成瀬まりという女 その2 データ
「……サクラのデータ、まだ残ってるんだよな」
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航は少し間を置いてから、短く返す。
「……そうか」
それだけ。
何の意味も乗せない、ただの受け答え。
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「……なんで俺にそれを言おうと思ったんだ?」
また沈黙。
エンジンの余熱だけが、車内に残る。
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まりの肩が、ほんのわずかに揺れた。
「……」
一瞬だけ、言いかけて、やめる。
喉の奥で何かが引っかかったみたいに、息だけが落ちる。
「ハッ……」
乾いた笑い。
でも、それは笑えてない。
「それもそうだな」
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また、沈黙。
さっきより少しだけ重い。
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まりはドアの外に片足を出したまま、しばらく動かない。
視線がどこにも定まっていない。
いや、どこか一点を見ないようにしている。
(言うべきじゃなかった)
(いや……言わない方が、もっと悪い気がした)
そんな考えが、どこかで絡まっている。
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小さく息を吐く。
「……悪いな」
その声だけ、少しだけ遅れて落ちた。
謝る理由は一つじゃない。
それが余計に、重い。
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「行くか」
それだけ言って、車の外へ出る。
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残された車内。
航はすぐには動かない。
(……今の、どう返すのが正解なんだ)
(何も言わないのが正解なのか)
(いや、違う気がする)
(あいつ、今の……)
頭の中で言葉だけが回る。
どれも届かないまま、止まらない。
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胸の奥に、引っかかりが残る。
理由のわからない罪悪感だけが、静かに沈んでいく。
(俺、何か間違えたか?)
答えは出ない。
ただ、視線だけが前に残った。
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「うちは他の仕事がまだ残ってるから、お前は荷物持ってさっさと帰りな。一応毎日出勤しないとダメだ。まあ、任務ない奴は好きにしてるけどな。じゃ、おつかれ」
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その言葉が、やけに軽く聞こえた。
さっきの沈黙とは、つながっていないようで、どこか切れていない。
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航はようやく、車のドアに手をかけた。
航が家に着いたのは、夜もかなり遅い時間だった。
鍵を開けてドアを押すと、いつも通りの静けさが返ってくる。
「……ただいま」
奥から、すぐに声が返る。
「どうだった?」
リビングの方から顔を出した陸は、すでにソファに座っていた。
航は靴を脱ぎながら、少しだけ肩を回す。
「まあまあ、思ってたよりスケールがデカかった」
陸は一瞬だけ目を細める。
「そりゃそうだろ。警察の裏組織で、選ばれた奴しか入れないんだからな」
「そー、だな」
返事は短い。
言葉に力が入らない。
航はそのままリビングを横切る。
「今日はちょっと寝たい」
「そうか。飯は?」
「んー、いいや」
「そうか」
それ以上、会話は続かなかった。
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自分の部屋に入る。
ドアを閉めた瞬間、外の音が一気に遠くなる。
静かすぎて、逆に落ち着かない。
(……サクラのデータ)
まりの顔。
車内の沈黙。
「なんで俺に言ったんだ」
あの言葉だけが、何度も頭の中で再生される。
正解がわからないまま放り出された感じだけが残っている。
(あれ、ただの仕事の報告だったのか)
(それとも、何か別の意味があったのか)
考えようとするほど、輪郭がぼやけていく。
ベッドに腰を下ろしても、疲れは抜けない。
むしろ、静かになった分だけ思考がはっきりしていく。
(……気まずい、ってなんだよ)
自分で自分に突っ込む。
でも答えは出ない。
天井を見上げたまま、航はしばらく動かなかった。
翌日。
特に大きな事件があるわけでもなく、空気は妙に静かだった。
出勤しても、指示は少ない。
「今日は待機でいい」
それだけ言われて、航は早々に手持ち無沙汰になった。
(やること、ねぇな)
周囲も同じように散っている。
資料整理をする者、端末を眺める者、ただ椅子に座っている者。
この場所は、忙しい時と暇な時の差が極端だ。
航はふと思い出す。
(サクラのデータ)
昨日のまりの言葉が、妙に引っかかっていた。
なんとなく端末を開く。
権限はすでに付与されている。
画面に表示されるフォルダ一覧。
「S-Archive」
無意識に、その中へ入る。
膨大な人物データ。
コード番号、評価、任務履歴。
人間を“情報”として並べた一覧。
(……こういうの、普通にあるんだな)
軽くスクロールしていく。
最初はただの作業だった。
だが、途中で指が止まる。
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「成瀬優芽」
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名前。
それだけで、視界が一瞬だけ引っかかる。
他と同じようにコードが付いている。
評価ランク。
簡単な経歴。
でも、その一行だけが妙に浮いて見えた。
(成瀬……)
同じ苗字。
偶然なのか、それとも。
航は無意識に息を止める。
クリックする。
詳細データが開く。
そこには、淡々とした情報が並んでいた。
年齢、適性、過去の経歴断片。
そして——
「特記事項:感情安定性にやや揺らぎあり」
その一文だけが、やけに生々しく感じた。
(……なんだこれ)
画面を見ているのに、視線が遠くなる。
ただのデータのはずなのに、どこかで“昨日の空気”と繋がっていく感覚がある。
車内の沈黙。
まりの一言。
「サクラのデータ、まだ残ってるんだよな」
(これ、関係あるのか)
確信はない。
でも、無関係とも思えない。
航は画面を閉じかけて、少しだけ手を止めた。
顔写真。
一瞬、思考が止まる
(…)
航の、いや、光の妹。
そう思った瞬間、すぐに否定しようとした。
ーでも。
できなかった。
似ている、というより“そっくり”
(…いや、そんなはずはない)
心に、なぜかひっかかるような気がした
回収、直しました!今後にもつながる感じなので、是非読んでください!




