第五話 真冬の交差点(後編)
◆颯汰視点◆
二月のあの日、高校生に絡まれていた少年——白川葉を助けて家まで送り届けて以来、颯汰の日常には小さな変化が起きていた。
最初はぎこちなかった葉との連絡のやり取りも、二月中旬の卒論手伝いの修羅場を越え、下旬の入試バイトが終わる頃には、すっかり日常の風景になっていた。「桃木さん、これ教えて」「今から研究室?」そんな他愛ないメッセージが、人の少なくなった静かな寮の部屋に灯りをもたらすようになってから、一ヶ月近くが経とうとしている。
風の中に冷たく凛とした水仙の香りが混じり始めた三月の上旬、再び通知音が響いた。けれど画面に浮かび上がったのは少年からではなく、彼が居候している叔母の名前——青木美津子からだった。初めてもらったメッセージに、不意に心がざわついた。
『桃木さん、お忙しいところすみません。今日、もしお時間があれば家に来ていただけませんか? 葉くんのことで、どうしても今日中に、お話ししたいことがあって……』
「今日中に」という言葉の強さに、嫌な予感を覚えた。まさか、また学校でいじめられたのか。足早に青木家へ向かうと、出迎えた美津子はなぜか口元を綻ばせていた。
「いらっしゃい、桃木さん。急に呼び立ててごめんなさいね。葉くん、二階の部屋にいるから。……驚かせないように、そっと入ってあげてね」
(驚かせないように……? 相当落ち込んでるのか?)
颯汰は生唾を飲み込み、静まり返った廊下を歩いて二階の部屋の前に立った。軽くドアをノックした後、慎重にドアノブを回し、そっとドアを開ける――。
「……ハッピーバースデー、桃木さん!」
パン! とクラッカーの乾いた音が鳴った。
部屋の明かりが点き、そこには少し照れくさそうに笑いながら、小さなデコレーションケーキを掲げた葉が立っていた。
「……え? これって……」
「美津子叔母さんに聞いたんです。桃木さん、先週が誕生日だったって。でも忙しそうだったから、当日にお祝いできなくてごめんなさい」
そういえば、いつだったか「誕生日はいつ?」と聞かれたことを思い出した。
いきなりなことに、照れ臭いような、なんとも言えない気持ちになっていた颯汰の前に、葉が満面の笑顔で小さな包みを差し出した。
「これ、プレゼントです。いつも助けてくれる桃木さんに使ってほしくて……」
「えっ、ありがとう」
包みを開けると、それは認証タグキーだった。タグにはアイリスの花が描かれている。
「……えっ、これ! もしかしてネットで噂になってるあれ!? それも新キャラの、セレス姫のライバル……黒曜 (こくよう)の執行官・レイヴン! どうしてこれをお前が……?」
「そうです! 『アーク・クロニクル・アイリス』の、まだ一般公開されてない拡張パックの先行モニター権です。叔母さんの知り合いが開発に関わっていて、僕、桃木さんと一緒にやりたくて……」
葉が差し出したガンメタリックのタグ。
それは、現実の場所をゲーム内の「領地」として登録し、周囲の「生体エネルギー」を資源として回収する新システム『エイドス・コネクト』の認証キーだった。
颯汰は興奮を隠せなかった。ゲーム内では、フウが器にしている「精霊使いの姫セレス=アルフィリア」の行く手を阻む、冷徹ながらもどこか哀しみを湛えた敵役。その重厚なガンメタリックの質感は、レイヴンのイメージそのものだった。
「サンキュ、葉! 早速カバンにつけさせてもらうよ」
カバンに揺れる銀黒のタグを見つめながら、颯汰はふと、無意識に本音を漏らした。
「……これ見たら、フウも驚くだろうな。セレス姫の天敵だしさ」
「え?……フウ、って誰のことですか?」
葉の純粋な問いに、颯汰は「あ」と口を押さえたが、弟分と決めた少年を前に隠し通すことはしなかった。
「……ああ、ごめん。柳教授の研究室にいた鉢植えの――観葉植物の名前だよ。今は渉先輩の病室に置いてあるんだ」
「渉先輩って……集音路渉さんですか?」
「うん、そうだよ。どうした?」
