第六夜 警告
「うーん……暑い……」
「大丈夫か? 水を飲んだらどうだ?」
熱にうなされる千夜の側には、"青の青年"雪夜がいた。一夜が慌ただしく帰宅する一時間ほど前の出来事である。
雪夜の言葉を待たずして眠りに落ちたはずの千夜だったが、その眠りは僅か十分という浅いものであった。
どうやら、熱のせいで暑くて寝苦しいらしい。千夜はもぞもぞと態勢を変えながら、どうにか心地良い寝方を探している様子であった。
「……おい、寝苦しいなら一旦起きろ。水分補給も大切だぞ」
「うーん……」
存外まともなことを言う雪夜は、千夜を半ば無理矢理起こし、水の入ったペットボトルを口元に近づけた。千夜は特に抵抗することなくペットボトルを受け取り、ぐびぐびと一気に飲み干した。
「……ふう、生き返った……」
「そいつは良かった」
人心地ついたところでようやく、千夜は目線を雪夜に向けた。
「お水ありがとう。ところで、お兄さん誰なんだっけ……?」
「まったく……お前、さっき名乗ろうとしたところで寝落ちしやがっただろ? 今度は寝るんじゃねえぞ」
「あははは……ごめんなさい」
呆れる雪夜に、千夜は恥ずかしげに苦笑した。
「俺の名は雪夜。"青の断罪者"を名乗る……まあ、霊能者みたいなもんだ」
「ええ⁉︎ 幽霊視えるの⁉︎」
「驚くとこはそこなのか……」
千夜は純粋に驚いた様子ではあったが、雪夜としてはその反応は複雑な気分であった。
「それで、何で霊能者の雪夜くんがここにいるの?」
「やっと重要なことに気付いたらしいな、お前は。俺は仕事をしに来ただけだ。お前や家族に危害を与えるつもりはない」
「へー、そうなんだ」
雪夜としては、できる限り千夜の不安を取り除くための、重要な前置きであるはずだった。しかし、千夜には出会った当初から警戒心というものがまるで無かった。
——いくらなんでも、見ず知らずの男が不法侵入して来てるっていうのにこの反応はないだろう……。
好奇心で輝く瞳に見つめられながら、雪夜は我知らず深い溜息をついた。しかし、千夜は軽く小首を傾げるだけで、警戒する素振りは全くない。
「じゃあじゃあ、うちに幽霊がいるの? 退治するの?」
「まず先に、もう少し俺に対して警戒してくれないか? あまりにも警戒心が無さ過ぎるのは、こっちとしては色々不安になる」
雪夜は当然——と言うには些か心配し過ぎではあるが、見ず知らずの自分に対する危機感をもてと主張した。しかし、千夜は不思議そうにきょとんとしている。
「でも、雪夜くん、悪い人には見えないよ?」
「……その根拠が全く見当たらないんだが……まあいい。時間がないから本題に入らせてくれ」
雪夜は諦めたように深い溜息をつき、ようやく話し出した。
「お前に聞きたいことがある。昨日のうちに、何か変わったことはなかったか? 些細なことでも何でもいいから教えてくれ」
「うーん……変わったことか……」
水分補給をして頭がすっきりしてきたのか、先程のような気怠げな様子は見られない。千夜はひとしきり悩んだ結果、昨晩のことを思い出した。
「——そうだ、昨日の夜、帰りにバス停のベンチで赤色のリボンを見たんだ」
「赤だけか?」
「ううん、うちの玄関近くにある桜の木にも、黄色のリボンが引っかかってたよ」
「……」
千夜の証言を聞くと、雪夜は表情を歪めて黙り込んだ。そんな雪夜の顔を千夜は心配そうに覗きこんだ。
「ねえねえ、あのリボンって何なの?」
「……悪いが、今は話せない」
千夜の問いに、雪夜はきっぱりと答えた。そしてさらに付け加えた。
「リボンの件は気にするな。普段通り生活してくれ」
「えー、そう言われるとさらに気になるよ」
千夜は不満げに文句を言ったが、雪夜は無視して無理矢理千夜をベッドに横にならせた。
「お前熱が出てるんだろ。ちゃんと寝てろよ」
「起こしたのは雪夜くんじゃんか」
「悪かったよ。謝るから安静にしてろ。もうじきお前の弟が帰って来るだろうからさ」
なんとか千夜を寝かせると、雪夜はようやく立ち上がって部屋を出て行こうとした。しかしドアの前でピタリと立ち止まり、後ろへ振り返った。
「……そういや、もう一つ聞くのを忘れてたんだが」
「ん?」
「さっき、俺がここに来た時、何でドアの前にいたんだ?」
雪夜としては、何気ない質問のつもりだった。だが、千夜は思いもよらない返答をした。
「音が聴こえたんだよ。"トントントン"って感じで、規則正しい物音。雪夜くんが階段を上る音だったんじゃないの?」
「は……?」
雪夜はここで初めて、驚愕した。
「ちょっと待て。それは確かか?」
「う、うん……そういえば、一時間くらい前かな? その時もトントントンって音が聴こえたんだよね……あれも雪夜くん?」
まさか、と雪夜は思った。そんな音がしたのなら、自分が気づかないわけがない——雪夜は驚きを通り越して、戦慄した。
「……俺がここに来たのは、二十分くらい前のことだ。家の鍵は申し訳ないが、ピッキングで開けさせてもらった」
「うわ、凄いね。泥棒さんみたい」
「問題はそこじゃない。俺がいない時——そもそも、俺はそんな足音をたてた覚えはない——俺はお前の聴いた物音なんて聴いてはいない」
一気に早口でまくし立てたためか、千夜は話についてきていないらしい。まだ熱が完全にひいたわけではないらしいな——などと思いながら、雪夜は一人で考え込んでいた。
——千夜にだけ聴こえた物音……これは全ての"事例"に共通している"前触れ"か……。
「——千夜、まだ起きてるか?」
「……うん……眠いけど……」
かろうじてまだ眠ってはいないらしい千夜に、雪夜は最後の忠告をし始めた。
「いいか、千夜、お前は今、"妙なもの"に憑かれてる」
「"妙なもの"……?」
千夜は今にも瞼が落ちようとしている。
「それが良いものか悪いものかはまだ分からない。だが、一つだけはっきりしてることがある」
そして雪夜は、断言した。
「弟の一夜から離れるな。さもないと——」
これは決して脅しではなかった。これは忠告——警告とも言えるものであった。
「どちらかが死ぬぞ」
この最後の言葉が千夜の耳に届いたのかどうかは、本人しか知らない。




