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【毎週金曜更新中】集音路渉 花守り日誌  作者: つきや
第七章 柳の守護

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第九話 盟主様

 名残り雪がキャンパスを染めはじめると、学生たちはどこか浮き足立った空気に包まれていた。

 柳の言葉通り、颯汰は自分を取り戻すように、研究室で新しい雪幻桃の鉢に献身的な世話を続けていた。その指先はまだ微かに震えていたが、瞳にはかつての情熱が戻りつつある。


「教授……俺、これから白川くんの家へ行ってきます。タグ、失くしちゃったこと、ちゃんと謝っておきたくて」

「……分かりました。気をつけて行ってきてくださいね」


 研究室を出ていく後ろ姿を見送ると柳は静かに扉の鍵を閉め、眼鏡を外した。

 部屋の中央にあるデスクの椅子へと座り、両の手のひらを机へとかざした。黄金の波紋がデスクから床、そして理学棟の根へと広がり、遠く離れていく颯汰の鼓動との同調(シンクロ)が始まった。


(……さあ、聞かせてください。君たちがタグに仕込んだ『ケシの毒』で、何をしようとしているのか)


 鎖骨の裏側に刻んだ「金柳の護符」が、熱を持って起動する。柳から授けられた浄化の力と、颯汰自身に流れる僅かな精霊の血によって、今の彼はあらゆる毒を跳ね返す強さを得ていた。


 やがて、遠く離れた青木家でインターホンの音が鳴り、玄関の開く音が聞こえた。


『あら、桃木さん。いらっしゃい』


 耳に届いたのは、叔母と思われる青木美津子の穏やかな声。だが、柳の聴覚は護符を通し、声の裏に潜む、人とケシの精霊の血が混じり合った独特の「気配」を逃さなかった。かつての教え子、朝霧結奈で間違いない。


 颯汰が家に上がり、美津子が茶を淹れに席を外したその隙。護符が鋭く冷たいノイズを拾い上げ、柳の背筋がゾクりと震えた。


『……金城様。申し訳ありません、あの男に持たせたタグは、柳に剥ぎ取られてしまいました』


 結奈の声には、先ほどまでの慈愛など微塵もない。震えるような畏怖と忠誠。そして、それに応える傲岸不遜な声。


『……構わん。タグはただの釣り餌だ。お前は引き続き「叔母」を演じていろ。理学棟の根がすべて白く染まれば、あの老いぼれも終わりだ』


 金城光一——コーイチは、まだ年若い精霊だ。なぜそれほどまでにこの世界を憎み、精霊界を飛び出したのだろう。フウの言う通り、金の属性を持つ精霊は、自然の理(ことわり)から外れた存在として忌み嫌われる風習がかつてはあった。だが、それはもう遠い過去の話のはずだ。

 柳は拳を握りしめるが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。


『……ああ。それと、盟主様のご機嫌はどうだ?』


 盟主様。コーイチがそう呼んだ直後、護符を通じて、奥の部屋から歩いてくる「誰か」の足音が聞こえた。護符から伝わるその音は、風が通り過ぎる音に似ていた。


『――金城さん。桃木さんが来たよ。僕、会いに行ってもいいかな?』

『盟主様のお好きなように……』


 柳は、息をすることさえ忘れた。その声は、あまりにも純粋で、透き通った——白川葉のものだった。


(あの子が……盟主様……?)


 柳の脳裏を、これまでの光景が閃光のように駆け巡る。

 夢を語る少年。柳や颯汰を慕っていた、あの孤独で澄んだ瞳。しかし、その白川葉こそが、すべての事象を統べる真の黒幕だったというのか。


 コーイチのような傲慢な精霊が、そして結奈のような優秀な人間が、平伏して「盟主」と仰ぐ存在。彼らが望むのは、理学棟の根を白く染めること。すなわち、この地の生命の源をケシの毒で汚染し、領域の定義そのものを書き換えるということだ。もしそうなれば、植物だけでなく植物由来の精霊も、その恵みで生きる人間さえも、この地で息絶えてしまう。


 しかし、分からない。白川葉の真の目的は何なのだ? そして一体、彼は何者なのか——。


「……これは、どういうことだ」


 護符からは再び、リビングに戻った白川葉が、『桃木さん、来てくれたんだね!』と、あどけない喜びの声をかけるのが聞こえる。


 柳は静かに接続を断った。

 敵の正体は、最も近くで、最も無垢な顔をして笑っていたのだ。


(白川葉……。君が何者であろうと、この地を、そして我が教え子たちを毒の餌食にはさせません)


 柳は眼鏡をかけ直し、窓の外に広がる曇り空を見上げた。

 自分の中に眠る「古き精霊」としての真の力を、すべて解き放つ準備を始めた。

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