7,感情
当たり前のように助手席に座り、シートベルトを締めた万里江は、無表情ではあるが、どことなく嬉しそうに見える。
嬉しいのは俺だろ……
自分に突っ込みを入れながら、車を出した。
近くに小さいスーパーがあるが、もっと万里江とドライブをしたかったので、少し離れた大型スーパーまで行くことにした。
「週末は混んでんなぁ」
パーキングに入る渋滞の列に並んだ。
もうすぐ行われる市長選挙の演説が聞こえてきた。
まだ誰に投票しようか決めていなかったので、話でも聞くかと思い、窓を開けると、外の様子が伝わってきた。
「今回の選挙はずいぶん活気があるよな」
何の気なしに万里江に目をやる。
「どうした?」
拳を強く握りしめ腕を突っ張り、下を向いている。
「具合でも悪いのか?」
心配になり、万里江の顔色を確認しようと顔を近付けた。
万里江は両手で両耳を塞ぎ、『いやいや』というように頭を振り始めた。
「あ、外うるさかったな?ごめんな」
俺は急いで窓を閉め、パーキング待ちの列から外れ、車を走らせた。
耳を塞いだまま、じっと動かない万里江。
「大丈夫か?帰るか?」
俺の問いに、万里江は小さく頷いた。
少し迷ったが、真っ直ぐ家には戻らず、途中のコンビニの駐車場に停まった。
「ここで待っててな。何か買って来るから」
俺はコンビニでサンドイッチとおにぎり、プチシュークリームとドーナツを手に取り、レジでブラックコーヒーとカフェラテを買った。
「万里江、そこの公園で食べよう」
公園と言っても遊具はなく、子どもは遊んでいない。
平日は近くのオフィスの社員が休憩に使っている小さな公園で、俺も小竹とたまにここで休む。
助手席から降りてきた万里江の背中に手を当て、ベンチに連れて来た。
「ほら」
カフェラテを渡すと、万里江はすんなりと受け取った。
「どれにする?」
買って来たものをベンチに広げた。
「大丈夫か?」
もう落ち着いたようだけど、さっきの様子は普通じゃなかった。
万里江が泣き出すんじゃないかと、俺は気が気じゃなかったんだ。
「これなら食えるか?」
ドーナツを渡すと、万里江は小さく首を振り、サンドイッチを指さした。
よかった。
食欲を示してくれたことにほっとして、サンドイッチのフィルムを剝いてやった。
チキンサラダサンドは同じのが2つ入っていた。
「ひとつ俺がもらってもいいか?」
そう聞くと、万里江がふっと笑った。
その笑顔が……あまりにも……え?……アートかよ……
心臓を鷲掴みにされたかと思うくらい、体の中心がぎゅっとなった。
「俺、変なこと言った?」
万里江はにこやかに首を横に振った。
「笑った顔、いいな」
ちょっと驚いたように目を大きく開いた。
「万里江の笑顔はどんな芸術品より美しい」
臭い台詞を言っている自覚はあったが、言わずにはいられなかった。
「ん」
思いがけず万里江から返事をもらい、キモがられなかったことに安堵した。
それから俺たちは、おにぎりとドーナツを半分に分け、プチシュークリームを同じ数だけ摘まんで食べた。
結局、全て半分ずつ食べたわけだが……
これってなんか恋人同士みたいじゃないか?
途中からそんな余計なことが頭から離れず、俺は味が分からなかった。
近くのスーパーで食材を買ってから帰宅した。
いつもならビールと冷凍食品が中心だが、万里江にそんなものばかり食べさせるわけにも行かないので、いつもより生鮮食品が多めだ。
すっからかんの冷凍庫には肉や魚が充実し、缶ビールしか入っていなかった野菜室には緑黄色野菜が並んだ。
「晩飯、食って行かないか?」
料理は得意とは言えないが、母親がいない家で育ったので、一通りのことは出来る。
迷っていそうな万里江にとどめの一言。
「グラタンでもしようと思ってるんだ」
さっき、買い物中に万里江がじっと見ていたことを知っている。
俺は鶏肉と玉葱を炒めて混ぜるだけの簡単グラタンキットを購入していた。
それだけじゃ芸がないと思い、茹でたブロッコリーと人参も添えるつもりだ。
そそられるだろ?
