本部
陸が一歩だけ横にずれる。
「こいつが上だ」
空気が止まる。
カウンターの奥の男は、視線だけをこちらに向ける。何も言わない。ただ見ている。
「……は?」
「いや、上って何のだよ」
男は答えない。コーヒーを置き、布でカップを拭く。動きに無駄がない。
一拍。手がわずかに止まる。
視線が航に落ちる。少しだけ下がる。
静かに目を閉じる。一瞬だけ、何かを押し込むみたいに。
「……下に行くぞ」
何事もなかったように言う。
須藤がカウンターから出る。航の横を通る。
「ついて来い」
(……今の)
引っかかる。でも理由は分からない。
カウンター横の何もない壁。須藤が触れる。
カチ。
壁がずれる。空間が開く。
(またかよ)
「コンビニじゃねぇのかよ、次」
「残念だったな」
軽く返す。
階段が現れる。
「足、気をつけろよ。落ちると普通に痛いから」
「普通にってなんだよ」
「そのままの意味」
降りるごとに空気が変わる。喫茶店の気配が消える。
地下。扉が開く。
そこは——会社だった。
「……は?」
広いフロア。デスク、PC、書類。一応会社。
でも違う。静かすぎる。人が少ない。
机に突っ伏してるやつ。スマホ見てるやつ。ぼーっとしてるやつ。
誰も急いでない。
「ここがサクラの中」
「……会社じゃねぇか」
「見た目はな」
須藤は歩き出す。航もついていく。
「部署とかないのかよ」
「ないな」
「じゃあ何してんだよ」
「好きにやってる」
「は?」
「結果さえ出せばいい。それ以外は自由」
(やばい組織だな)
通路を進む。人とすれ違う。誰も見ない。誰も止まらない。ただいるだけ。
須藤が少し止まる。振り返る。
一瞬、また視線が落ちる。すぐ戻る。
「……来い」
それだけ言って歩き出す。
(なんだよ)
引っかかる。でも分からない。
そのままついていく。
ここが——“サクラの中”だった。