その名を口にした瞬間、葉は窓の外の夕景を見つめた。
「やっぱり、あの人だったんだ。……僕、桜野町にいた時、集音路さんに会ったことがあるんです。桜まつりのときに。それに桜の下で、すごく真剣な顔をして見上げてた。声をかけようとしたけど、あの人の周りだけ空気が透き通って見えて……だから近づけなくて」
颯汰は、ケーキに伸ばしていたフォークをぴたりと止めた。
「……先輩と知り合いだったんだ」
「はい。でも、あの人は僕のことなんて覚えてないと思います。……ただ、あの時、あの人の隣に……すごく綺麗な白い花が一輪、咲いていたんです。あれが、桃木さんのいう『フウ』だったのかな」
その言葉に、颯汰は微かな違和感を覚えた。フウはガジュマルとカポックを合わせたような観葉植物で花は咲かない。それに研究室へ来たのは、千年桜の後のこと。だが、夕闇が迫る部屋の中で、カバンにつけた黒銀のタグの放つ冷たい光が、颯汰の思考をわずかに曇らせた。
「……そう、かもな。いつか先輩が戻ったら、また会えるといいな」
二人の会話を見守るように、棚に置かれたもう一つの「レイヴン」タグが、無機質な金属色を放っていた。
*
颯汰は大学の学生寮へ戻ると、真っ先にスマートフォンを取り出した。カバンに揺れる『ガンメタリック・レイヴン』のタグは、冷たい外気を受けてさらに硬質に、黒光りしている。
「……さて、まずはマイエリアの登録からだな」
自室のベッドに腰掛け、配布された先行モニター用のマニュアルを画面に呼び出す。
【新システム:エイドス・コネクト】
> このタグは、現実世界に存在する植物や大地の力を、ゲーム内の魔力としてデジタル変換する『ノード(接続点)』の認証キーです。
> ノードを同期させることで、あなたの周囲は『執行官』の保護領域となり、限定アイテムの生成が可能になります。
「要するに、位置情報を使った陣取りゲームってことか。しかも植物からエネルギーを吸い上げる演出とか、凝ってるな」
颯汰はワクワクしながら、スマホのNFC読み取り部分にタグをマウントさせた。
カチッ。
金属同士が触れ合ったわけでもないのに、脳裏に直接響くような、無機質な電子音。
> 【認証完了:執行官・レイヴン】
> 【現在地:Dエリア(大学寮)――ノードの同期を開始します】
スマホ画面に、見たこともない幾何学模様のプログレスバーが走り、寮の周囲のマップが「白く」塗り替えられていく。その束の間、颯汰の視界が一瞬だけ「白く」飛んだ。
目を擦る。
「なんだ、今の……。お、エネルギー回収が始まった。……あれ?」
画面の中で、寮の庭にある立派なクヌギの木が赤くロックオンされ、そこから銀色の光の粒がタグに向かって吸い込まれていく。
窓の外を見ると、実際のクヌギの木が一瞬だけ、寒さに震えるようにカサリと音を立てた気がしたが、颯汰は「振動機能まで連動してるのか、すげぇ」と感心した。
翌日、キャンパスを横断する間も、タグは小刻みに反応し続けた。
> 【Bエリア(中央広場)――同期成功。ボーナス魔力を獲得しました】
歩くたびに、歩道の植え込みや街路樹のデータが吸い上げられ、ゲーム内の颯汰のステータスがぐんぐんと上昇していく。
「……よし、次は研究室だ。あそこなら相当なエネルギーが溜まってるはずだぞ」
理学棟の廊下を抜け、研究室の扉の前で立ち止まる。
不思議なことに、扉の前に立った瞬間、スマホの画面に『強い電磁干渉を検知』という警告が出た。
「なんだ? 電波悪いな。……あ、これ、公式が言ってた『高難易度ノード』ってやつか」
颯汰は、ゲームの「隠しスポット」を見つけたような気分で、力いっぱいタグをマウントした。
> 【Sエリア(理学棟・柳研究室)――最優先ノードを検知】
> 【プロトコルを実行……強制アクセス権を確立します】
「……っし、ログイン完了!」
視界が激しく白くフラッシュし、耳元でピリッとした静電気が走る。だがそんな違和感を気にすることなく、颯汰は満足げに笑い、ログインしたての「領地」へと足を踏み入れた。




