第十話 願いと神核接合
雪幻桃の崩壊音は止まったままだった。研究室にいる誰もが俯き、沈黙だけが重くのしかかる。
渉は震える足を押さえつけるように立ち上がった。なぜか視界が白くぼやける。それでも、シールドの向こうにある絶望を見つめた。
「渉? ちょっと、危ないよ……!」
フウが袖を掴んだが、渉はゆっくり首を振った。
「……呼んでる……まだ……助けを……」
その声は、自分でも驚くほどかすれていた。
シールドのロックに手を伸ばした瞬間、けたたましいアラームが鳴り響いた。
「先輩!!」
颯汰の叫びが遠く聞こえる。
「待て、渉くん! 開けたらあきまへん! 危険すぎる!」
教授の制止の手を、渉は無意識に振り払った。今の自分には、あの微かな『たすけて』という残響しか届いていない。
ガチャリと、高密度シールドが開いた。
雪幻桃の枝は、もはや粉雪のように、触れただけで崩れ去りそうなほど乾ききっている。
『死なないで……。俺……まだ……何も返せてない。お願いだよ……雪幻桃』
胸の奥から、颯汰の祈りと自分の願いが混ざり合い、熱い奔流となって溢れ出す。
「……お願いだ……!」
手のひらの「桜のアザ」が、脈動に合わせて熱を帯びる。
(君と一緒なら……)
ほんの一瞬だけ微笑み、渉は震える手で、その死にゆく枝に触れた。
瞬間――世界が、白く染まった。
音も、重力も、痛みも消えた。
ただ、圧倒的な光の波動が、渉の中心を突き破って開花していく。
白銀の波動が雪幻桃へ流れ込み、幻毒合金は悲鳴のような金属音を立てて分解され、霧散した。
侵食されていた神核が再び力強く脈打ち、雪幻桃の命が、猛烈な勢いで逆流していく。
白い世界の中で、渉はたったひとり、漂っていた。
――記憶が、剥がれていく。
雪幻桃の声も、千年桜の笑顔も。
そして、誰よりも大切だったはずの、あの人の名前が。
「……え……誰……だっけ……」
喉元まで出かかっているのに、形が思い出せない。
『や……だ……待って……やだ……!』
涙が零れ、白い霧に飲まれていく。
「……颯……た……? さ……う……?」
正しい音が掴めない。呼ぼうとするほど、心に巨大な空白が広がっていく。
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◆楓視点◆
まさに、神話の再臨とも呼べる光景だった。
「……なんだ、この波動……っ!」
研究室全体が白銀の光に満たされ、凄まじい霊素の旋風が吹き荒れる。
「な……に……これ……!?」
水鏡の悲鳴に近い声。寺角教授も腰を抜かしたように立ち尽くしている。
楓は壁に背を預け、後ずさった。全身の産毛が逆立つほどの威圧感。
「嘘だ……ありえない……! これは……まぎれもない『王』の……!」
叫びかけ、言葉を飲み込む。
(渉……お前、本当に……)
それは、失われたはずの頂点の力。楓ですら届かなかった領域の輝き。
誰も、渉を止める術を持たなかった。
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◆颯汰視点◆
「渉先輩!!!!!」
必死で叫ぶと、光の中にいた先輩がゆっくりと振り返った。
一瞬、微笑んだように見えた。けれど次の瞬間、その体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「先輩!!」
スローモーションのような視界の中で、颯汰はがむしゃらに腕を伸ばした。
衝撃と共に、先輩の重さを腕に感じる。抱き留めたその体は、ひどく冷たかった。
「先輩!! 渉先輩!! 戻ってこいってば!!」
震える腕で、その細い体を抱きしめる。隣ではフウが泣きながら、先輩の手を握りしめていた。
「渉……渉……! やだ、やだ……!」
だが、先輩は焦点の合わない目で、颯汰とフウを見比べた。
その唇が、見たこともないような怯えの色を浮かべて、震える。
「……ごめ……ん……。名前が……でてこない……っ」
颯汰の胸が、鋭い刃で刺されたように痛んだ。
「そんなのどうでもいい!! 無事なら……それでいいから……!」
フウも声を枯らして叫ぶ。
「渉が……渉でいてくれるだけで……いいんだ……!!」
その絶叫が届いたのか、先輩の手がかすかに動き、二人の指先に触れた。
その瞬間、カプセルの中の雪幻桃に、かつてないほど清らかな白銀の光が灯った。
次回は、「第十一話 搬送」をお送りいたします。
更新は来週金曜日。




