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【毎週金曜更新中】集音路渉 花守り日誌  作者: つきや
第六章 砂漠の記憶

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第三話 見えない悪意

 朝の光は、昨日と同じように砂漠を照らしていた。

 それでも、空気の感触が違う。

 ワトは目を覚ました瞬間から、それを感じていた。


 ――『人の声が、多い』


 鉢植えの低木が、小さく葉を鳴らす。


「もう起きているのか」


 外はまだ静かだ。

 けれど、植物たちは落ち着かない様子で、根を浅く震わせていた。


 ――『ささやきが聞こえる』

 ――『昨日の続き』


 頷きながら、何も言わずに水をやる。


 植物の声は嘘をつかない。

 だが、人の声は、形を変える。


 *


 朝の市が立つ頃、ワトは薬籠を肩に、村の中心へ向かった。

 その途中で村人とすれ違う。

 昨日までと違うのは、目が合う瞬間、視線を逸らされる。

 陽射しは熱を帯び、人の視線は冷気を孕むかのように気持ちを刺してくる。

 

 薬草を求める声で賑わっていた通りが、ワトが足を踏み入れた途端、風が止まったように静まり返る。

 母親が子供を背後に隠す布の擦れる音。

 ピシャリと閉ざされる木戸の音。

 それらが、まるで石を投げつけられているかのようにワトの肌を打った。


 ――『嫌な匂い。恐怖が、古い汗みたいにこびりついてる』


 足元の草が静かに言った。

 

 ワトは黙って、ただ前だけを見て歩く。


 拒絶。

 無言の「拒絶」ほど、心を抉られることはない。


 ――『避けてる』


 道端の草が、端的に告げた。


「そうか」


 否定も、肯定もしない。

 ただ草の言葉を受け入れる。

 長いこと、そうしてきた。


 それでもワトは仕事を続ける。

 助けを必要としている人がいるから。


 ワトの仕事は、村人たちの体を診ること。

 腹痛、咳、軽い熱。

 擦り傷、火傷、捻挫。


 症状に合わせて薬草を処方する。

 毎日、同じことの繰り返し。


 頼まれた家を一軒ずつ訪ねていく。

 ただ戸を開けた家人は、ワトを見ると困惑した色を見せた。

 挨拶はあるが、どこか硬い。


「……先生」


 名を呼ばれるまでに、間がある。


 それは自分の小屋に来る人々も同じだった。

 必要最低限の言葉だけで、皆の体を診ていく。

 

 治療を終えたあと、誰も長居をしなくなっていた。


「……王都の話、聞きましたか」


 薬を渡すとき、若い女が小声で尋ねる。


「噂なら」


「やっぱり……」


 女は、それ以上言わず、視線を落とした。

 そして黙って、小屋を出て行く。


 ――『怖がっている』


 蔓草が、壁際でそっとささやいた。


 また別の村へ行かなくてはならないのか。

 ふと考えが過ぎった。

 ただどこへ行こうが同じことだと知っている。


 噂は聞かずとも聞こえてくる。

 耳元で囁いてくる。


 何度も頭を振っても追い出すことは叶わない。


 *


 昼近く、井戸へ水を汲みに向かった。

 近くでは、村人たちが輪になって話していた。

 ワトの姿を見ると、笑い声が一瞬にして止まる。

 

 ふと、腰掛けていた老人と目があった。

 そして、彼がぽつりと言った。


「昔から、力のある者は、呼ばれる」


 周囲の者が、黙って頷く。


「王の病は、重いらしい」

「別の村から祈祷師が行って、戻らなかったらしい」


 話は、少しずつ形を変える。

 探しているが、連れて行かれるになり、頼まれるが、命じられるになる。


 その中心に、いつの間にかワトが置かれていた。


「先生が、王を呪ったのかもしれない」

「植物と話す力は、王宮にとって危険だ」


 声は低く、しかし確かに広がっていく。


 ワトは、聞いていないふりをする。


 聞いていないのではない。

 反論する言葉を、持たないだけだった。


 それに反論したところで、噂は止まらない。

 いつも同じだ。


 *


 午後、あの少年が、母に手を引かれて現れた。

 昨日、治した子だ。


 「……先生」


 母親は、ワトの目を見ようとはしなかった。

 その指先は、少年の肩を白くなるほど強く掴んでいる。


「もう大丈夫です。うちは、もう……薬はいりません。自分たちで様子を見ますから」


 昨日の感謝に満ちた涙は、どこへ行ったのだろう。

 今の彼女の瞳にあるのは、得体の知れない疫病を避けるような、剥き出しの警戒心だった。


 ――『この女の人、心臓がバクバク言ってる』

 ――『ワトを、悪いものだと思ってる』


 足元の枯れ草が、無慈悲に真実を告げる。


 ワトは、小さく頷いた。


「……そうですか。それがいいでしょう」


 伸ばしかけた手を、自分の意志で殺す。

 握り締めた拳の中で、行き場を失った温もりが、じりじりと焼けるように熱い。


 ――『ワトの手は、あの子を救ったのに』

 ――『人間は、命よりも形のない影を信じるんだね』


 植物たちの嘆きが、自分の叫びのように聞こえて、ワトは奥歯を噛み締めた。


 綺麗な瞳で、何かを訴えるように少年がワトを見つめていた。

 すぐに母親に引きずられるようにして背を向けた。


 ――『悲しいね』


 小屋の影で、草が呟く。


「……そうだな」


 慣れている。いつものことだ。


 砂埃の中に消えていく親子の背中を見送りながら、ワトは自分の掌を見つめる。

 救うほどに遠ざけられ、癒やすほどに異物として扱われる。

 自分の指先に残った少年の髪の感触を、砂漠の風にさらして消し去るように、手をかざした。


 *


 夕方、風が強くなり、さらに砂が舞った。

 村人は家の中に篭っている。


 誰も近寄らない村の境に近い岩陰で、ワトは一人、薬草を干す。


 ――『人は、知らないものを怖がる』


 低木の声は、穏やかだった。


「知っている」


 だからこそ、距離を取られることを、責める気にはなれなかった。


 だが――。


 ――『来る』


 唐突に、声が重なる。


 ――『足音』

 ――『金属』


 ワトは、顔を上げる。


 砂漠の向こう。

 揺らぐ陽炎の中に、細い影がいくつか見えた。


 まだ、はっきりとは見えない。

 だが、それが噂の先であることは、確かだった。


 この村で、自分を見る目が変わり始めたように――世界もまた、ゆっくりと形を変えようとしている。


 ワトは、乾いた風の中で、静かに立っていた。

次回「第四話 黄金の使者」をお送りします。

更新は、来週金曜日!

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