崩れた机
ドアを開けた瞬間、空気が変わった。
静かすぎる。
人が死んだ場所特有の重さ。
だがそれ以上に——
(整いすぎている)
「こちらです」
案内役の警官が言う。
「原田航さん、ですね。話は聞いています」
「ああ」
短く返す。
別の警官が小さく笑った。
「いいご身分だな。ツテってやつか?」
「……慣れてますよ」
視線だけで返す。
「これ解決すれば、何も言われなくなりますし」
「キザだな」
小さな空気の揺れ。
(どうでもいい)
視線を奥へ向ける。
そこに——橘かのんがいた。
椅子に座ったまま。
背筋を伸ばし。
崩れることなく。
そして——笑っていた。
(……違和感)
ゆっくりと近づく。
争った形跡はない。
机も、大きくは荒れていない。
だが。
(綺麗すぎる)
青酸。
その単語が浮かぶ。
本来なら、もっと乱れる。
もっと崩れる。
もっと——“死ぬ”。
だがこれは違う。
(“終わっている”)
静かすぎる。
まるで。
「触られていないみたいだな」
「え?」
「いや、なんでもない」
視線を机へ落とす。
整っている。
ペン。資料。マグカップ。
だが——
(ズレてる)
ほんのわずかに。右側だけ。
「……散らかってたって聞いてるか?」
「ええ、多少は」
「多少、ね」
指で机の端をなぞる。
(崩されたんじゃない)
(探されてる)
同じ範囲だけ。繰り返し。
(何を?)
顔を上げる。
「死亡直前、誰と?」
「黒川蒼介さんです。同じ衆議院議員で……会話中に突然倒れたと」
(会話中)
(自然な流れ)
(トリガー)
思考が静かに回る。
「他は?」
「秘書の西園寺真里、記者の桐生隼人。このあたりが直前に」
(全員、“関われる”)
だが——決め手がない。
橘の正面に立つ。
穏やかな顔。
苦しみはない。
(あり得ない)
青酸で、こんな死に方は。
「……おかしいな」
「何がです?」
「全部だよ」
短く言う。
「毒はある。なのに残らない」
「死んでる。なのに苦しんでない」
「現場はある。なのに痕跡がない」
一つずつ、重ねる。
「つまり——」
視線を落とす。
「“ここで殺されてない”」
空気が止まる。
「ですが、ここで倒れて——」
「“死んだ”のは、な」
言葉を切る。
「殺されたのは、別だ」
沈黙。
(まだ足りない)
机を見る。
違和感は、ここにある。
「……これ、誰が管理してる」
「主に秘書ですね」
(管理)
(配置)
(規則性)
なら——
(崩れた理由がある)
「直前の様子は?」
「落ち着いていたと。ただ……何か探していたような仕草が」
(探していた)
机。手元。
(頻繁に使うもの)
(小さいもの)
(ないと困るもの)
「手は?」
「手、ですか?」
「触ってなかったか」
「そこまでは……」
「そうか」
息を吐く。
(ピースが一つ足りない)
だが、形は見えている。
「最後に一つ」
振り返る。
「黒川蒼介、呼べるか?」
「……可能です」
「なら呼べ」
ドアへ向かう。
(こいつが——)
ノブに手をかける。
(“トリガー”だ)
開ける。
廊下。
足音が近づく。
軽く。迷いなく。
そして——
「呼ばれた気がして」
振り返る。
そこにいた。
笑っている。
この状況すら楽しむように。
「初めまして。黒川蒼介です」
——空気が、変わった。




