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紫 I

翌日。


サクラ本部。


朝。



「……でさー、そのあと颯真くんがね?」


「俺のせいみたいに言うな」


「えー?違ったっけ?」


「八割お前のせいだろ」



いつもの声。


いつもの空気。



航は入口の前で少し立ち止まる。


昨日のことが頭をよぎった。


泣いた。


しかも、あいつらの前で。


最悪だ。



「……はぁ」


小さくため息をついて、中へ入る。



「あ、おはよー航くん」


晴が気づいて手を振る。


颯真もちらっとだけ視線を向けた。


「おはようございます、原田さん!」


「昨日の任務すごかったらしいですね!」


話したこともない周りの隊員たちも声をかけてくる。


「…は?」


「そこは、そーだろ?とか、ありがとー!とかでいいんだよ!」


「……ども」



誰も、昨日のことに触れない。



それが逆に、少しだけ救いだった。



「……おう」


航は席に座る。


すると、


コトッ。


机の上に缶コーヒーが置かれた。



「糖分足りてなさそうだったから」


颯真。



「……」


航は数秒黙る。



「お前、俺をなんだと思ってんだ」


「面倒くさい後輩」


「殺すぞ」


「元気じゃん」



その瞬間。


晴が吹き出した。


「っふ、あははっ!」


「よかったー!航くん通常運転戻ってる!」


「うるせぇ」



でも。


少しだけ。


本当に少しだけ。


空気が軽かった。



その時。


晴の端末が鳴る。


ピコン。



「あれ」


晴の笑顔が少し消える。



颯真の手が、一瞬だけ止まる。


ほんの0.5秒。


すぐに画面へ戻るが、その“間”だけが違っていた。



航がそれに気づく。


「……なんだよ」



晴は数秒黙ったあと、


静かにタブレットを航へ向けた。



そこに映っていたのは。


拘束室。


暗い部屋。



そして。


紫色の仮面。



航の呼吸が止まる。



「……これ」



晴が、少しだけ言い淀む。


いつもの軽さがない。


「昨日捕まえた個体」



画面が切り替わる。


識別データ。


解析結果。



その瞬間。


0.5秒だけ、無音になる。


本部の音も、遠くなる。



【対象識別名】


【三内 朔】



「……は?」


声が遅れて出る。


視界が一瞬だけ白くなる。



颯真が、わずかに間を置いて言う。


「……確認が取れた」


「紫の個体は、三内朔だ」


その“言い切り方”が、少しだけ重い。



航の指先が震える。



「……待て」


「いや、待てよ」


呼吸が浅くなる。



晴が口を開きかけて、止める。


その一瞬の迷いが見える。



「朔がそんなことするわけねぇだろ!!」



勢いよく立ち上がる音。


椅子が鳴る。


本部中が静まり返る。



「え……」


「原田……?」


「うそ、あんな怒鳴るんだ……」


「いつもクールなのに」



ざわつきが広がる。



でも航は止まらない。



「ふざけんなよ……!」


「朔がそんなことするわけねぇだろ!!」



息が乱れる。


胸が痛い。



「昨日のあれが朔?」


「意味わかんねぇだろ……!」



その時。


不意に記憶が蘇る。



夕方の河川敷。


風の匂い。


走る小さな背中。



『光兄さん!』


振り返って笑う。



『見てこれ!すごくね!?』


『だから走んなって!』


笑い声。


夕焼け。


くだらない時間。



――現在。



「朔は……」


航の声が震える。



「なんでもねぇ」



その言葉が少しだけ崩れる。


否定しきれていない。


“信じたい”が混ざっている。



静寂。



晴は何も言わない。


でも、その目は少しだけ細い。


眩しいものを見るみたいに。



颯真は航から視線を外さない。


逃がさないでもなく、責めるでもなく。


ただ、見ている。


“崩れる瞬間”を見届けるみたいに。



航は拳を握る。


震えている。



「……会わせろ」


掠れた声。



「朔に」



沈黙。



そしてもう一度。


今度は、願うみたいに。



「……会わせてくれ」

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