第9話 秋深まり予選は近づく
その後の修学旅行は、東大寺を拝観したり、鹿と触れ合ったり、春日大社を参拝して終わった。
伝統工芸体験では陶芸にも挑戦したけど、出来上がったのはゴミみたいな器だった。
お土産として持ち帰るのも拒否したくなるような代物で、陶芸家コントに出てくる気に入らない作品を叩き割る頑固爺さんの真似をしたくなったが、何とか踏みとどまった。
九条さんが笑ってくれたのだけがマジで救いだった。
あんなふうに、少し肩を揺らして笑う姿を見るのは初めてで――新しい一面を知れた気がした。
帰りの新幹線の中では、『ハイレベル英語ディベート完全攻略』の二周目を読み終えることができた。
総合的に見れば、楽しくて充実した修学旅行だったと言えるだろう。
もっとも、その修学旅行で同じ班として行動した俺と九条さんの距離が一気に縮まった、なんてことはなく。
いや、多少は縮まったかもしれないが……結局、いつもの日常に戻っていった。
◆◆◆
秋が深まる放課後の教室。
窓の外は茜色に染まり、長く伸びた影が黒板まで届いている。
「今日から模擬戦は英語でやろう」
僕はキメ顔でそう言った。
九条さんは、少しだけ目を細めて俺を見る。
「……確かにそろそろ始めないととは思ってたけど、大丈夫?」
「ふっ……俺を誰だと思ってる?」
「誰なの?」
「出口さんだぞ」
「……」
一瞬の沈黙。
お? これはもしや、とトレンディエンジェルの〇藤さんの真似をしてみたが、どうやら通じなかったらしい。
「て、てか大会参加の申し込みとか終わってるの?」
咳払いでごまかすように話題を変える。
「うん、修学旅行の前には申し込んでおいたから」
「さすがです。……そういや大会のルールとか全然分かってないんだけど、どんな感じなの?」
「そうね……どこから説明しようかしら」
九条さんは少し考えるように視線を上げ、顎に指を添えた。
「まず、高校ディベート界には二つの大きな大会があるの。一つは夏の甲子園。もう一つが冬の英語全国大会」
「ほう。高校野球みたいだな」
「私たちが今回目指すのは冬の大会。英語だからハードルが高くて、参加校も少ないわ」
「へぇ」
「東京の予選に参加するのは毎年10校くらいかな。チームとしては15くらいだと思う」
「そんなもんなんだ」
――ということは、玉田さんのチームとも普通に対戦する可能性があるな。
「HEnDUの予選は――」
「ヘンドゥ?」
聞き慣れない単語に、思わず眉をひそめる。
「あ、今回の主催。High School English Debate Union。略してHEnDU」
「ヒンズー教みたいだな」
小学生でも思いつきそうなことを言ってしまった。
「で、予選はスイスドロー方式」
「スイスドロー?」
またしても聞き慣れない単語だ。
窓の外の夕焼けが少しずつ群青色に変わっていく。
「勝敗の近いチーム同士で対戦するのよ。全部で4試合。連勝してたら連勝してるチームと当たる」
「ほう……。そうやって振るい落としていくわけか。で、何位までが全国に行けるの?」
「東京からは4チームね」
「え? 思ったよりハードル低いな。15チーム中4チームが行けるってことでしょ?」
「そうなるわね。四連勝すれば間違いなく行ける」
「でも4チームも四連勝できるとは考えづらいな。三勝一敗で並ぶこともあるんじゃない?」
「さすが出口君。鋭いわね」
九条さんの瞳が、夕陽の光を反射してキラリと輝いた。
「その場合は、スピーカーポイントで順位が決まる」
「スピーカーポイント?」
九条さんは指先で机を軽くトントンしながら続ける。
「論理の明確さ、説得力、構成、英語の正確さ・流暢さあたりが採点の基準ね」
「げ!! 流暢さまで!? 俺のジャパニーズイングリッシュじゃ厳しそう……」
「四連勝すればいいのよ」
「まぁ、そうだけど……」
「……あれ? あなたは誰なんだっけ」
これ、誘ってるよな?
絶対このネタ知ってるでしょ!?
「出口さんだぞ」
再び渾身のトレエン鉄板ネタを披露する。
今度は、九条さんも口元を押さえてクスクスと笑ってくれた。
――いや、それよりも英語の発音は完全に盲点だったな。
今日からデュオリンゴでも始めるか……。
「まぁ聞くまでもないと思うけど、九条さんは英語得意なんだよね?」
「え? 私を誰だと思ってるの?」
「誰なんですか?」
「九条さんだぞ」
少しだけ頬を染めながら放った、九条さんの渾身(?)のギャグ。
思わず俺がニヤリとしてしまうと、彼女は視線を逸らし、誤魔化すようにコホンと一つ咳払いをした。
「と、とにかく。私はニューヨークで生まれて、その後スイスやロンドンにいたから。日本に戻ってきたのは中一の夏。日本語よりも英語の方が得意なくらいよ」
「え? そんな人が参加していいの? ほとんどネイティブスピーカーじゃん」
「さすが出口君。鋭いわね」
……今日二回目だな、それ。
「原則としてネイティブスピーカーは禁止されてるわ。でもまぁ、そこはお金の力で何とかするから」
「またかよ」
冗談めかした会話が、放課後の教室に柔らかく響く。
窓の外では陽がすっかり傾き、紅色と群青が溶け合う空が広がっていた。
遠くからは運動部の掛け声と、かすかに聞こえる落ち葉を踏む音。
秋の夕暮れは、ゆっくりと夜の気配を連れてきていた。




