■第4章 第3節:新装・白花の薬屋(中)
午前の対応を終えたあと、白花の薬屋の中には少しだけ静かな時間が戻ってきていた。扉を閉めたあとの空気はいつもと同じはずなのに、どこか違って感じる。机の上に並べた器具の位置が変わっただけで、空間の重心が変わったような感覚があった。
シャーロットは机の前に立ち、軽く手を置く。「……やっぱり、ちょっとやりやすいね」ぽつりと呟く。
クロエが答える。「動線が整理されています」
「それそれ」
シャーロットは少し笑う。
午前中の対応でも、その違いははっきり出ていた。容器を取る動き、渡すときの位置、戻す場所。すべてが少しずつ短くなっている。無駄な動きが減るだけで、疲れも変わる。
「……じゃあ、やってみるか」
そう言って、午後の作業に入る。
机の上に素材を並べる。袋から取り出し、状態ごとに分ける。その動きも昨日より自然になっている。迷いがない。
葉を一枚手に取る。
軽く潰して、香りを確かめる。
(うん、いい感じ)
そのまま金属の容器に入れる。
水を加え、火の器具に置く。
ここで、今までとの違いが出る。
「……あ、これ」
思わず声が漏れる。
火の強さが安定している。
今までは調整しても、微妙に揺れていた。強くなったり、弱くなったり。そのたびに様子を見る必要があった。
今は違う。
一度調整すると、その状態が保たれる。
「……これ、楽だね」
ぽつりと呟く。
クロエが言う。「安定しています」
「うん」
シャーロットは軽く頷く。
混ぜる。
様子を見る。
その流れが自然になる。
火を気にしすぎる必要がない。
それだけで余裕が生まれる。
「……これだけで結構変わるね」
小さく言う。
クロエは短く答える。「効率が向上しています」
シャーロットは容器を持ち上げる。
液体の色を見る。
「……揃ってるかも」
まだ完全ではない。
だが、昨日より明らかに差が小さい。
二つ目を作る。
三つ目を作る。
並べて見る。
「……やっぱり違うね」
ぽつりと呟く。
クロエが机の上を見る。「ばらつきが減っています」
「うん」
シャーロットは少しだけ息を吐く。
同じものを作れる。
それだけで、こんなに違うのかと思う。
「……これなら安心して出せるかも」
自然とそう思う。
今までも問題はなかった。
だが、どこか不安はあった。
今回は違う。
“だいたい同じ”ではなく、“ほぼ同じ”に近づいている。
その差は大きい。
シャーロットは次の工程に移る。
金属の容器から、陶器の容器へ移す。
冷ます。
その動きもスムーズだ。
置く場所が決まっている。
迷わない。
「……ほんと、やりやすいね」
ぽつりと呟く。
クロエは何も言わない。
だが、その様子を見ている。
作業は順調に進む。
一つ、また一つと完成していく。
派手な変化ではない。
だが、確実に違う。
それが分かる。
そのとき、外で足音が止まる。
扉の前で立ち止まる気配。
シャーロットは手を止める。
「……誰か来た」
クロエが視線を向ける。「一人です」
シャーロットは軽く手を拭き、扉へ向かう。
開けると、そこにいたのは井戸でよく会う老人だった。
「おう、薬屋」
相変わらずの呼び方だ。
「こんにちは」
シャーロットは軽く頭を下げる。
老人は中をちらりと見る。
「なんか、増えたな」
机の上の器具に目がいっている。
「ちょっとだけ整えました」
シャーロットはそう答える。
老人はゆっくりと中に入ってくる。
「見てもいいか」
「どうぞ」
シャーロットは少し横にずれる。
老人は机の前に立ち、器具を一つずつ見ていく。
火の器具、容器、袋。
その視線はただ眺めているだけではない。
確認しているような目だった。
「……ほう」
小さく声を出す。
シャーロットは少し気になる。
「何かおかしいですか?」
そう聞くと、老人は首を振る。
「いや、逆だ」
「逆?」
「ちゃんとしてる」
その言葉は短いが、はっきりしていた。
シャーロットは少しだけ驚く。
「そう見えます?」
「見える」
老人は机の端を軽く叩く。
すると、わずかに揺れる。
「……ここはな」
そう言って、少しだけ顔をしかめる。
シャーロットはその動きを見る。
「やっぱり分かります?」
「当たり前だ」
老人は軽く笑う。
「元々こっち側の人間だ」
「こっち側?」
シャーロットは首を傾げる。
「大工だよ、昔はな」
あっさりと言う。
「……大工」
思わず繰り返す。
「そうだ。家も机も、こういうのは全部見りゃ分かる」
老人はもう一度机を軽く押す。
「悪くはねぇが、安定してねぇ」
シャーロットは少し苦笑する。
「ですよね」
「力入れたらズレるだろ」
「ちょっとだけ」
「それが積み重なるとズレる」
その言葉は、さっき自分が感じていた違和感と同じだった。
「……やっぱり必要ですよね」
「作業台か?」
「はい」
老人は少しだけ考える。
机の周りを一度見てから、軽く頷く。
「……作るか」
「え?」
シャーロットは思わず声を出す。
「余ってる木がある」
「いや、でも」
「そんな大したもんじゃねぇ」
老人は軽く言う。
「今のよりマシになる」
シャーロットは少し言葉に詰まる。
突然の話だった。
「いいんですか?」
「祝いだ」
短く言う。
「祝い?」
「店だろ」
それだけだった。
シャーロットは少し黙る。
(祝い、か)
そんなことを言われるとは思っていなかった。
「……ありがとうございます」
自然と頭が下がる。
老人は気にした様子もなく手を振る。
「明日持ってくる」
「そんなに早く?」
「形だけならな」
シャーロットは少し笑う。
「助かります」
「使えるようにしてやる」
老人はそれだけ言って、外へ出ていく。
扉が閉まる。
静けさが戻る。
シャーロットはしばらくその場に立ったまま動かなかった。
「……まさかだね」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。「想定外です」
「ほんとに」
シャーロットは少しだけ笑う。
だが、悪い意味ではない。
むしろ――
(ちょっと嬉しいかも)
そう思う。
自分がやっていることが、ちゃんと“店”として見られている。
その結果としての言葉だった。
シャーロットは机の前に戻る。
手を置く。
少し揺れる。
「……明日変わるね」
小さく言う。
クロエが短く答える。「はい」
シャーロットはもう一度火の器具を見る。
容器を見る。
そして机を見る。
足りなかったものが、一つ埋まる。
それだけで、また変わる。
「……いい流れだね」
ぽつりと呟く。
クロエは何も言わない。
ただ、その言葉を否定しない。
それで十分だった。
白花の薬屋は、また一つ整えられようとしていた。




