第34話 人生で最も長い夜①
期末試験も終わり、高校生活最後の夏休みに突入した。
ディベート甲子園は八月二日から四日までの三日間。
今までの大会に比べると長丁場だが、一日あたり二〜三試合と、予選に比べれば試合数自体は少ない。
初日は予選で二試合、二日目は予選最終戦と決勝トーナメント一回戦、最終日は準々決勝から決勝までの三試合だ。
俺たちは大会に向けた総仕上げとして、再び九条さんの別荘で合宿することになった。
場所は前回と同じ軽井沢。
VIP仕様にカスタマイズされた、推定金額五千万円のベンツ『スプリンター』に意気揚々と乗り込む。
さすがに二回目ともなると、この高級車にも委縮することはない。
まるで自分の車かのように、その革張りシートへどかっと身を預ける。
「何回乗っても、緊張しますネ」
デイブ先生が笑いながらそう言った。
その巨体でも窮屈さを感じさせないゆったりとしたシートは、恐らく海外からの要人の送迎用として設計されているのだろう。
前日の夜は気持ちが高ぶってなかなか寝付けなかったこともあり、俺は車窓の景色を楽しむ間もなく、あっという間に眠りに落ちてしまった。
そして目を開けた時には、すでに軽井沢に到着していた。
◆◆◆
「前に来た時から三ヶ月も経ってないのに、何か懐かしく感じるな〜」
豪邸を前に、上戸が感慨深そうに呟く。
俺の視線は自然と、その屋根の方へ向かった。
九条さんとファーストキスを交わした、思い出の屋上だ。
今回も初日の夕飯までは、束の間の自由行動。
俺は前回、九条さんと手をつないでの探索ということで、緊張と興奮で本来の目的を果たせずにいた、あの廃墟へ再び向かうことにした。
今回は一人で行く。
やっぱり趣味は趣味として、九条さんとは切り離して楽しみたい。
廃墟探索一式を詰め込んだ小さなリュックを背負い、俺は出発した。
広いリビングでは、上戸と中澤さんが仲良く談笑している。
何も聞いてないけど、二人に進展はあったのだろうか。
方向音痴とは言え、さすがに二回目だから大丈夫だろう。
スマホのナビもあるしな。
そう自信を持って向かったものの、結局は迷いながら、何とか到着した。
前回より暑いとはいえ、さすが避暑地。
これくらいの気温がちょうどいい。
目の前にそびえるのは、廃病院。
苔やツタに覆われ、外壁は深い緑に染まっている。
窓はひび割れと汚れでぼんやり黒く曇り、いい感じの雰囲気を醸し出していた。
LEDヘッドライトの白い光に導かれ、俺はひんやりとした廊下を一歩ずつ進んでいく。
かつてここで営まれていた日常と、今の静寂との落差。
耳に届くのは、俺自身の足音だけ。
その音がやたら大きく響き、時間が完全に止まってしまったような感覚に襲われる。
しかし、その「止まった世界」を歩いていること自体が、高揚感を生むのだ。
閉ざされた病室を覗き込み、古びたベッドや機器を見つけるたびに、当時の光景を想像してみる。
探検というより、過去の欠片を拾い集めているような気分。
やがて、廊下の奥まで見て回り、ひとつひとつの部屋を丁寧に覗き終える。
隅々まで歩き尽くした満足感と、まだ少し名残惜しい気持ちを胸に、俺は廃病院を後にした。
◆◆◆
帰り道では少し迷いながらも、何とか別荘へ戻ることができた。
家政婦さんが夕食の支度をしているのだろう、香ばしい匂いが玄関先まで漂ってくる。
階段を上って自分の部屋へ向かおうとしたその時、九条さんと鉢合わせた。
「どこ行ってたの?」
「あー、例の廃病院まで、ちょっと探索に」
「一人で?」
「うん」
「……ふーん」
九条さんは何か言いたげな表情を浮かべながらも、結局何も言わずに階段を降りていく。
「もうすぐご飯だから、着替えたらすぐ来て。ゆっくりしてる時間はないから」
「了解」
その声には、どこか冷たい響きが混ざっているような気がした。
連れていかなかったことを怒ってるのかもしれない……。
夕飯のテーブルには、地元の信州牛を中心に、贅沢な料理がずらりと並んでいた。
しかし、満腹になってしまえば夜の部活動で頭が回らなくなる。
さすがの俺も腹八分目に抑え、満腹感になりたいという誘惑に必死で抗っていた。
対して上戸は、そんなことなどお構いなしに、デイブ先生に負けじと豪快に食いまくっている。
案の定、議題討論が終わり模擬戦が始まる頃には、上戸の目はすっかりトロンとしていた。
──うん、こいつは本番でも、やっぱり補欠だな。
活動を終え、それぞれが自分の部屋へと戻っていく。
俺はベッドに寝転がりながら、九条さんにLINEを送った。
「今日の夜、屋上に来れない? また二人で星を見たい」
すぐに返信が返ってくる。
「今から? 明日の方がゆっくりできそうだけど?」
「せっかくだから、明日はみんなで見ようよ」
「了解」
とりあえず、今夜はノープランで流れに身を任せることにした。
多分、寒くはないはず。
前回と違って毛布を用意してもらう必要もないだろう……。
――こうして、俺のこれまでの人生で最も長い夜が、静かに幕を開けたのだった。




