第四夜 音
トントントンッと音がする。まるで階段の上から何かを落としたような、規則正しいリズム感のある音が。
「……なんだろ、この音」
熱に浮かされた頭では、残念ながら答えは出なかった。
***
双子の弟である一夜が登校してから数時間。その間の千夜は、ずっとベッドの中で過ごしていた。
しかし、千夜は元来ジッとしている質ではない。外で活発的に動くのが好きとまでは言わないが、それでも常に何かをしていたいと考えている少年であった。
それなのに、今の千夜はとてもじゃないが動ける状態ではない。次第にフラストレーションが溜まっていくのを感じていた。
「早く一夜帰って来ないかな……」
つい先ほど送り出したというのにも関わらず、千夜は早くも一夜の帰りを切望していた。どうしても、話し相手が欲しかったからである。
だからこそ、千夜はこう口走ってしまった。
「誰でもいいから、話し相手が欲しーな……」
トントントンッと音がした。
「……なんだろ、この音」
千夜はびくりと肩を震わせた。
嫌な予感がするーー千夜はそう思いながらも、動こうとはしなかった。仰向けにベッドに横になったまま、微動だにしなかった。
「……ほんとに、早く一夜帰って来ないかな」
千夜の思考は、そこで止まった。
***
千夜が再び目を覚ましたのは、それから一時間ほど経過した昼過ぎのことであった。
「喉渇いた」
そう呟いて、千夜は気だるい身体を起こした。この時には、先ほどの奇妙な音のことなどすっかり忘れてしまっていた。
千夜はベッドの脇に置かれたペットボトルの水を手に取った。多少ぬるくはなっていたが、然程気にするほどではない。キャップを外し、口をつけ、ボトルを傾けた時、またもやあの音が聴こえた。
トントントンッと、先ほどよりも、ずっと大きな音だった。
ここで千夜は、ある勘違いをしていたことに気付いた。あの音は、物が落ちる音ではない。誰かが階段を上る音だ、と。
「……一夜、帰って来たの?」
そうは言いつつも、それは間違っていることは分かっていた。いくら一夜が無口とは言っても、兄である千夜の呼びかけに応えないことなどありえない。
千夜は、心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。
「誰かいるの……?」
激しく脈打つ胸をなんとか抑えながら、千夜は勇気を振り絞ってドアに近づいた。躊躇いがちにドアノブを握り、ゆっくりと音をたてずにひねる。そしてドアを開け放とうとしたその時、突然外側からドアが開けられた。
念のために記しておくなら、千夜の部屋は内開きである。
不意をつかれた千夜は、ドアノブを握ったまま内側に押し込まれた。それでもなんとか態勢を立て直し、恐る恐る目線を上げ、たった今ドアごと自分を押し出した人間を見上げた。そして、千夜は驚きのあまり呆然とした。
「何やってんだ?」
「……そちらこそ」
余りにも馬鹿馬鹿しい会話だ、と千夜は思った。もしもこの場に我が弟がいたならば、きっと強烈な睨みをお見舞いしていたに違いない。
その人物の第一印象は、''青い人''であった。至近距離で見れば判るが、かなり中性的な青年である。遠くから見れば女性に見えていたかもしれない。 髪も瞳も黒がかった青色で、真っ黒なロングコートに身を包んだその姿は、千夜にとっては奇妙に思えた。
青の青年は、こちらも不意をつかれたような驚きの混じった表情で千夜を見下ろしていた。
「……えっと……どちら様ですか?」
「……」
気まずい雰囲気を先に破ったのは千夜の方であった。しかもどういうつもりか、ドアを大きく開け放ち、青の青年を躊躇うことなく部屋に招き入れた。
これには青の青年も目を見開いて驚いた。
「……あんた、もうちょっと警戒したらどうなんだ?」
「え?」
千夜は彼の言葉の意味を理解していなかった。生来の育ちの良さのためか、はたまた普段はあの警戒心だらけの弟が控えているためか、千夜には警戒心というものが足りないのである。
しかし、そんなことは千夜にとってはどうでもいいことであった。今重要なのは、目の前の不思議な青年の正体を知ることである。
「お兄さん、もしかして泥棒さん?」
「……どこから突っ込めばいいのか分からないが、俺は泥棒ではない」
なぜ泥棒にさん付けするんだ、などと文句を付け加えながら、青の青年は千夜の背中を押してベッドに追いやった。千夜が風邪をひいていることは一目瞭然だったからである。
千夜はされるがままにベッドに戻り、抵抗なく再び横になった。
ちょうどその頃、外では一夜と赤の相棒が睨み合っていたのであるが、そのことは二人とも知らないでいた。
「ーーあんたが千夜、だよな?」
「うん」
千夜は眠たげな目で答えた。今にも眠りに落ちてしまいそうである。
「……お兄さんの名前は?」
「ああ、俺は……って」
青の青年が名乗ろうとした瞬間、千夜は睡魔に負け、とうとう眠りに落ちてしまった。
青の青年は大きな溜息をつきながらも、穏やかな声でこう言った。
「俺の名は''雪夜''だよ、千夜」
''青の断罪者''は、そう言って不敵に微笑んだ。それは目の前でぐっすりと眠る千夜に向けたものであり、また同時に、彼らを見つめる''妖しい影''に向けたものでもあった。
「覚悟しとけよ、◯◯」
その最後の言葉は、誰の耳にも届かなかった。




