第32話 関東予選
六月の半ば。
俺たちはディベート甲子園の関東予選に挑んだ。
会場に着くと、すでに多くの高校生でごった返していた。
九条さんによれば、参加校は毎年三十以上。各校二チーム以上が出るので、合計七十チーム前後になるらしい。予選とはいえ、かなりの規模だ。
この中で四位以内に入れば、全国大会への切符を手にできる。
「事前に聞いてはいたけど……実際にこれだけの人数を前にすると緊張してくるな」
「HEnDUには参加することすら出来なかったチームばかりよ? 恐れることはないわ」
九条さんが不敵に微笑む。
「その通りでーす! 君たちなら全国へ行けます! 自信もって!!」
デイブ先生がいつも通り能天気に励ます。
あなた、さすがにディベートのルールは覚えたんだよね?
「いやいや、めっちゃ緊張するよな?」
そう言って俺の肩を叩くのは、レギュラーを外れた上戸だ。
お前は緊張する必要ないだろ……。
今回のチームは九条さん、俺、中澤さん、そして世野さん。
最後の一枠は、上戸と世野さんの争いになったが――連日の模擬戦で上戸は結局世野さんに一度も勝てず、文句が出ようはずもなかった。
「出口君! 九条さん! 今日はよろしく!」
元気な声に振り返ると、声をかけてきたのは玉田さん率いる桜坂高校のメンバーだった。
模擬戦以来の顔合わせだが、その表情には自信が満ちている。
「ああ、よろしく。準備は万端?」
「もちろん! 全勝で甲子園に行く予定だからね」
「ふっ……予選とはいえ、俺たちも負けるつもりはないよ」
言葉を交わすうちに、自然と笑みがこぼれる。
そして、玉田さんとガッチリ握手を交わした。
手に伝わる力強さが、互いの決意を物語っていた。
知り合いがいるってのは心強いな。
◆◆◆
俺たちは順調に勝ち進み、結局桜坂高校と対戦することなく全勝で予選を終えた。
当然、全国への切符は手に入った。
スピーカーポイントの差で優勝こそ桜坂高校に譲ったが、所詮は予選。
大切なのは甲子園、その舞台で勝ち切ることだ。
会場を出る前、桜坂高校の面々と再び顔を合わせる。
「甲子園で決着をつけよう」
互いにそう誓い合い、笑みを交わしてから、それぞれの帰路についた。
「皆さん、お疲れさまでした。全勝とはいえ、準備不足な部分も見つかったでしょう。本番までにしっかり仕上げて、全国で優勝を狙いましょう!」
最後にデイブ先生の激励で、俺たちは解散した。
その帰り道、俺はまた九条さんと二人で歩いてラーメン屋に向かう。
どちらからともなく、自然に手と手を繋いでいた。
仲元はなかったので、今日は普通のラーメン屋だ。
「二戦目のあの反論、ちょっと性急すぎたというか、論点に説得力が足りなかったわね」
「……うん、ちょっと焦ったというか、自覚してるから大丈夫。次はもっと落ち着いて対応する」
そんな会話をしながら、自然と今日の反省会のような時間を過ごす。
――ラーメン屋を出る頃には、すっかり日が暮れていた。
「……アメリカへ行く準備は、もう整ってるの?」
「一応ね。この前の中間試験で成績証明は無事に通ったから」
「そう」
言葉はそれだけで途切れた。
離れ離れになる現実が、少しずつ二人に重くのしかかっている。
握った手に、お互いの想いとわずかな力が込められ、沈黙の中で確かめ合うかのようだった。
そのまま帰るのも、どこかもったいない気がした。
俺は駅ではなく、近くの公園へとさり気なく歩みを向ける。
街灯がところどころでぼんやりと灯り始め、薄青の空は群青に溶けつつある。
日中の熱気はすでに和らぎ、木々の間を抜ける風は心地よく肌を撫でた。
この時間ともなれば子供の姿はなく、ブランコが空っぽのまま微かに揺れている。
俺たちは古びたベンチに並んで腰を下ろした。
自然と、初めて出会った日のことから今日までの出来事まで――思い出話に花を咲かせていく。
……ヤバい、めっちゃキスがしたい。
誰もいないし、これはチャンスじゃないか?
一度その考えが頭をよぎると、他のことなど考えられなくなる。
「――ねぇ、聞いてるの?」
「ああ、ゴメン。ちょっとボーっとしてた」
「頭フル稼働させたから疲れてるんじゃない? もう帰る?」
「いや、全然疲れてないけど、九条さんちって門限とかあるんだっけ?」
「特には無いけど、遅くなったら色々聞かれるかもね。今日の大会の終わる時間とかも把握してるだろうし」
「ま、みんなで反省会してたとかで誤魔化せるでしょ?」
「うん、多分」
一瞬の沈黙。
――今しかない!
「九条さん、キスしてもいい?」
「え?」
「あの日以来してないし、感触を忘れちゃいそうだから」
「だ、だから……そういうのは、聞くことじゃないって言ってるでしょ!?」
オッケーってことだよな!?
勢いに任せて顔を近づける――だが。
この前と違って九条さんはするりと顔を背け、俺の顔を手のひらで押し返してきた。
「……え? ダメ!?」
「ダメ」
ガーン……。
自分でも驚くほどの衝撃に、心が揺さぶられる。
うわ……拒否られるとここまでショックを受けるもんなのか……。
俺は呆然としたままベンチにうなだれた。
夜風がひやりと首筋を撫で、余計に心に染みる。
「だ、だって……今、ラーメン食べたばっかりだし……」
「……」
その声は確かに耳には届いていた。
けれど、今の俺の心に届くには、あまりに遠かった。
「ね、ねえ……」
九条さんが俺の体を揺さぶってくる。
「……ちょっと待って。メンタル回復する時間ちょうだい」
「そ、そんなにショック受けなくてもいいじゃない!」
あまりにもしょんぼりしている俺を見て、ため息をひとつ。
諦め半分、憐れみ半分――九条さんは観念したように言った。
「分かったわよ。軽くならいいから! 唇が触れる程度の!」
「マジで?」
俺のテンションは完全復活した。
単純がすぎる。
「ちょっと触れるだけだからね?」
「分かった!!」
俺はその華奢な肩を抱き寄せ、唇を重ねる。
ほんの一瞬、触れるだけの口づけ。
九条さんはすぐに顔を離してしまった。
「はい、おしまい」
「ええ……こんだけ……?」
「さ、帰りましょ」
そう言って、すくっと立ち上がる九条さん。
夜の街灯に照らされながら、俺はもやもやした気持ちを抱えつつ、帰路につくのであった。




