■第3章 第1節:小さな村(上)
王都を離れてから、一日ほどが経っていた。最初は広く整備されていた街道も、進むにつれて人の数は減っていき、やがてすれ違う人影もほとんどなくなった。荷車の音も冒険者の声も遠ざかり、気づけば自分の足音だけがやけに大きく感じられる。
シャーロットはひとりで歩いていた。特に明確な目的地があるわけではない。ただ、王都に残る理由がなかったから少し離れてみようと思った、それだけだった。
(まぁ、どこかで落ち着ければいいかな)
小さく呟く。急ぐ理由はないし、追われているわけでもない。だから足の向くままに進んでいた。
やがて街道から外れた細い道に入る。石畳は途切れ、土の道がむき出しになり、左右には草が伸びている。踏み跡はあるが深くはなく、人の往来は多くないと分かる。周囲は静かだった。風に揺れる草の音だけが耳に残る。
しばらく歩くと、小さな村が見えてきた。低い柵で囲まれた簡素な集落で、家の数は十数軒ほど。煙突から細い煙が上がっている。
「……小さいね」
思わずそう呟く。王都とは比べるまでもない規模だ。それでも、畑があり、井戸があり、干された布が揺れている。確かに人が生きている場所だった。
少し迷ったあと、村の中へ入る。
すぐに気づいたのは“足りなさ”だった。建物は古く、補修の跡が目立つ。柵は歪み、畑にも余裕はない。人の動きもどこかゆっくりで、重さが残る。
道端に座る老人が腕に布を巻いているのが見えた。血は止まっているが、きちんと処置された様子ではない。少し離れた場所では子供が咳をしていて、母親が背中をさすっているが薬は使っていない。
(薬、ないかも)
直感的にそう思う。
王都ならあの程度の症状はすぐに薬を使う。ギルドも店もある。だがここにはそれがない。
「……そっか」
小さく呟く。そもそも物が届いていないのかもしれない。
広場に出る。中央には簡素な掲示板があり、修理や畑仕事の連絡が貼られているだけだった。薬のことは何もない。
(書いても意味ないのかも)
必要でも手に入らないなら、意味がない。
腰掛けに座り、村を眺める。大きな問題があるわけではない。ただ、小さな不便が積み重なっている。それがそのまま生活に影響している。
「……ここ、困ってる人多そう」
ぽつりと呟く。
しばらくして一人の女性が近づいてきた。
「旅の方ですか?」
「はい」
「薬、持っていたりしませんか? 子供が熱を出していて……」
ポーチを確認する。中身はほとんど残っていない。
「ごめんなさい、今はあまりなくて」
女性の表情が落ちる。
「でも、少しなら手伝えるかも」
「え?」
「薬草、ありますか?」
女性は籠を差し出す。中には乾きかけた薬草がいくつか入っていた。
シャーロットはそれを見て頷き、その場で簡単に混ぜる。
「これを少しずつ飲ませてください」
女性は何度も礼を言って去っていった。
その背中を見送りながら、シャーロットは小さく息を吐く。
(やっぱり、足りてないんだ)
薬がない。人もいない。だから小さな不調がそのまま残る。
自分の手を見る。
(ここなら……)
少し考える。冒険者を続けることもできる。でも急ぐ理由はない。
(薬、作れるかも)
ここなら必要としている人がいる。
「……いいかも」
そのときだった。
背後に、気配が現れる。急にというより、ずっとあったものに気づいた感覚だった。村の静けさとは違う、重さのある気配。
ゆっくり振り返る。
黒い髪の少女が立っていた。年齢は同じくらいに見えるが、その存在だけがわずかに浮いている。
視線が合う。金色の瞳。
「……来たんだ」
「随分と、離れましたね」
静かな声だった。
「帰ったんじゃなかったの?」
「帰る理由がありません」
即答だった。
「ついてきた感じ?」
「結果としては、そうなります」
曖昧でいて、はっきりしている。
「そっか」
それ以上は聞かなかった。理由よりも、今ここにいることの方が大事だった。
少し間が空く。
「ね、ここどう思う?」
少女は村を一瞬見渡す。
「物資不足、人員不足。効率は悪い環境です」
「うん、そんな感じ。でも、だからいいかなって」
「理由は」
「薬、足りてないから」
短く答える。
「ここなら、ちょっとやれば助かる人いそうだなって」
少女は黙って聞いている。
「全部は無理だけど、見える範囲なら」
少しの間のあと、少女は言った。
「おすすめはしません」
「でも止めない?」
「止めません」
「じゃあ、やる」
迷いはなかった。
少女は少しだけ目を細める。
「……理解はできます」
その言葉で十分だった。
「じゃあさ、一緒にいる?」
「理由は」
「なんとなく」
少しの沈黙。
やがて少女は頷いた。
「問題ありません」
それだけで決まる。
「じゃあ、よろしく」
「クロエで構いません」
「名前あったんだ」
「必要になるので」
「そっか」
違和感はなかった。
シャーロットは立ち上がる。
「まずは住む場所探そっか」
歩き出す。
クロエは一歩遅れてついてくる。その距離は近すぎず遠すぎず、でも“ひとり”ではない距離だった。
小さな村。何もない場所。
でも、だからこそ始めやすい場所。
「……ここ、いいかも」
「静かではあります」
「うん、静かに暮らせそう」
「本当に静かで済むかは分かりません」
「え?」
「あなたは普通には作れません」
「薬の話?」
「はい」
「普通に作るよ?」
クロエは少しだけ目を細めた。
「それが少し不安です」
意味は分からないが、とりあえず歩くことにした。
ここで何をするかは、まだはっきりしていない。
それでも――
ここから始めるには、ちょうどいい場所だった。




