第17話 それは愛ですね
『ごめんなさい。初詣、行けなくなりました』
そのメッセージに、俺は努めて明るく返す。
『了解! 家の事情でしょ? また来年行けたら行こう!!』
陽気なスタンプも添えておく。
――まぁ、あんな大財閥のお嬢様だ。
年末年始なんて、俺には想像もつかない予定がぎっしり詰まってるんだろう。
だけど、それは同時に現実を突きつけられることでもあった。
俺と九条さんの間に横たわる、どうしようもないほど高い壁。
高校生の俺には、その全貌を掴むことすらできない。
きっと大人になればなるほど、その壁の形も輪郭も、嫌でもはっきり見えてくるのだろうけど。
……もし奇跡的に九条さんと付き合えたとして。
さらに奇跡的にプロポーズまで成功したとして。
そんな財閥のトップのお父様に、果たして俺なんかが認めてもらえるのか?
東大を出て、一流企業に入ったところで、それだけじゃスタートラインにも立てないんじゃないか?
九条さんにふさわしいのは、やっぱり同じような『生まれながらにして特別な人間』なんじゃないか?
だとしたら、俺はどうすればいいんだ――。
分からない。
分からないけど、だからこそ今できることをするしかない。
勉強も、英語も。
俺に出来るのは努力しかない。
そうと決めたら、さっさと机に向かえ、俺。
デュオリンゴに集中しろ、俺!!
……いや、でも、それだけじゃやっぱ足りない気がするんだよな。
こういう時は――
ChatGPTに相談だな。
◆◆◆
冬休みが明け、高校二年最後の三ヶ月が始まった。
毎年のように「今年の冬は寒い」と言われるが、今年も例外ではない。
雪こそ降ってはいないものの、吐く息は白く、空気は肌を突き刺すように冷たい。
とはいえ、仙台に比べれば多少はマシだ。
九条さんとは、あれ以来LINEをしていない。
初詣をドタキャンしたことを気にしているかもしれないから、無理に連絡することは控えておいたのだ。
ガラガラガラ――。
教室の扉を開けると、既に九条さんは席についていた。
二週間ぶりに見るその神々しいお姿。
九条成分が枯渇しかけていた俺の体に、じんわりと元気が染み渡っていく。
「おはよっす!」
「あ……おはよう」
やっぱり、ちょっとよそよそしい。
こういう時は、こっちが明るく振る舞って空気を塗り替えるしかない。
「どうだった、冬休み? 世界のセレブを集めての新年会とか?」
「あの……本当にごめん」
「だ! か! ら! 気にしてないって! で? どんな有名人と会えた?」
「え? そうね……一番大物だったのはトリンプ大統領かな」
「トリンプ!? マジで!? 写真撮った!?」
「うん、一応」
「見せて見せて!!」
食いつく犬のように鼻息荒く身を乗り出す俺に、九条さんは少し引き気味になりながらも、スマホを差し出してくれた。
「うおおおお!! すげぇ!!! てか、めっちゃデカいね」
「うん、大きかった。でもそれ以上に、なんというか……オーラがすごかった」
「オーラ? 覇王色の覇気みたいな?」
「ふっ……そうかも。言われてみれば白ひげっぽかったし」
「ワンピースも読んでんだ。けっこう少年漫画好きだよね」
「確かに」
ようやく九条さんの顔に笑みが戻る。
「今日から部活も再開だよね?」
「うん、出口君がそれでいいなら」
「よし。これから模擬戦は英語でやろう」
「大丈夫なの?」
「冬休み中、めっちゃ勉強したから。成果を試したい」
恐らくその時の俺の顔には、不敵な笑みが浮かんでいたに違いない。
◆◆◆
昼休み。
いつものように上戸と昼飯を食ったあと、俺は「用事があるから」とそそくさと席を立った。
上戸は特に気にすることもなく、スマホを取り出してゲームを始めている。
俺の向かう先は職員室。
デイブ先生に色々話を聞きたいのだ。
「失礼します」
そう言って中に入ると、その巨体はすぐに目に入った。
日本人用に作られた机と椅子では、どう考えても小さすぎる。
窮屈な体勢のまま、先生はおにぎりをもぐもぐと噛みしめていた。
――しょうがない、食事中に声をかけるのは気が引ける。
ちょっと待つか。
数分後。
……遅い。
てか、なんであの体でそんなに食うの遅いんだ!?
さすがに痺れを切らした俺は、先生の席に向かう。
「ちょっと、いつまでダラダラ食ってんすか!」
「OH! 出口君、こんにちは。お米は88回噛まないとダメですから」
「いやいや! それは『よく噛んで食べましょう』っていう例えで、本当に88回噛む人初めて見ましたよ!」
「なんと! そうなのですね。それは良いことを知りました」
言うが早いか、先生は残りのおにぎりをほぼ一口で平らげた。
「それで出口君、何か用ですか? ディベートのことなら教えられませんよ?」
「そこは最初から期待してないんで大丈夫です。他のことで相談が」
「ほう、他のこと?」
俺は、ChatGPTに相談した内容をかいつまんで話した。
「出口君……それは愛ですね」
「はい、そうです」
俺は照れもせず、真顔で答える。
「ワタシは感動しました。いいでしょう、出来る限り協力します」
「ありがとうございます!!」
「ただ……分かっていると思いますが、一番大変なのは君自身ですよ? それも、とんでもなく」
「はい。覚悟の上です」
俺が真剣に頷くと、先生は右手を差し出した。
その手をしっかり握り返した瞬間――
「痛いっ、痛いって!! 何でそんな馬鹿力なんすか!?」
「握手は力強く。これがアメリカのルールです」
――そうなの?




