優先順位の、外側
廊下に、静けさが戻る。
連行の足音は、もう遠い。
残ったのは、何も変わらない日常の音だけだった。
(終わった、か)
小さく息を吐く。
だが——
胸の奥に、何かが残っている。
「真面目な顔だね」
背後から、軽い声。
振り返る。
黒川蒼介が、壁にもたれていた。
「……いつからいた」
「さあ」
肩をすくめる。
「割と最初から?」
信用できない。
だが、どうでもいい。
「で?」
黒川は、こちらを見る。
「どう思った?」
「……何がだ」
「さっきの話だよ」
仁平の言葉が、頭の中で反芻される。
“正しい判断”
“仕方がない”
“優先順位”
どれも、否定できない。
だが——
「……わからねぇよ」
正直に言う。
黒川は、一瞬だけ目を細めてから笑った。
「いいね」
「それが一番まともだよ」
「まとも?」
「だってさ」
黒川は、ゆっくり歩き出す。
「どっちかに決めた瞬間に、“見えなくなる側”が出るでしょ」
足を止める。
「正しいって言い切れば、あいつの家族は消える」
「間違いだって言い切れば、助かった人たちが消える」
「どっちも、本当なのに」
沈黙。
言葉が、出ない。
黒川は軽く笑う。
「だからみんな、“仕方ない”で片付けるんだよ」
「便利だからね」
その言葉が、妙に残る。
「……お前はどうなんだ」
黒川は、少しだけ考えてから答える。
「俺?」
笑う。
「どっちでもいいかな」
あっさりと。
「ただ」
一歩、近づく。
「選んでるって思えるなら、まだマシだよ」
視線が、わずかに鋭くなる。
「だってさ」
「本当にヤバいのは、選んだことに気づかないやつだからね」
それだけ言って、黒川は背を向ける。
「じゃあね」
軽く手を振る。
途中で、航の隣に止まる
「君ってさ」
「ちゃんと壊れそうで安心する」
「ふふっ」
足音が遠ざかる。
一人になる。
窓の外を見る。
街は、何も変わらない。
人が歩き、車が走り、
誰もがいつも通りに過ごしている。
(ここでも、どこでも)
優しさはある。
正しさもある。
そして——
見えない“選別”も。
胸の奥に、引っかかる。
「……胸糞悪いな」
小さく吐き捨てる。
事件は、終わった。
だが——
何も、終わっていない。
机の上。
白い容器が、証拠袋の中で沈んでいる。
あれは、ただの道具だ。
誰かを救うこともできるし、
誰かを殺すこともできる。
使い方次第で。
「……結局」
呟く。
「選んでるのは、人間か」
答えは、返ってこない。
外に出る。
空気が、少しだけ冷たい。
人の流れに混ざる。
誰も、気づかない。
誰が選ばれて、
誰が選ばれなかったかなんて。
それでも。
——それでも、人は選ぶ。
意識しても、しなくても。
優しさのつもりで。
正しさのつもりで。
歩き出す。
振り返らない。
この世界が、どういう仕組みでも。
「……関係ねぇな」
小さく笑う。
「それでも、俺は見る」
何が起きているのか。
何が切り捨てられているのか。
全部。
見落とさないように。
雑踏の中に、消える。




