第20話 九条玲香の憂鬱
「よっしゃ!! 頑張ろう!!」
放課後の教室。
冬晴れの柔らかい日差しを背に、勢いよく飛び込んできたのは上戸君だった。
「今日から俺も入部するんで宜しく!! 全国制覇には俺の力が必要だって出口から聞いたんで!!」
……ホントに入部するんだ。
中澤さん目当てなのは分かりきってるけど、知らないふりをした方がいいのかな。
男子って単純だな。
「待ってたぞ、上戸! お前が俺たちのラストピースだ!!」
出口君が勢いよく立ち上がり、上戸君と固い握手を交わす。
「いたたたたっ!! 何やねん、お前!!」
「アメリカ式の握手だ。覚えとけ」
……そのネタ、ちょっと擦りすぎじゃない?
そんなに気に入ってるの?
青春の茶番劇を横目に、私はふと考える。
――私は、好きな人のために興味のないことにチャレンジできるだろうか。
誰も好きになったことがないから分からない。
けど絶対、無理だと思う。時間の無駄だし。
でも、もし出口君から「めんどくさそうなゲーム」に誘われたとしたら……とりあえずやってみるかも。
上戸君からだったら――うん、断る。
……え?
これって。
いやいや、違うから。
出口君がディベート部に入ってくれたから、そのお返しであって――。
あれ? でも上戸君も入ってくれたけど……。
……うん、今は深く考えないでおこう。
「で、部長。これで四人になったし、模擬戦も2対2で出来そうじゃん?」
出口君に『部長』と呼ばれ、一瞬誰のことか分からなかった。
私だった。
「うん、そうね。一人では拾いきれない反論や論点も、二人なら補完し合えるから、議論の厚みが増すと思う」
「じゃ、今日から早速始める?」
私は少し考えてから答える。
「でも、まずは個人の思考力や瞬発力を鍛えるために1 on 1がいいかな。私と出口君が交代で相手をする形で」
「了解」
こうして――ディベート部はようやく本格的に動き出した。
夏の甲子園までは、時間があるようであまり無い。
新しく入った二人には悪いけど……本気で頑張ってもらうしかない。
◆◆◆
出口君は理系コースに進むらしい。
それを聞いて、なぜか少しがっかりしている自分に驚いた。
てっきり一緒に文系に行くと思っていたから。
そして勝手に、高3になっても同じクラスになると――根拠もないのに思い込んでいた。文系コースだけで何組もあるのに。
私が理数科目を教えてから、その面白さに目覚めたのかな?
ChatGPTとかPerplexityをよく使ってるみたいだし、もしかしてAIに興味があるのかも。まさか、AI研究者とか目指してたりして。
アメリカではそういう人材の引き抜き合戦がすごくて、年収何億ももらえるとか……。
最近の出口君は、昼休みになると急いでご飯を食べ終えて、そのまま鞄を抱えて職員室へ向かっていく。
断片的に聞こえてくる上戸君との会話を聞きかじった限りでは、デイブ先生に用事があるらしい。
英語ディベート全国大会のリベンジに向けて、今から動いているのかな。
そのうち私にも話してくれると思っていたけど、いまだに何も言ってこない。
隠し事をされているみたいで――少しモヤモヤする。
……気づけば私は、しょっちゅう出口君のことを考えている。
ちょっと前までは、出口君も上戸君みたいに単純で分かりやすかった。
でも今は、時々、何を考えているのか分からなくなる。
私のことを好きだって言っていたあの気持ちは、まだ変わっていないのだろうか。
「玲ちん、これってどういうことか分かる?」
中澤さんの声にハッと我に返る。
いつの間にか私は「玲ちん」と呼ばれるようになっていた。
差し出されたのは一冊の本。
タイトルは『超論理思考トレーニング入門編』。
以前、出口君に貸した本を、今は中澤さんが熱心に熟読している。
「どこ?」
「このトゥールミンロジックの章なんだけど、この『暗黙の前提』をきちんと言語化するってのがいまいち頭に入ってこなくて」
「ああ、そこは躓きやすいとこかも。要するに、根拠と結論の間の『なぜそれが繋がるのか』を一文で表すのがコツなんだけど、そうだな……」
私は顎に手を当て、考える。
「とりあえず『なぜ?』を三回繰り返してみるといいかも。根拠と結論を見たら『なぜその根拠で結論が言えるの?』って問い返す。三回くらいやると、暗黙の前提が浮かび上がるから」
「ふむふむ」
「それから、『〜だから〜である』の形で一文を作ると、もっと分かりやすいと思う」
「なるほどね〜」
中澤さんは手帳に熱心にメモをとっている。
「はぁ〜、修学旅行で仲良くなったときにすぐ入部すればよかった。入門編でつまずくの、もどかしいよ」
「大丈夫。私と出口君が全力で引き上げるから」
「頼むよ〜」
そう言ったあと、中澤さんが突然。
「ねえ今って、玲ちんと出口君ってどっちが強いの? もう出口君も十分勝負になる?」
「え? どうだろ……そこまで差はないと思う」
「ってことは! 出口君が勝つかもってこと!? そしたら玲ちんとお付き合い始まるんだよね!?」
突然、中澤さんの瞳がキラキラ輝き出した。
――あれ? 中澤さんって、意外と恋愛に興味あるんだ。だとしたら上戸君にも望みがあったりして。
「そうなるはずなんだけど……そう言えば最近は、1 on 1の模擬戦も決着つけずに途中で別の議題に行っちゃうし、挑戦してこないな」
「え〜、何でだろ? もったいない。せっかくのチャンスが」
――ほんとに、何でだろう。
分からない。
やっぱり最近の出口君は、分からない。




