第四話 真冬の交差点(前編)
◆颯汰視点◆
期末試験の重圧からようやく解放された理学棟の午後、桃木颯汰は大学の正門を出て、駅へと続く商店街を歩いていた。冷え込みは相変わらずだが、日の暮れる時間は少しずつ遅くなっている。
「あー、疲れた。今夜は渉先輩のところへ寄る前に、何か甘いもんでも買っていこうかな……」
そんなことをぼやきながら角を曲がったときだ。路地裏の入り口で、数人の人影がたまっているのが目に入った。
「おい、無視すんなよ。お前、桜野町から来たんだろ? あそこの伝説、全部嘘だったってSNSでやってたじゃん。お前、まだ信じてんの?」
人を馬鹿にしたような嫌な笑い声が聞こえる。中心にいるのは、体格のいい高校生らしい二人組。そして、その前に立たされているのは、見覚えのある紺色の制服――白菊学園の指定服を着た、小柄な少年だった。
(えっ……白川くん!?)
葉は黙って俯いていた。その腕にはスケッチブックを抱え込むようにして、何かを必死に守っているように見える。
「やめろよ。あそこの桜は……精霊は本当にいたんだ! きっと僕の他にも覚えている人はいる……!」
「はっ、頭おかしいんじゃねぇの? 精霊だってよ。なら、証拠見せろよ。ほら、そのノート見せろって!」
高校生の一人が葉の肩を掴み、激しく体を揺さぶると、葉はその場に倒れ込んだ。
別のもう一人が、スケッチブックに手を伸ばしかけた時、颯汰は無意識に足を踏み出していた。
「おい、そこまでにしておけ!」
二人の間に割って入ると、高校生たちはたじろいだ。颯汰はもともと背が高く、サークルや農園の手伝いで鍛えた体格をしている。鋭い眼光で睨みつけると、彼らは「……なんだよ、チッ」と舌打ちを残して、足早に去っていった。
「大丈夫か、白川くん」
颯汰が手を差し伸べると、驚いたように顔を上げた。
「……桃木さん?」
「怪我はないか? 災難だったな。アイツら、変なこと言ってたけど……」
埃を払って立ち上がったが、その表情は暗かった。
「……慣れてますから。桜野町にいた時も、みんなあの桜の……紗久夜さんのこと忘れていて……。本当のことを言う僕を、みんな嘘つきだって笑ったんです。それだけならまだ良かったんだけど、だんだん虐めがひどくなって、だから転校したのに、ここもおんなじで……」
彼の瞳に宿る深い孤独に、颯汰は言葉を失った。
(紗久夜さんって、先輩が助けた千年桜のことかな)
桜の精霊の記憶。それを一人で背負い、誰にも信じてもらえないまま転校してきたというのか。
「……嘘じゃないよ、白川くん」
軽く葉の肩をぽんと叩いた。
「俺の先輩も、その桜のことをよく知ってる。……俺も、君の言うことを信じるよ」
一瞬、目を大きく見開き、そのあとに見せたのは、研究室で見せる笑顔とは違う、子供らしい安堵の表情だった。
「……あの、桃木さん。もしよかったら、家に来ませんか? すぐそこなんです。おばさんの家なんですけど……」
*
葉に案内されたのは、大学から歩いて十分ほどの距離にある、落ち着いた住宅街の一軒家だった。彼の母親の妹――叔母一家のところへ居候しているのだという。送り届けたら帰るつもりが、半ば押し切られるように家へ上がることになった。
「お邪魔します……」
玄関に入ると、家の中には新しい環境に馴染もうとする少年の努力の跡が見えた。廊下には葉が育てているらしい小さな多肉植物の鉢がいくつか並んでいる。
「叔母さん、ただいま。大学の先輩を連れてきたんだ」
その声に、キッチンから落ち着いた雰囲気の女性が顔を出した。想像していたよりもずっと若く、しかしどこか大人びた雰囲気が渉先輩と同年代——二十代半ばすぎくらいに見えた。
「あら、いらっしゃい。葉くんがお友達を連れてくるなんて珍しいわね。どうぞ、ゆっくりしていってね」
リビングに通された颯汰は、差し出された麦茶を飲みながら、緊張した面持ちで向かいに座る葉を見つめた。この少年は、渉と似ている。目に見えるモノだけじゃなく、その奥にある「心」の真実を一人で守ろうとしている。
(柳教授が言ってた『新しい風』って、こういうことか……)
颯汰の中で、ある決意が固まった。
先輩が目覚めるまで。いや、目覚めてからも。この不器用で真っ直ぐな少年のことを、放っておくわけにはいかない。
「白川くん。これから何かあったら、俺にすぐ言えよ。大学も近いし、俺、こう見えても力仕事は得意なんだ」
颯汰はわざと明るく笑って、自分の腕を叩いてみせた。
「こんなこと言ったら、おこがましいけどさ。俺が君の兄貴分になってやるよ」
驚いたあと、少し照れくさそうに、けれど今日一番の明るい笑顔で「……はい!」と頷いた。
二人の距離が縮まったその時、窓の外では夕暮れの風が吹き抜け、軒先に吊るされた小さな風鈴が、季節外れの澄んだ音を立てた。




