第六話 残酷な遊び
◆柳教授視点◆
「教授、遅くなりました。白川くんの家へ行って……お礼を言われちゃいましたよ。それにこのゲーム、マジですごいっす!」
颯汰の声と共に、机に向かっていた柳教授が、ゆっくりと顔を上げた。
入ってきた彼の笑顔は、いつもと変わらない。だがカバンで揺れるガンメタリックのタグから、人の目には見えない無機質な糸が縦横無尽に伸び、研究室の壁や棚、そして植物たちに絡みついていくのが見えた。
(……これは一体……空間に伸びる銀色の糸……?)
柳の指先が、わずかに震える。
精霊である柳の瞳には、研究室の空気がグリッド状の線で細かく分断されていくように映った。棚の上のガジュマルが、微かに震える。タグから伸びた銀色のノイズのような糸が、ガジュマルの持つ「生体情報」を強引に読み取り、どこかへ送り出しているように見えた。その糸は、幾千にも放射状に、研究室の壁、天井、そして床下へと突き刺さっている。
颯汰がスマホを操作するたびに、この空間や植物たちの情報やエネルギーが、タグを通じて書き換えられ、吸い取られていく。
「……桃くん。そのカバンの飾り……少し、見せてもらってもいいですか?」
「あ、これっすか? 白川くんに誕生日プレゼントでもらったんです。俺の好きなゲームの先行モニター用タグらしくて。執行官っていうキャラなんですが、いまここにログインしたら、教授の部屋が『最優先ノード』に設定されたんですよ」
無邪気にスマートフォンを差し出した。
画面の中には、研究室が精巧な3DCGで再現されていた。だが、そこにある植物たちはすべて不気味な赤いアイコンでロックオンされ、【資源回収中:88%】という冷徹な数字が表示されている。
「……美しいですね。ですが桃くん、その光は少し、植物たちを疲れさせてしまうようです」
その瞬間、棚の上のポトスが、カサリと音を立てて一枚の葉を落とした。
病気でも、偶然でもない。タグから伸びる「銀糸」が、植物のエネルギーを強引に吸い上げ、データへと変換しているのだ。
柳は微笑みを保ったまま、奥歯を噛み締めた。
彼にとってはただの遊びなのだろう。この「ログイン」という行為によって、理学棟の大地や植物が、精霊の霊素と大地の絆から切り離され、ゲームという名を借りた『システム』へ搾取されようとしている。
柳はタグには触れず、ただその波動を静かに押し返した。
(白川くん……君が贈ったのは、感謝の印か。それとも、この男を『執行官』へと変えるための……罠なのか?)
研究室の隅で、マンサクの花がはらはらと散った。
その時、颯汰の背後から、さらなる「ノイズ」が近づいてくるのを感じた。
「こんにちは、柳先生」
白川葉だった。彼の手にも、同じ銀黒の光が握られている。二人の少年が揃った瞬間、研究室の中の「世界」が激しく書き換わった。
柳の足元が、白く漂白されていくように見えた。
「おっ、ここの領域もゲット!」
声が聞こえると同時に、ガジュマルの枝が、一筋、ハラリと音を立てて枯れ落ちた。
「……あ、枯れちゃった。教授、これ、病気っすか?」
颯汰が何気なく植物に触れようと手を伸ばした。その指先が葉に触れる直前、静かに、しかし断固とした所作で、彼の手首を制した。
「……今は、触れないであげてください。彼らは今、とても深い瞑想に入っています。外からの刺激に、少し敏感になっているようです」
声は、我ながら驚くほど冷淡だった。颯汰の指先からも、葉の肩越しからも、「硬いノイズ」が溢れ出し、柳自身の本能である精霊としての勘が、彼らを「異物」として排除せよと警笛を鳴らしている。
「桃くん、白川くん。……今日は、これ以上植物たちを驚かせたくありません。……早めに切り上げてくれますか?」
柳の口から出た「拒絶」に、二人は顔を見合わせた。いつも穏やかに彼らを迎え入れてきたこの場所を、いま自分自身の手で閉じようとしている。だがそれはタグをこの場所から遠ざける意味でもあった。
そんな柳の心情を知らない二人は、悲しそうに目を伏せながら研究室を後にした。二人が去った後でも銀糸のノイズは消えなかった。
一人残された研究室で、枯れ落ちたガジュマルの葉を拾い上げた。指先で触れると、それは植物の感触ではなく、まるで焼かれた金属のような、不自然な硬さと熱を持っていた。
(……この場所そのものが、マーキングされ、誰かの目に晒されているのでしょうか)
窓の外を見つめた。花の香りが、まるで毒のように濃く、結界を守っていた金の霊素の光を失い始めた部屋の中に淀み始めていた。
もうすぐ春は来る。だが――それは自分の知っている、生命が謳歌する春ではないのかもしれないと柳は感じとっていた。




