■第10章 第5節:気づき
夜。
古びた宿の部屋は、やけに静かだった。
外からはかすかに人の声が聞こえる。笑い声も混じっている。だが、この部屋にはそれが届かない。空気が重いまま、動かない。
レオンはベッドに寝転がったまま、天井を見ていた。
「……クソだな」
小さく吐き捨てる。
返事はない。
ガルドは壁にもたれたまま、腕を組んでいる。目は閉じているが、眠っているわけではない。
セリスは窓のそばに立ったまま、外を見ていた。何を見るでもなく、ただ視線を向けている。
沈黙。
やがて、レオンが口を開く。
「……ここまでになるか?」
誰に向けた言葉でもない。
ガルドは答えない。
セリスも動かない。
レオンが続ける。
「依頼は減るし、店は断られるし、宿もこのレベルだし」
少し笑う。
「笑えねぇな」
その声は軽いが、感情は軽くない。
ガルドが低く言う。
「結果だ」
それだけ。
「結果ってなんだよ」
レオンが起き上がる。
「たかが数回ズレただけだろ」
「積み重なってる」
短い返答。
レオンは舌打ちする。
「だからってここまでやるか普通」
「ギルドはやる」
事実だけを返す。
セリスが小さく言う。
「……戻れるのかな」
その言葉で、空気が少しだけ変わる。
レオンが答える。
「戻るだろ」
即答。
「やり直せばいいだけだ」
迷いのない言い方。
だが、ガルドは何も言わない。
セリスも、すぐには頷かない。
「……同じやり方で?」
小さな問い。
レオンが少しだけ言葉を詰まらせる。
「……改善はする」
「どうやって」
その問いに、レオンは答えない。
答えられない。
ガルドが言う。
「詰める」
短く。
「無駄を減らす」
それも、今までと同じ言葉。
セリスは視線を落とす。
「……それ、前からやってる」
静かな指摘。
ガルドの表情がわずかに動く。
レオンが言う。
「じゃあ何が違うんだよ」
苛立ち混じりの声。
誰もすぐに答えない。
沈黙。
長く続く。
やがて、セリスがぽつりと呟く。
「……見えてた」
小さな声。
二人がわずかに顔を上げる。
「何が」
レオンが聞く。
セリスは少しだけ迷う。
だが、続ける。
「回復のタイミングとか……位置とか……」
言葉を探すように。
「誰がどこで動くかとか」
レオンが眉をひそめる。
「それ、今も見てるだろ」
「違う」
はっきりと言う。
「今は……遅い」
その一言で、空気が止まる。
ガルドは目を開ける。
セリスは続ける。
「分かるのが、遅い」
「だから間に合わない」
レオンが言う。
「じゃあ早く見ろよ」
「見てる」
セリスは答える。
「でも、間に合わない」
同じ言葉の繰り返し。
だが、意味は違う。
ガルドが低く言う。
「……前は間に合ってたってことか」
セリスは頷く。
小さく。
レオンが言う。
「じゃあなんでだよ」
その問いに、また沈黙が落ちる。
答えは、全員の頭に浮かんでいる。
だが――
誰も言わない。
レオンが先に視線を逸らす。
「……関係ねぇだろ」
小さく言う。
「誰か一人いなくなったくらいで、ここまで崩れるわけねぇ」
言い聞かせるような言い方。
ガルドは何も言わない。
セリスも、言葉を飲み込む。
(……関係ある)
そう思っている。
でも、口にはしない。
レオンが続ける。
「俺たちでやってきたんだ」
「今までも、これからも」
強めに言う。
だが、その言葉はどこか空回っている。
ガルドがゆっくりと息を吐く。
「……立て直す」
それだけ。
結論のようで、結論ではない。
セリスは窓の外を見る。
街の灯りが遠くに見える。
その中に、見慣れた場所もあるはずだった。
だが、もうそこにはいない。
レオンが小さく呟く。
「……あいつがいれば」
一瞬、空気が止まる。
だがすぐに、レオンは顔をしかめる。
「……いや、関係ねぇ」
吐き捨てる。
「たまたまだ」
同じ言葉。
何度も繰り返している言葉。
ガルドは目を閉じる。
セリスは何も言わない。
誰も、完全には認めていない。
だが――
薄く、確実に気づき始めている。
何が足りないのか。
何を失ったのか。
それでも、まだ言葉にはしない。
その距離が、ほんの少しだけ残っていた。




