第10話 東京予選①
10月28日。
HEnDU主催『英語ディベート全国大会・東京予選』。
その会場は、皇居近くにそびえるホテル九条パレス。
王宮を思わせる威厳ある外観は、庶民の俺にはただただ圧倒的で、足を踏み入れるだけでも少々どころか、めっちゃ気が引ける。
大理石の階段、重厚な扉、手入れの行き届いた植栽――すべてが「非日常」を体現しているような感じ。
入口の前で、本当に入っていいのかと挙動不審に立ち尽くしていると、後ろから凛とした声が響いた。
「おはよう」
振り返らなくても分かる。
この声の響きは、九条さん以外ありえない。
「ういっす。おはよう」
そう返して振り向くと、そこに立っていたのは九条さんと、デカい外人。
身長190cm近くありそう。アメフト選手みたいな体躯に、パツパツのスーツ。そして何故か蝶ネクタイ。
……誰?
俺の戸惑いを瞬時に察したのか、九条さんがすぐに紹介してくれた。
「ああ、出口君はまだ会ったことが無かったっけ? うちの部の顧問のベイトマン先生」
「え? 顧問なんていたの?」
「いなきゃ活動できないでしょ……」
先生はにこやかに自己紹介してくる。
「どうも初めまして、出口君。英語教師のデイブ・ベイトマンです」
「あ、初めまして……宜しくお願いします」
デイブベイトマン……。
ディベートマン!?
本名なのか?
まるでディベートをやるために生まれてきたような名前やんけ。
「ワタシはルールとかよく分からない。頑張ってね」
ルール知らないのかよ!
名前負けが過ぎるだろ!!
「私が英語が流暢なのは、デイブ先生と日頃から会話してるから、という設定に使えるでしょ?」
「使える? 先生を何だと思ってるの!? え? 本当に顧問だよね??」
俺のツッコミを意に介さず、九条さんが小首をかしげて不思議そうに言う。
「というか、出口君、こんなところでウロウロしてどうしたの? あなたはただでさえ不審者みたいなんだから、余計怪しまれるじゃない」
「誰が不審者やねん! え? ちょっと待って!? てか九条さん、いつからそんな毒舌キャラになったの……!?」
「ほらほら、早く入りましょう」
振り返ると、朝の光がホテルのガラスに反射してキラリと輝く。
外の空気はひんやりとしていて、街路樹の葉は赤や黄に色づき、秋の朝がゆっくりと始まっていることを感じさせる。
「……金を使ってってこういう意味だったのね。今日だけでいくら位かかるの? 結構な数の部屋が必要じゃない?」
「いくら位かしらね? でも普段の大会って、むさ苦しい学校とかで開催されるのよ? ここで出来るならみんな大喜びでしょ?」
「……むさ苦しい。何か九条さん、露骨にキャラが変わってきたような」
九条さんは肩をすくめ、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「これが本来の私なのよ。安心して、あなた以外の前ではいつものように猫を被った私でいるから」
その笑顔を見て、ホテルの重厚な扉の前で少し身構えていた俺も、思わず力が抜ける。
秋の冷たい空気に混ざって、朝陽が淡く差し込むその光景が、どこか非現実的で――これから始まる大会の期待と緊張が入り混じった、独特の朝の空気だった。
◆◆◆
ホテルのロビーでは、海外からの観光客と思しき人たちが忙しそうに行き交っていた。
土曜の朝八時半。
これから観光名所へと繰り出していくのだろう。
スーツケースを転がす音や、賑やかな会話があちこちから聞こえてくる。
俺は九条さんについていき、大広間への扉を押し開けた。
目の前には、制服姿の男女や顧問と思しきスーツ姿の人たちが、すでに30人ほど集まっている。
手に持った資料をじっと読みながら、小声で熱心に打ち合わせをしている人たちもいた。
前方の舞台上には演台とマイク。その横には長机が左右に並んでいる。
ここで開会式や、最後の講評などを行うのだろう。
天井のシャンデリアは、木目の床や壁を淡く照らしている。
全体的に静かだが、空気のどこかに張り詰めた緊張感が漂っていた。
今日のモーション(論題)は、すでに通知されている。
肯定か否定か、どちらが当たっても良いように、両方とも準備しておかなければならない。
この一週間、俺と九条さんは放課後遅くまで議論を重ねてきた。
もちろん家に帰ってからも予習・復習はこなしている。
デュオリンゴで英語の学習も続けている。
だが今回戦う相手は九条さんではない。
実力もよく分からない、他校の生徒たちだ。
英語での大会に挑んでくるくらいだ。
間違いなく、相当手強いはず。
そんな俺の不安を、九条さんはすぐに察したらしい。
背後から、軽やかに声がかかる。
「どうしたの、出口君? ひょっとして緊張してる?」
「え? ……そりゃまぁ。こんな大会出るの初めてだし」
少し声が小さくなった自分に気づき、思わず肩をすくめる。
九条さんは口元に笑みを浮かべ、自信に溢れた表情で言った。
「心配しないで、出口君。全部うまくいく」
桓騎かよ!?
え、キングダム読んでんの?
思わず、「お頭!!」とか言って惚れそうになったわ。
いや、もう惚れてるんだけど。
――でも、ちょっとだけ緊張が解けたわ。
これが計算通りだったらマジで策士だな、九条さん。
秋の朝の光は大広間に満ち、静かな張り詰めた空気の中で、これから始まる戦いの鼓動が少しずつ聞こえてくるようだった。




