第85話「私にとっても、ずっと大事な」
その言葉に一番驚いたのはエイリアだった。誰よりも目を丸くして、即座に「ダメだ!」と叫んだ。彼女がやろうとしているのは、オーガたちが同族の間で最も忌避する行為だった。しかし、エイリアの言葉は届かなかった。彼女は真剣な目つきで、握り締めた拳の裏で自分の角を殴り折ったのだ。
折れた日本の角が大理石の床を転がる。オーガの強さの象徴であり、かつて『精神的苦痛は大きい』と彼女自身が語った、なにより大切なものが。
「な、何やってるんだよ、馬鹿! それは君の命にも並ぶ……!」
「構わん。こうでもしなければ彼奴らは納得すまい」
フラッドは宰相を睨みつけた。最初から彼がエイリアを目の敵にしていたのは見抜いている。何か言えば否定材料をもって国王を唆し、自分に都合の良い形で追い払おうとしているのだ。ただ気に入らないだけでなく、自身の地位をさらに盤石なものとし、いつかは国王の座でも狙ってやろうとでも考えている、と。
もしそうなれば、エイリアは追放どころか魔物を都市に忍び込ませた逆賊として処刑されるかもしれない。強引に力業で逃げることはできても、いつかは限界が来る。自分たちが守ろうとしても、それは求めた未来をさらに悪化させるだけ。だから彼女は選んだのだ。たったひとつの冴えた方法というものを。
「ワシの友達にこれ以上のモノを求めるというのであれば、今度こそ人間は敵だ。しかし友好の証として貴様らがワシの角を受け取るというのなら、少なくともワシがオーガという種族すべてを纏めあげてみせようぞ! これはひとつの群れを担う、オーガの首長フラッド・ルミストの誓いの証明なり!」
力強くフラッドが吼える。ビリビリと肌に伝わるような声にどよめきが上がり、宰相も言葉に詰まった。国王だけが少しの間ぽかんとして、それからニッコリと笑顔を見せて彼女に言った。
「……良かろう、そなたの角を友好の証とする」
オーガという種にとって、角がどれほどのものかを彼は知らない。だが、大きく美しく、そして何よりエイリアが動揺するほど大切なものなのだろうと理解を示した。そして椅子から立ち上がり、自ら転がった角を拾う。
「国王陛下! 何を考えておられるのです!?」
「なに、信じてみることにしたのじゃよ」
角の重さによろめくと近くの騎士たちが駆け寄って代わりに抱きかかえる。国王は襟を正してハイディスとフラッドの前に立つ。
「まだ魔物というものを我々人類はよく理解していないが、少なくともそなたらの本気は見えた。だからこそ、あの性根の腐りきったエイリアでも信頼するほどなのだろう。その可能性に賭けてみたいと思ったのじゃ」
「ちょっと待って、今しれっと私の悪口言わなかった?」
エイリアが割って入ったのを無視して国王は手を伸ばす。
「フラッド、そしてハイディス。そなたらのことは責任をもって私が国民に説明しよう。分かってもらえなければ、分かってもらえるまで。その代わり、そなたらには急務を与える。──大魔導師エイリア・ファシネイトと共に、そなたらの仲間を集めてここへ戻るのだ。もちろん、できるのだろう?」
ふたりの魔物が深く頷いて見せる。目は爛々と、希望に満ちていた。
「ねえ、私の悪口言ったよな? なんで無視? 急務はもちろん分かるよ、私もフラッドと旅に出られるのは嬉しい。けど、いや、そうじゃなくて。この空気でいきなり私の悪口ぶち込むのは違うだろ、ねぇってば」
納得ができずに割り込もうとしたエイリアの腹にフラッドとハイディスの肘が贈られる。彼女は「ぐえっ」とカエルのような鳴き声をしてうずくまった。
「それでは国王陛下。我に与えたもうた急務のため、さっそく出発させてもらう。──必ずや期待に添った結果を持ち帰ろう」
「ワシも手伝うぞ。角はないが、やる気は有り余っておる!」
そしてふたりは国王に別れを告げ、半ば気絶に近い状態のエイリアを引きずって王城を後にした。前庭に停めておいた馬車に乗り、再び彼女たちの旅が始まるのだ。いつまで続くか分からない、長い旅が。
「……あのさあ、前から言いたかったんだけど」
顔色の悪いエイリアが御者台に強引にのせられたあと、仕方なさそうに起き上がって手綱を握り締めながら荷台を振り返る。
「君たち、本当に旅の仲間が私でいいのか? 研究もしたいから時間掛かるよ。もう魔物も無限に溢れてあっちこっちへ行くこともないだろうし、その耐久性を利用して薬品の実験も手伝ってもらうよ。それでもいいの?」
ふたりは荷台の中で寛ぎながら、くすくす笑って──。
「いまさらじゃのう。そのくらい何てことないわい」
「貴公らとの戦いを思えば気楽なものだ。なにせ我らはもう──」
声を揃えて告げられた言葉。エイリアはそれを聞いて、しばらく黙ってから「そっか」と呟く。いつかは決別した仲間を振り返り、きっと嫌気が差すに違いないと思っていたが彼女たちはそうではなさそうだ、と嬉しくなった。
「じゃあ行きますか。旅行感覚でのんびりと、ね!」