食っていくよな?
返事が『はい』でも『いいえ』でも、俺のやる事は同じだ。
玉葱を切りつつ、鍋でお湯を沸かす。
フライパンに鶏肉を入れ、切った玉葱を加えて炒める。
鍋に輪切りにした人参と、小分けにしたブロッコリーを茹でた。
箱の裏を見ながら、フライパンに粉・水・牛乳・マカロニを混ぜながら煮る。
後は皿に盛って、チーズを乗せて、トースターで焼くだけだ。
下ごしらえが済んだが、まだ腹が減ってないのだろう。
万里江はまたちゃぶ台で絵を描いているようだった。
邪魔しないように、俺も本を開いて台所のテーブルで読み始める。
ピンポーン
何か通販で買ってたかな……
「はい」
横引きのガラス戸の向こうに、人影が見える。
一人じゃなさそうだな。
「どちら様でしょうか?」
用件を聞かずに扉を開けるほど不用心じゃない。
押し売りなら顔を見ずに追い返すことにしている。
『恐れ入ります、貴島事務所の者ですが』
キジマ?
俺が知っているキジマは、長年市会議員を勤め、今回の市長選挙に立候補している、あのおじさんだ。
「選挙活動ですか?」
『……いえ。少しお話を伺いたいことがございまして』
俺に何の話を『伺う』って言うんだよ。
さっき、万里江が選挙演説を嫌っていたから、俺は正直、玄関を開けたくなかった。
「今、忙しいんでまたにしていただけますか?」
もし貴島が市長になったとしても、俺の無礼を咎める法律なんてないよな?
若干ビビリながら、お引き取りいただけないか試みる。
『すみません、万里江様の件で……』
万里江か。
やっぱり、と思った。
そんな気はしたが、万里江が貴島事務所とどんな関係があるのかまでは想像が及ばない。
「彼女が何か?」
『貴島先生からお嬢様を連れ戻すように申し付かっておりまして』
万里江は貴島の娘なのか。
「別に本人の意思でここに居るのなら、問題ないんじゃないですか?」
『いえ、まあ、その、お嬢様はご病気ですので……』
「病人なら本人の意思は関係ないということですか?」
『まさか、ただ、会わせていただけないとなると、警察に捜索を依頼しなければなりませんので』
俺を脅す気か?
成人した女性が、自分の意思で動いてるんだ。
警察に行ったところで、俺が逮捕されることはない……よな?
こういう時、自分の学のなさに情けなくなる。
堂々と突っぱねたいが、つい弱気になってしまう。
「ちょっと、本人に確認してきます」
万里江に聞いてからにしようと振り返ると、本人がすぐ後ろに立っていた。
またぶつかりそうになったのを寸前で回避する。
「知ってる人か?」
黙って頷いた。
「会って話したいか?」
「ん」
てっきり首を横に振るだろうと思ったので、万里江の返事に驚いた。
「開けていいのか?大丈夫か?」
「ん」
柱の陰に半分隠れた万里江を横目で確認しながら、玄関の扉を開けた。
黒いスーツを着た男性が2名と、フリースにジーンズの女性が立っていた。
男達を押しのけて、おばさんが玄関に入ってくる。
「万里ちゃん!探したのよ!」
そう言って俺の後ろの万里江に手を伸ばす。
「ちょっと!あなた困ります!万里ちゃんを返してちょうだい!」
万里江の母親なのだろう。
顔は万里江と似てなくもないが、雰囲気が全く違う。
「パパがこんな大変な時に、手間ばかりかけて!少しは家族のことを考えないと駄目でしょ!」
万里江はとうとうおばさんに捕まってしまい、手首を引っ張られて玄関に降りてきた。
「ほら!行きますよ!」
万里江がもたもたと靴を履こうとしている。
引き止めたいが、俺にそんな資格あるのか?
そもそも万里江は引き止めてほしいのか?
行きたそうには見えないが、抵抗するでもない彼女を見ていると、どうしていいのか分からなくなる。
男たちが車のドアを開けて待っている。
母親に片腕を引っ張られながら、万里江が振り返った。
そして、反対側の手を伸ばしながら……
「たっちゃん……」
俺はすかさず万里江の手を握った。




