見えるのは、小さな建物のようだった。完全に崩れてはいないが、整っているとも言い難い。周囲の雰囲気も、どこか静かすぎる。
「……村、かな」
シャーロットは小さく言う。
クロエは短く答える。
「可能性が高いです」
だが、違和感がある。
煙が上がっていない。
人の声が聞こえない。
動きがない。
「……ちょっと様子おかしくない?」
「活動反応が少ないです」
シャーロットは少しだけ考える。
戻るか。
進むか。
「……確認だけしよう」
小さく言う。
クロエは頷く。
「注意が必要です」
「分かってる」
シャーロットはゆっくりと歩き出す。
足音を少し抑える。
周囲を見ながら進む。
建物が近づく。
数は多くない。
小さな村のような規模。
だが、やはり静かだ。
「……人、いるのかな」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。
「気配はあります」
「あるの?」
「微弱ですが」
シャーロットは息を少しだけ整える。
完全に無人ではない。
だが、普通ではない。
「……行こう」
小さく言う。
その一歩は、今までとは少しだけ違う意味を持っていた。
素材を探しに出たはずだった。
だが――
その先で、何かに出会う気配がある。
シャーロットは静かに歩みを進める。
その先にあるものが、何なのかまだ分からないまま。




