選択
夜。
同じ道を辿る。
横断歩道。
赤。
渡る。
音が削れる。
路地。
匂い。
物干し。
チョークの線。
増えている。
重なっている。
消して、なぞって、また引いて。
「……必死だな」
小さく吐く。
線を踏まない。
——鳴らない。
声は来ない。
そのまま進む。
何も起きない。
角。
靴。
触らない。
校舎が見える。
止まらない。
扉に手をかける。
押す。
音は鳴らない。
廊下。
匂い。
光。
教室。
三人。
同じ位置。
同じ距離。
同じ顔。
「おかえり」
揃う。
昨日より、揃っている。
俺は入らない。
扉の前で止まる。
一歩、踏み込まない。
視線だけを向ける。
凛。
湊。
——蒼。
蒼を見る。
合う。
一拍もなく、笑う。
「どうしたの?」
自然だ。
ズレはない。
俺は動かない。
「帰るぞ」
短く言う。
三人は笑う。
「ここにいるよ」
揃う。
ズレがない。
俺は、同じ場所で言う。
「名前、言え」
間を置かない。
「白石凛」
「黒瀬湊」
「朝比奈蒼」
揃う。
速い。
俺は一歩、踏み込む。
床は鳴らない。
「もう一回」
短く。
三人が同時に口を開く。
その瞬間——
「——蒼」
被せる。
空気が止まる。
一瞬。
凛と湊が、蒼を見る。
蒼の口が止まる。
ほんのわずか。
遅れる。
「……あ」
小さい。
揃っていない。
俺は、もう一歩踏み込む。
距離を詰める。
「お前の名前だ」
低く言う。
蒼の目が揺れる。
「……あお、い」
区切る。
ゆっくり。
凛が言う。
「同じだよ」
湊も続く。
「ね」
速い。
被せる。
蒼の視線が揺れる。
二人を見る。
俺を見る。
黒板を見る。
——おかえり
——ただいま
重なっている。
蒼は口を開く。
「……ただい——」
止まる。
息が乱れる。
俺は言う。
「言え」
短く。
蒼の喉が動く。
「……ちがう」
小さい。
だが——
はっきりと。
その瞬間。
空気が歪む。
黒板の文字が滲む。
凛と湊の笑顔が、止まる。
一瞬。
完全に。
そして——
揃い直す。
「同じだよ」
「ここだよ」
速い。
正確に。
奥。
気配が濃くなる。
遅れて。
圧がかかる。
音が削れる。
だが——
俺は動かない。
視線は蒼のまま。
「来い」
一言。
手は伸ばさない。
蒼は動かない。
後ろ。
「ここだよ」
「帰ってきたでしょ」
「大丈夫」
重なる。
速い。
蒼の足が揺れる。
前へ。
ほんの数センチ。
止まる。
振り返る。
凛と湊。
同じ顔。
同じ笑顔。
「……ここ」
小さく言う。
確認するみたいに。
俺は答えない。
ただ言う。
「名前」
蒼の呼吸が乱れる。
「……朝比奈」
一拍。
奥の圧が、強くなる。
遅れて、追いつくみたいに。
「蒼」
はっきり。
揃っていない。
その瞬間——
世界が、崩れる。
黒板の文字が歪む。
——おかえり
——ただいま
重なりがズレる。
音が戻る。
床が軋む。
風が入る。
凛と湊の表情が、崩れる。
一瞬だけ。
人間みたいに。
蒼が、一歩前に出る。
止まらない。
もう一歩。
距離が縮まる。
奥の圧が——遅れて崩れる。
消える。
蒼が、俺の前に立つ。
息をしている。
はっきりと。
俺は何も言わない。
蒼も、何も言わない。
後ろで、声。
「おかえり」
ひとつだけ。
揃っていない。
誰の声か、分からない。
振り返らない。
そのまま歩く。
蒼も、ついてくる。
足音が鳴る。
はっきりと。
廊下。
外。
音が戻る。
完全に。
夜の空気。
風。
車。
全部。
止まらない。
少し歩いて。
「名前」
蒼はすぐに答えない。
数秒。
そのあと。
「……朝比奈蒼」
ゆっくり。
確かめるように。
俺は、小さく頷く。
それだけ。
振り返らない。
校舎は、見ない。
距離だけが開く。
やがて、角を曲がる。
見えなくなる。
それでも——
遠くで、一度だけ。
「ただいま」
声がした。
揃っていたかどうかは——
分からない。
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