なみだ
夜。
任務帰り。
雨上がりの街は、ネオンが滲んでいた。
濡れたアスファルトが光を反射して、
世界全部がぼやけて見える。
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「じゃ、また明日ねー!」
晴が軽く手を振る。
「報告書忘れんなよ」
颯真はそれだけ言って歩き出す。
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「……おう」
航は短く返した。
いつも通り。
本当に、いつも通りのはずだった。
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二人の背中が遠ざかっていく。
一人になる。
その瞬間だった。
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「……っ」
呼吸が、妙に浅い。
胸の奥が重い。
理由は分からない。
いや、
分かりたくない。
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航は自販機の前で立ち止まる。
適当に缶コーヒーを買う。
温かい。
なのに、指先は冷たい。
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プシュ。
缶を開ける音だけが、やけに響いた。
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(……なんだよ)
自分に言う。
(終わっただろ)
任務は成功した。
データも回収した。
怪我もない。
いつも通りだ。
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なのに。
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脳裏に焼き付いて離れない。
あの背中。
街灯に照らされた、逃げる男。
少し猫背な立ち姿。
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まるで、
朔みたいだった。
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「……は」
乾いた笑いが漏れる。
「何考えてんだ、俺」
ありえない。
いるわけない。
もう、何年も会ってない。
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なのに。
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『光兄さん!』
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不意に、声が蘇る。
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夕焼けの河川敷。
前を走る小さな背中。
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『早く!』
『ちょ、待てよ!?』
『またなーい!』
笑い声。
風の匂い。
夕日の色。
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「……っ」
呼吸が止まる。
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次の瞬間。
視界が滲んだ。
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「……は、」
うまく息が吸えない。
胸が苦しい。
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なんで今なんだよ。
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今まで平気だった。
ちゃんと笑えてた。
普通に生きれてた。
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なのに。
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「っ、は……」
声が漏れる。
止めようとする。
でも、一回壊れた呼吸は戻らない。
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涙が落ちる。
一滴。
また一滴。
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「……なんで、」
掠れた声。
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今さら。
本当に今さら。
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「……遅ぇよ」
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その時だった。
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「おー、いたいた」
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後ろから声。
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振り返れない。
こんな顔、見られたくない。
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「……帰ったんじゃなかったのかよ」
無理やり声を出す。
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晴が少し笑う。
「航くん、絶対一人で抱え込むタイプだからねー」
「心配になって戻ってきちゃった」
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その隣で、
颯真が缶コーヒーを投げて寄越す。
航は反射的に受け取る。
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「……何」
「差し入れ」
「いらねぇ……」
「そう言うと思った」
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沈黙。
夜風だけが吹く。
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航は顔を隠すみたいに俯いた。
でも、
肩の震えは止まらない。
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晴が静かに言う。
「泣けるんだね」
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「……は?」
少しだけ苛立った声。
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晴は笑わなかった。
茶化しもしない。
ただ、まっすぐ言う。
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「いや、安心した」
「ずっと、“止めてる人の顔”してたから」
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航の呼吸が止まる。
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颯真が自販機にもたれたまま言う。
「泣くのって別にダサくねぇよ」
「…。」
「むしろ、泣けねぇ方が危ねぇ」
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「…………」
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「壊れる時ってさ」
颯真は夜空を見る。
「静かなやつから壊れるから」
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その言葉で、
何かが決壊した。
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「……っ、」
航は唇を噛む。
でも涙は止まらない。
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「俺、」
掠れた声。
「ちゃんと、平気なつもりだった」
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颯真が即答する。
「全然」
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「っ……」
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「初日から、“無理して笑ってる奴の顔”してた」
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航の呼吸が止まる。
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晴がぽつりと言う。
「人ってね」
「本当に大事だったものは、消化できないんだよ」
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「時間じゃなくて、“きっかけ”で崩れる」
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涙がまた落ちる。
うつむいても、誤魔化せないほどに。
呼吸が、うまくできない
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でも、
本当はずっと苦しかったんだ。
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晴がしゃがみ込んで、航の顔を覗く。
「航くん」
「……なんだよ」
「今泣けてよかったね」
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「……は?」
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「泣けるうちは、まだちゃんと人間だから」
「泣けてりゃ、万々歳だ。」
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その瞬間。
航の目から、また涙が溢れた。
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颯真はそれを見ても、何も言わない。
慰めない。
触れない。
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ただ、
逃げないように、そこにいた。
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夜風が静かに吹く。
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航は顔を隠したまま、小さく笑う。
泣いているのに。
声はぐちゃぐちゃなのに。
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「……最悪だ」
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晴が笑う。
「うん、最悪だねー」
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でも、
その笑い声は、少しだけ救いみたいだった。




