第37話 ディベート甲子園①
八月二日。
大会が始まる。
会場となる大学のキャンパスは、真夏の朝の光を受けて赤茶のレンガがきらりと光っている。
制服姿の高校生たちの緊張と期待が入り混じったざわめきを横目にとらえながら、俺は少し硬い足取りでその構内を歩いていた。
すると突然、後ろから背中を叩かれる。
「いてっ」
「おはよう!」
前髪パッツンの眼鏡女子──玉田さんだった。
薄着のせいで、いやでも強調されるその豊かな胸元に、本能的に視線がいきそうになるのを必死で堪える。
「おはよう」
「どう、調子は?」
「まぁ、ぼちぼちかな」
「予選の結果から、わたしたちが対戦するには、お互い決勝トーナメントに進まないとだね」
「だな。できれば決勝で当たりたいけど。ベタだけど漫画の王道的展開として」
「そうね、今回はハンデ無し。ちゃんと決着をつけたいもんね」
そんな会話を交わし、俺たちはお互いの健闘を誓い合って、芝生の風を受けながら固い握手をした。
受付を済ませ、開会式の会場であるホールへ向かう。
廊下の先からは、ざわざわと人の声が響いてくる。
ドアを押し開けると、全国から集まったチームが思い思いに席を取り、資料を広げたり声を掛け合ったりしている。
空調の効いた空間に、紙の擦れる音や笑い声が混じり合う。
そのざわめきの中に、見慣れた顔があった。
うちのメンバーだ。
「おいっす! 早いな」
「おう、おはよう。緊張して全然寝れなかったから、早めに出てきた」
「何でお前が緊張すんだよ」
「いや、何があるか分からないだろ? 誰か体調不良とかになったら俺に出番が回ってくるし」
「……なんだかんだ言いながら、お前も真面目に部活頑張ってきたじゃん。何の問題もねぇよ」
そう言って、上戸の肩をほぐし、リラックスさせてやる。
「出口君、すっかり貫禄が出てきたじゃない」
「HEnDUと今回の予選で大分場数を踏んできたからね。もう慣れたもんだよ」
「ふふっ、頼りにしてる」
九条さんは相変わらずの落ち着き。
ま、実際、彼女がいれば何とかなるだろうという安心感がある。
そして、開会式。
三十分ほどで終わると、会場の空気は一気に試合モードへと切り替わった。
◆◆◆
結局、初日は何の問題もなく連勝で終える。
反省すべき点もほとんどなく、自信を持って明日に臨むことが出来るだろう。
世野さんも一年生とは思えないほどの落ち着きで、スーパールーキーの片鱗を見せつけていた。
「皆さん、よく頑張りました。今日は美味しいご飯を食べて、しっかり睡眠取って、万全の調子で明日を迎えて下さい。では、解散!」
デイブ先生の締めの言葉で外に出ると、キャンパスはすっかり夕方の気配に包まれていた。
ほんのりとオレンジ色の光が建物や樹々を染め、長く伸びた影が地面に落ちている。
空気はまだ蒸し暑く、湿気が肌にまとわりつく。
「どうする? このまま帰る?」
上戸が誰にともなく、尋ねてくる。
「まだ明るいし、あたしはキャンパス内をちょっと見学したいかも。気分転換にもなるし」
「お、じゃ俺も付き合うわ!」
俺と九条さんは顔を見合わせる。
もちろん、上戸の想いは分かっている。
「私は帰るわ」
「俺も」
「私も帰ります!」
世野さんも何となく気づいているのかもしれない。
「お、そうか! じゃ、お疲れ! また明日!!」
上戸は嬉しそうな笑顔を隠しきれていない。
頑張れよ、と心の中で思いながら、俺は軽く手を振った。
駅に着くと、路線の違う世野さんと別れる。
俺たち二人きりになると、さっそく腕を絡めてくる九条さん。
いつから、こんなに積極的になったんだろう……。
いや、めっちゃ嬉しいけど。
ベンチに腰掛け、今日の試合について語り合う。
すぐに電車がやってきたが、九条さんは立ち上がる様子を見せない。
「あれ? 乗らないの?」
「別にそんな急ぐ必要ないでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
そのまま、何でもないような雑談を続ける。
ずっと指を絡めているので、じんわりと手汗をかいてくる。
しかし、九条さんは気にする素振りも見せない。
……まぁ、もっとヤバい体液を絡め合ったんだから、今さら手汗程度ってところか。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、むくむくと股間が膨張し始めた。
一瞬にして危機に陥った俺は、必死に他のことを考え、鎮めることに集中する。
そのせいで、九条さんとの会話も、ぼんやりとした返答しか出来なくなった。
「どうしたの? 試合の疲れが今になって襲ってきた?」
「……うん、何か思ってた以上に集中してたみたい」
試合では全く疲れていないけど、そう言って誤魔化すしかない。
「じゃ、次の電車乗ろうか?」
「そうだね……次の、次の、次くらいがいいかも」
「じゃ、ちょっとゆっくりしよ」
九条さんは俺の肩に頭を預けてくる。
いい匂いがふわっと鼻孔をくすぐり、せっかく鎮まり始めた股間がまた反応し始める。
俺はそこで深呼吸を一つして、ひたすら虚無の境地を目指し、何も考えないようにした。
そして、ちょうど三本目の電車がやってきた頃には、何とか腰を引かずに歩ける程度までには落ち着きを取り戻したのだった。




