柳蓮
風が落ち着く。長い直線。さっきまでの圧が少しだけ薄れる。
「なあ」
航がもう一度声をかける。
「なんだ」
柳は前を見たまま返す。少しだけ間。
「事故、あっただろ」
その瞬間、ほんのわずかに空気が変わる。柳の肩が一瞬だけ止まる。
(やっぱりか)
「……何の話だよ」
声は軽い。でも、さっきと同じ軽さじゃない。
「東華の隊列」
「……」
「後ろ、死んでる」
言い切る。風が抜ける。返事はすぐには来ない。
「調べたのか」
低い声。
「まあな」
「……そうかよ」
それだけで終わる。またミラー。今度はほんの少し長い。
(見てる)
「なあ」
「なんだ」
「なんで、そこまで気にしてんだよ」
踏み込む。さっきより一歩だけ。
沈黙。風の音だけが続く。
「……別に。ただの癖だ」
「違うだろ」
被せる。一瞬、空気が止まる。
数秒の沈黙のあと、柳が小さく息を吐く。
「……お前さ。しつこいな」
怒ってるわけじゃない。でも近い。
「悪い。でも気になる」
似た言葉。その瞬間、柳の肩がわずかに揺れる。
「……は。気になる、か」
短く笑う。またミラー。今度は少し長い。
「……落ちるんだよ」
ぽつりと落ちる声。
「え」
聞き返す前に、
「……何でもねえ」
すぐに戻る。空気も戻る。
「つーかお前。高校入ったらやめるとか言ってたろ」
話を切るように、少しだけ明るくなる。
「ああ」
「どう思ってんだよ」
「何が」
「そのまま終わっていいのかって話」
風が抜ける。
「……別に。終わるなら、それでいい」
「そうかよ」
それ以上は言わない。ただまたミラー。今度は一瞬。
(……まだ見てる)
やがて速度が落ちる。コンビニの灯り。停まる。エンジンが落ちる。
静寂。
ヘルメットを外す。夜の空気が軽い。
柳が先に降りる。振り向かないまま言う。
「……あんま深く考えんなよ」
それだけ。軽い言い方。でも少し遅れている。
「お前には関係ねえから」
航は何も返さない。ただ背中を見る。
さっきまで何度も後ろを見ていた背中。
(関係ねえ、か)
視線を外す。
——あれは、癖なんかじゃない。
でも、
(まだ踏み込むところじゃない)
そう思った。
エンジンの余熱が、まだ残っている。
コンビニの灯りの下。夜は静かで、さっきまでの音が嘘みたいだった。
柳は缶コーヒーを開ける。プルタブの音だけが小さく響く。
航は少し遅れて隣に立つ。
少しの間、何も言わない。
さっきの言葉が、まだ残っている。
「……落ちるんだよ」
あれを、なかったことみたいに流していいのか。
一瞬だけ迷う。
でも——
「なあ」
声をかける。
柳がちらっとだけ視線を寄越す。
「なんだ」
軽い。もう、いつもの調子に戻っている。
だからこそ、踏み込む。
「暴走族、やめねぇの?」
一拍。
柳の手が、ほんのわずかに止まる。
でも、それだけ。
すぐに缶を口に運ぶ。
「……急だな」
苦笑まじり。
「別に」
航は視線を外したまま言う。
「なんとなく」
少しの沈黙。
柳は何も言わない。
ただ、飲み込む。
「やめてどうすんだよ」
ぽつり。
「普通に戻るとか」
「普通ね」
柳が小さく笑う。
「それ、お前が思ってるより簡単じゃねえぞ」
「そうか?」
「そうだよ」
即答。
でも、どこか乾いてる。
「お前みたいに、途中で降りれるやつばっかじゃねえ」
缶を軽く振る。中身はもうほとんど残っていない。
「降りるっていうか、最初から乗ってねえだろ」
航が返す。
「似たようなもんだ」
柳は視線を逸らす。
「外から見てるやつは、いつでも降りれる」
その言い方。
少しだけ、棘がある。
「中にいるやつは違う」
そこで、止まる。
続けない。
「……だから?」
航が聞く。
柳は少しだけ考えて、
それから、肩をすくめる。
「やめねえよ」
短い。
「やめらんねえし」
軽く言う。
でも、さっきと同じ軽さじゃない。
「なんでだよ」
思わず出る。
柳は答えない。
少しだけ空を見て、
それから、視線を落とす。
「……見てねえと」
小さく。
「また、落ちるだろ」
それだけ。
今度は、ごまかさない。
でも、全部は言ってない。
沈黙。
航は何も返さない。
言葉が、続かない。
(そういうことかよ)
隊列。
距離。
ミラー。
全部、繋がる。
柳は空になった缶をゴミ箱に投げる。
軽い音。
「……だからさ」
振り向かないまま言う。
「やめるとか、そういう話じゃねえんだよ」
航は、その背中を見る。
前を見てるくせに、
後ろを背負ってる背中。
(やめられないんじゃない)
(やめる理由が、違うんだ)
そう思った。




