第35話「懐は冷え切っている」
出発はそれからすぐだった。御者をフラッドにカレンとエイリアのふたりは荷台でくつろいでいる。目指しているのは北の大地、ディグ山脈までの道中にある小さな町だ。
もう馬車をずいぶんと走らせたところで、いったん馬を休ませるために川を見つける。フラッドのきゅう覚は水のにおいも敏感に察知するので、時間はかからなかった。
「いやあ。頼っちゃって悪いね、フラッド。薬の効果はどうだい?」
「効き過ぎて今なら三日は眠らずに動けそうじゃ……くそう」
「ハハハ、そりゃいい。また御者を頼める」
「覚えておれよ、貴様……!」
「まーまー、そう怒らないでよ。これ上げるから」
荷台からぽいと投げたリンゴを受け取るも、機嫌はあまり良くならない。
「あれ、もしかして今お腹空いてない?」
「物で釣ろうというのが気に食わん」
「おっと、ばれたか。ま、ともかく昼食にしようか」
すっかり太陽も昇りきった頃、いくら薬の効果で元気とはいっても空腹や便意など日常的な生理的現象が削がれるわけではない。カカロ村でもらった野菜や果物、干し肉などを外に持ち出し、天気の良い空の下で食事の準備を始める。
「カレンは果物以外は基本的に食べないんだったよね」
「ええ、そうですわ。おふたりは干し肉と野菜を?」
「私もほとんど食べないけどな。大体はこいつが食べる」
親指を立ててフラッドをさす。オーガの大食らいっぷりは良くいえば豪快、悪くいえば過食だ。エイリアがいくら食糧を備蓄したとしても、三日もしたら馬まで食べかねない勢いをしている。
「頭が痛くなるよ。カレン、君は今どれくらいお金を?」
「持ってませんわ」
「……ん? ごめん、もういっかい聞いても?」
「一銭も持ち合わせておりませんわ。全部失くしましたの」
すう~っと息を大きく吸い込む。空を見上げて「とてもいい天気だなあ」とわざとらしく大きな声で言ってから視線をカレンへと戻して。
「嘘をつくのは良くないと思うんだ。どれだけ持ってるんだい」
「魚に食べられたときに全部どこかへ落としてしまいましたの。ごめんなさい」
ふたりして虚ろな瞳で見つめ合う。沈黙が通り過ぎるあいだ、話を聞いていないフラッドはひとりで瓶を開け、さっさと果物や干し肉にかじりついていた。
「なんじゃ貴様ら。食わんのならワシが全部食らうてしまうぞ」
「……食べるよ、うん。今はなにも考えないでおく」
「そ、そうですわね。お腹が空いてはなんとかって言いますもの」
気分の乗らないまま、それぞれ干し肉や果物にかじりつく。もぐもぐ口を動かしてはいるが、もう何を食べているのかもわからないような精神状態だ。
(……どうしたもんかな。カカロ村で使った銀貨もなくなってしまったし、カレンが持ってると思ったから何も気にしないでいたけど、よく考えればあんな状態で持ってるわけないじゃないか。うう、なにか儲け話のひとつでもあればいいのに……!)
いくら英雄とて、その名を使ってまでタダで何かをするような図々しさをエイリアは持たない。彼女が基本的に手段を選ばず他人から搾取するときは必ず研究に必要なときだけだ。カレンも同じく英雄として数えられつつも、他人に頼るのは苦手だった。
「なーにを悩んどるんだか……。ところでのう、エイリア。次の町で過ごすだけの金とやらは持ち合わせておるのか? カカロ村で結構使ったじゃろう」
「君のせいでな! そのことで今、しっかりと悩まされてるところだよ!!」
「そ、それはすまん。稼ぐ方法もないのかのう?」
「あったら悩んでないんだよ。くそう、次の町で何か売っ払うか……」
食費はもとより、カレンも加わって宿代も馬鹿にならない。荷物の食糧を冒険者ギルドか、あるいは宿で安くてもいいので買い取ってもらう以外に方法が思い浮かばないでいると、フラッドは「ワシに良い考えがあるのじゃが」と近くに見える岩山を指差して。
「魔物の肉……とりわけ大型の竜は美味じゃ。馴染みのない人間では価値を感じてもらえるかは分からぬが、物好きに金と交換してもらえたりはせんのかのう?」




