第4話 ありがとう
入学して二週間ほどが過ぎた。
俺は相変わらず放課後のディベート部で、毎回打ちのめされながらもなんとか食らいついている。
読まされている本のレベルもじわじわ上がってきて、今は『勝てる議論の組み立て方』という、論点の発見や筋道の立て方に加え、実戦形式の練習問題まで付いた中級レベルの本に手をつけ始めたところだ。
まぁいい。
それは置いといて、だ。
ようやくクラス全員の顔と名前を覚え、学校の空気にも馴染んできた。
A型なのに図々しいよねと言われる性格もあって、俺は最初からここにいたかのように振る舞ってはいるが、一つだけ気になることがある、というか気づいたことがあった。
それは――
九条さんが、このクラスに……いや、そもそもこの学校自体に馴染んでいないのではないかという疑念だ。
休み時間も昼休みも、彼女はふらっとどこかへ出かけ、授業が始まる少し前に戻ってくる。
男女を問わず誰かと仲良く談笑している姿を、俺はまだ一度も見たことがない。
いじめられているわけでも、無視されているわけでもなさそうだ。
ただ、周囲が必要以上に気を遣っていて、まるで腫れ物にでも触るような距離感を感じる。
九条さんに惚れている俺としては、上戸に聞いてみるしかない。
だが、あくまで自然に、さり気なく、だ。
「なぁ、九条さんって誰と仲いいんだろ? 九条さんの友達なら、同じディベート部員として挨拶ぐらいしとこうかと思って」
「挨拶って。そんなん本人に直接聞けや。……でも確かに、これといって思いつく奴はいないな」
「あれか? 女の世界は難しいってやつ。モテる女子は陰湿ないじめに遭ったり、ハブられたりとかする例のあれ」
「いや〜、さすがにそれは無いだろ。あの美貌に加えて、九条財閥のお嬢様だぞ。みんな恐れ多くて距離置いてるんだろうよ」
「九条財閥? ……え、九条商事とか九条電機とか九条地所の?」
「そうそう。うちの学校は金持ちが多いけど、その中でも群を抜いてるな。正真正銘のご令嬢様だよ」
「へぇ〜、そうなんだ。そんなお嬢様相手によくもまぁ身の程知らずに告白して玉砕してった奴が沢山いたもんだ」
「お前が言うな」
「俺はまだ玉砕していない」
あれ?
そう言えば俺が告白した時の論題は「恋愛において学歴や家柄は重要か」だったよな。
これって、もしかして。
――てか、そろそろ修学旅行の班決めだよな?
九条さん、誰と同じ班に入るんだろ。
◆◆◆
放課後。
いつも通り模擬戦でボコボコにされ、息も絶え絶えの俺。
今日のテーマは――『高校にAIを活用した授業を導入すべきである』。
俺は「導入すべき派」の立場で、AI教材の効率性や学習データの個別最適化について熱弁したが、九条さんは「慎重派」として一歩も引かない。
プライバシー問題、依存による思考力低下、AIによる誤情報のリスク……次々と鋭い反論が飛び、俺の主張は無残に切り裂かれ、ぐうの音も出なくなったところで終わりを迎えた。
帰り支度を始めた九条さんに、俺はあくまで軽く、さりげなく声をかける。
「そう言えば、そろそろ修学旅行の班決めだよね? 九条さんは誰と一緒になる予定なの?」
「え?」
不意を突いた質問だったのか、珍しく九条さんの表情にわずかな影が差した。
「そ、そうね。というか、参加するかどうかまだ決まってないわ。この時期、家の方で色々用事があったりするから」
「え? 家の用事? そんなの無視でしょ。高校生活最大のイベントなんだし」
「私にとっては来年のディベート甲子園が最大のイベントになる予定だけど……」
少し視線を逸らしてごにょごにょ言う九条さん。
「いやいや、修学旅行を経験するかしないかで今後の人生に大きな影響が出るよ」
「そんなわけないでしょ」
よし、単刀直入にいってみるか。
「ていうか、まだ決めてないならさ、俺と同じ班に入ってよ」
「え?」
俺の誘いはマジで予想外だったのだろう。
九条さんは目を瞬かせ、きょとんとした顔をした。
――可愛い。
いつも大人びている九条さんがこんな表情を見せてくれるとは。
「ほら、同じ班なら道中もみっちり模擬戦とかできそうじゃん」
「そ、それは確かにそうだけど」
「冬の英語ディベート全国大会だっけ? 地区予選まで日もあんまり無いしさ。ディベート部存続のためにもお願い」
俺はそう言って両手を合わせ懇願する。
「……た、確かに一理あるわね。地区予選なんかで躓くわけにはいかないし」
「やった! よし、決まりっと! 他のメンツは上戸は確定として……後は、誰か気が合わないやつとかいる?」
「いえ、特にはいないけど……」
「じゃあ、適当にあぶれた奴らでも拾ってくか。てか何人の班になるんだろ?」
そう言うと俺はよっこらせと鞄を肩に掛け、教室の扉に手をかける。
「ほんじゃ、おつかれ! また明日もよろしく!!」
そして扉を開け、廊下に出た瞬間――背中越しに柔らかな声が届いた。
「……ありがとう」
振り返ると、九条さんが微笑んでいた。
夕陽で透けた髪が金色に縁取られて、息をするのを忘れるほど綺麗だった。
――ん?
てか、何に対してのありがとうだろうか。
どう考えてもお礼を言うのはこっちの方だろ……。
九条さんと修学旅行を回れるなんて、これ以上の幸せなんて無いんだから。




