第16話「できれば余計なことは言わないで」
カカロ村は森を抜けた先にある草原をしばらく走った場所、なだらかな丘の上にある百人もいない小さな集落だ。家々を囲むように木で出来た柵が立っており、一定の間隔をあけて魔除けの結界石が埋め込まれている。
「のどかなところじゃなあ……。この程度の結界で本当に平気なのか?」
「この地域にはほとんど魔物が寄り付かないからね。だから結界も弱いんだよ」
村の入り口には、のんびりと話すふたりの農夫がいる。手には傷だらけの年季の入ったかっぷを持ち、のんびりとコーヒーを飲んで過ごしているようだ。近くまできた馬車を見て一瞬だけ訝るような視線を向けたが、御者に気付くとハッとした。
「おお、これはエイリア様。お久しぶりです」
「やあやあ、どうも。宿は空いてる?」
「ええ、最近はとくに空きばかりですよ」
各地の魔物が増加傾向にあるためか、町を出て旅行をする人々はほとんどおらず、せいぜいやってくるのは冒険者くらいなものだ。魔物が少ないゆえ依頼するべきこともなく、近頃は客足もすっかり途絶えていると残念そうに肩を落とす。
「はは、でもまだ生活にはそこまで困ってなさそうだね?」
「もともと自分たちで賄ってきたような村ですから。ささ、どうぞ入ってください」
案内されて馬車をゆっくり進ませる。ちらと振り返って荷台にいるフラッドに目を向けるが、彼女は「問題なさそうじゃのう」とけろっとしていた。まずはひと安心だろう。「今日は連れもいるんだ」と紹介をしておき、怪しまれないよう振舞う。
宿の前まで来たら、あとは馬車から降りて村人に馬の世話をしてもらう。ふたりは必要な荷物だけを持って宿のなかへ入った。主人の男が頬杖をついて暇そうにしていたのに、慌てて姿勢を正して「いらっしゃいませ」とあいさつする。
「コンラッドさん、二人部屋空いてるよね?」
「お連れ様もいるんですね。空いてますよ、もちろん」
宿帳に名前を書こうとカウンターにある羽ペンを手に取る。エイリアはまず自分の名前から書き込み、それからフラッドの名前を入れようとして、ふと手が止まってしまう。
「フラッド、ちょっといいかな?」
小声で話しかける。気にしたのは彼女に姓がないことだ。
「きちんと書かないとだめなんだよ、名前。どうしよっか」
今後も宿だけではなく他の場所で名前を書かなければならないことはある。ここで名前を決めておけば仮にフラッドがひとりで何かしなくてはならないときも、いちいち言い訳を考えて頭を悩ませずに済む。
そう思ったところでフラッドは「いや、普通にあるが」と答えた。
「えっ。本当にあるの、魔物なのに?」
「オーガは闇より生まれたわけではない。古来からおる種じゃからのう」
「……ははーん。勉強になったよ、あとで詳しく聞かせて」
「うむ。ではとりあえず名だが……それを貸せ、自分で書く」
慣れた手つきでペンを握り、さらりと書いた名前は『フラッド・ルミスト』だ。エイリアはじっと見て〝たしかそんな名前の土地がずいぶん遠くにある〟と思い出す。
「字も書けるんだな、君は。それも教えてもらったの?」
「ウム。すぐに殺さなくてよかっ────」
「しっ、ばか声が大きいよ。小声で話して、小声で」
自慢げなフラッドの口をばっと手でふさぎ、宿の主人が不思議そうに見るのを苦笑いで「気にしないで、こっちの話」と適当にごまかした。ばれたら大問題なうえ口封じをするわけにもいかないので、額に冷や汗が滲んだ。
「やめてくれよ、英雄から裏切り者にジョブチェンジとか嫌だからね?」
「ハハ、すまぬ。以後は気を付けるとも」
「……なーんか信用ならないけど、まあいいよ」




