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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第五章 古都紅葉

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第九話 残響

 ――崩壊音は、その後もしばらく続いた。

 ぱき、ぱき、と乾いた音が研究室の静寂を裂くたびに、颯汰の肩がびくりと震える。


 渉は床に座り込み、ただシールド越しの雪幻桃を見つめていた。

 見えているのに、手が届かない。声をかけても、そこには虚無が横たわっているだけだ。

 植物が死へ向かうときの感触が、霧のように指の間から零れ落ちていく。その喪失感に、心のどこかで何かが「折れる」音を聞いた気がした。


(……どうして……)


 自分は植物の声が聞けるはずだ。その力で、どれだけ救ってきた? どれだけ寄り添ってきた?

 なのに、一番助けたいときに、一番大切な声が聞こえない。


「俺……ずっと……見てきたんだ……」

 

 隣で颯汰が、絞り出すように声を上げた。

 

「雪幻桃の木、毎年……俺に、話しかけてくれて……子どもの頃から、ずっと……今年は頑張ったねって……ちゃんと、聞こえていたんだ……!」


 泣き声と共に、颯汰の自責が溢れ出す。

 

「でも……今年は……っ……俺……守れなかった……!!」

 

 その叫びに、フウが小さく肩をすくめ、耳を伏せた。


 渉は目を閉じた。胸の奥が千切れる。

 

 かつて御神木の山で見た、黒く揺れる影。フウが言った「もう元には戻らない」という絶望。あれと同じことが、今ここで起きている。

 

 集中を研ぎ澄ませても、シールドの向こうからは弱々しい揺らぎすら感じられない。


「……ごめん……」

 

 渉の声も涙に滲む。誰に向けた謝罪かも分からぬまま、ただ自分自身の無力さを呪うことしかできなかった。


 *


 しばらくすると崩壊音が止んだ。その瞬間、渉の中で何かがぷつりと切れた。

 悔しさも悲しさも消え、もっと冷たくて深い――心が停止するような感覚。

 世界の色が薄れ、音が遠ざかり、自分の存在さえ曖昧になる。雪幻桃を見ているのに、見えていない。


 そんな奇妙な空白の底で――。


 ――『――……たす……け……』


 意識の底を掠める、微かな呼びかけ。渉ははっと顔を上げた。

 

「……いまのは……?」


 誰にも聞こえていない。颯汰も、瑠奈も、寺角教授も。だが、確かに崩れゆく枝のどこかに、消えきらない霊素の残滓があった。


 ――『……た……す……け……』


 今度ははっきり聞こえた。弱すぎて崩れ落ちそうな、命の名残。

 

(雪幻桃……?)

 

 心の中で呼びかけた瞬間、胸が熱くなり、涙がこぼれた。


(でも……僕には……助ける力なんてない。治癒も、精霊術も……僕には……っ)


 ――そのときだ。

 耳ではなく、思考のどこかに、楓の「あの声」が触れた。


 ――『……あなたは……誰よりも、王の気配に近い……でも……今は……』


 囁きは幻聴のように曖昧だったが、確かに楓の声だった。

 

(王……の……気配?)

 

 意味を理解する前に、胸がざわついた。理由のわからない恐れと、僅かな光が同時に渦を巻く。


「渉……まだ、終わりじゃないよ」

 

 気づくとフウが、渉の掌に小さな手を重ねていた。

 

「だって渉は、ずっと植物の声を聞いて……どんな子も一人にしなかった。雪幻桃だって、きっと――渉に助けを求めたんだよ」


「フウ……」

 

「聞こえたんでしょ? 最後の声」


 流れる涙をそのままに、渉は小さく頷いた。

 フウの温度を感じながら、渉の意識は深い水に沈むように、遠い記憶の底へ潜っていく。


 ◆


 子供の頃。渉は人の声より先に、植物たちの「痛い」や「苦しい」を聞いてしまう子だった。

 

「変なこと言うな」「気持ち悪い」

 

 そんな言葉ばかり浴びたけれど、校庭の隅の小さな草は、いつも『だいじょうぶ』と笑ってくれた。

 だから、自分も誰かを救えるのだと信じ続けてこられた。


 祖父が言った『花守りはな……ただ花を育てるだけじゃない――』という言葉。

 その続きは思い出せないけれど、植物と心を通わせ、その想いを受け取れる者になりたいと、ずっと願っていた。


 そして――桜野町で出会った千年桜。

 千年の孤独を抱えた彼女に、あの夜、自分は何をしただろう。

 儚く触れた、淡い光のようなキスの温度。

 彼女を救えたのは偶然じゃない、そう信じたい自分がいる。だけど。


(……もし……僕が代わりに壊れれば……雪幻桃は、少しでも……)


 どこか諦めのような独白が漏れた。その瞬間、フウが激しく渉の胸元を叩いた。

 

「だめっ! 渉、そんなこと言っちゃだめ! 消えるなんて、絶対言わないで……!」


 フウの涙目の訴えが、渉の走馬灯の底に、ようやく一筋の光を差し込ませた。

 逃げ場のない絶望の中に、微かな、けれど確かな「生」への執着が戻ってくる。

次回は「第十話 願いと神核接合」

来週金曜日更新!

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