第76話「共存できたら、それがいちばん理想的」
エイリアが言えば必要以上の拒否はしなかった。なにしろ彼女自身が人間の身でありながらふたりも魔物を連れているのだから、最初から身を危険に晒しているのと変わらないし、フラッドも思い返せばそういう人間であったと納得する。
(そういえばワシが助けられたときも、貴様は大して何も気にしておらんかったのう。……感覚が麻痺しておったが、ワシも魔物なんだものなあ)
ふと横目にロッソを見る。彼もそうだ。いくら魔王がどうと言えども自分たちも並大抵の魔物とは一線を画す、上位種であるのは間違いない。
「……ま、なんとかなるじゃろ」
「吾輩には理解できんよ。リスクを背負うなど」
「嫌なら帰ればいいんじゃ。ワシはエイリアを信じる」
「それはそうだが……分かった、構わんさ」
そう言ったロッソの表情はあまり良いものではない。しかし理由は目の前にいる魔王の成れの果てだけではなかった。
「なにはともあれ、私の意見が通ったってことでいいよね。それじゃあ、先へ進もうか。魔物発生の原因はまだもう少し奥になるんだろう、ロッソ?」
「……いや、もうすぐだろう。吾輩の調査では、このダンジョンは他の地域にあったものと比べて階層はそれほど深くない。あと二、三層進めば最下層になっている可能性は高い。だが、問題は辿り着いてからだ。吾輩が見た魔物は──」
「その話は必要ないって言っただろ?」
迷惑そうに睨まれるとロッソは話すのをやめた。エイリアは野となれ山となれの精神で突き進む以外に考えていないのだ。
「あ、あのう。我はつまり一緒に行っても……?」
「もちろん。君が裏切ったりしないと信じてるよ」
「そっ、それは当然! 我も色々と考えることがあってな」
魔王の座から引きずり降ろされて、各地を転々としているうちにハイディスは『人間』という生き物の良い部分と悪い部分を知った。すべてが敵、邪魔な存在だと思っていたなかで傷つけられ、慰められ、支えられてきた末にそれでも力を取り戻したいと旅を続けたのは、彼女なりの〝新しい世界〟を目指すためだと言う。
「それ長くなる? 歩きながらなら聞くよ」
「えっ。じゃあ、それで……構わないけど……」
「よし、先に進もう。時間が勿体ないからね」
どれだけ大きな魔力の消耗があったとしてもエイリアはほとんど疲労を感じないし、回復速度もこれまで飲んできた魔法薬の蓄積した効果が彼女を支えている。見目には普通の人間だが、ハイディスはもう彼女が魔物のような存在だと感じた。
「で、だ。ハイディス、君の言う新しい世界ってのは?」
「ああ。それなんだけどな、我の理想──共存の世界だ」
人類と魔物は相容れない存在というのは互いに敵視し合うばかりで理解がないからだ。なかにはもちろん理性なくただ襲うばかりの者もいるが、オーガやドレイク、自身の種であるヴァンパイアのように意思疎通ができる種も多く存在し、互いに助け合う環境があれば良いのではないかと語った。
「我ら魔物のなかにはあらゆる毒を中和する者もいるし、本来人間では手に入れられないような薬草も簡単に手に入れられる。そのかわり我らは魔界ではなく自然の豊かな世界に住処を提供してもらい、貴公ら人間が持つ技術を借り受けたい。たとえば建築や漁業、農業など、我らにも自給自足で賄えるものがあれば、わざわざ人間の村を襲う理由もないだろうし……」
互いの発展こそが世界の正しく美しい形へ導いてくれる。何年、何十年と掛かるとしても理想へ至るには必要な努力だ、とハイディスの夢は大きいものだった。
「共存、か。たしかに良い考えだ、私も同じだよ。魔法はもっと研究が進むようになるだろうね。……けれど、あれほど世界を壊そうとしていた君が熱意を感じられるまでに方針を変える理由はなんだったの?」
ハイディスは尋ねられると、もじもじと恥ずかしそうに。
「……小さい村で老人たちに命を救われた。我が誰であろうと関係なく手当をして温かい食事をくれた。我はそれまで人間とは絶対に分かり合えないと思っていた。いつだって剣の切っ先を向けられて、すべての人間がそうだと勘違いをしていたのだよ。だけど今は違う。優しい人間もいる。我らは分かり合えるという希望を抱いたんだ」
彼女が語るあいだに見せる真剣なまなざしは、フラッドも共感を抱けるものがあった。人間とは基本的に害となる存在──そう思っていたのを、エイリアが塗り替えた。今では人間の世界に興味津々な自分と重なる部分を見つけて親近感を覚えて嬉しくなる。
「なんじゃ、こうも人間に寄った考えを持つ者が他にもいると思うと嬉しくなるのう。ワシもエイリアのおかげでいろいろと変わったしな?」
「私が役に立ったのなら光栄だね。……で、それよりも」
次の階層へ降りたとき、エイリア以外は絶句した。眼前に広がるのは、どこまでも続いていそうな広い荒野。そこに漂うのは血と腐敗の臭い。いくつもの魔物の死骸が転がり、すこし先には山のように積まれている。
「……客人か。それも人間と魔物がいっしょに?」
積み上げられた死骸の山の頂で、誰かが意外そうな声をあげた。ロッソはそのすがたを見て、一歩下がってしまう。
「なるほど、君がこのダンジョンの支配者ってわけだ。私はエイリア・ファシネイト。いつまで経っても魔物が減らないってんで、その調査にやってきたんだけど……もしかして君のしわざだったりするのかな」
山から飛び降りた魔物は、ロッソにも劣らない強靭な体躯を持ち、その頭部はひと目で龍だと分かる。硬い濃緑色の鱗に覆われ、爪は短いが鋭く分厚い。尖った黄金の瞳が彼女たちを見つめて嬉しそうにした。
「いかにも、俺の名はテュフォン。魔界との門を繋ぎ、ここでいつか来る強者のために腕を磨き続けてきた。先日も神の武具とやらを持った小僧が挑んできたが、俺の腹を満たすほどのものではなかった。お前たちはどうだ?」
にまあと笑えば、鋭い牙がむき出しになる。邪悪そのもの、と言っても差し支えないほどの闘気に、エイリアも冷静さを保ちながらもこれまで以上の警戒心を抱く。
「そうか、君が神の武具さえ超えた怪物──」
「エイリア、下がろう。貴公でもあれには勝てん」
「あ? なに言い出すんだい、ハイディス?」
袖をつまんで、ハイディスが怯える。かつて魔王だった者が見せるとは思えない弱々しい姿に驚いて理由を尋ねれば、彼女は「あれは本当にヤバい奴だ」と首を横に振って、引き返そうとする。今のままでは絶対に勝てるはずがない、と。
「……あのテュフォンってドラゴニュートを知ってるのか」
ゆっくり、深くうなずいて、ハイディスは告げる。
「強さを求め過ぎたゆえに魔界にも人間界にも馴染めず、神の世界にさえ足を踏み入れた怪物。──〝神殺しのテュフォン〟は、我も敵わなかった勇者ブリッツが持つ剣を創造した雷帝神をくだし、魔界では生きる伝説となった者だ」




