5,額縁と思い出
「まだ続きを描くんだろ?キーはポケットに入ってるから、疲れたらちゃんと車で休めよな。帰りは送ってってやるから」
そう言って午後の仕事に戻り、一生懸命働いた。
正直、こんなのは初めてに等しい。
残業を回避するために一生懸命働くなんて、発想すら持ち合わせてなかった。
17:45
もう真っ暗で何も見えない。
車の近くに万里江の姿はない。
助手席を覗き込むが誰もいない。
しまった……鍵を持ったまま帰ってしまったのかもしれない。
間宮さんに家まで送ってもらおうと踵を返すと、運転席にキーが刺さっているのが目に付いた。
あ、返してくれてたのか……
ホッとして車を開ける。
作業着のジャンパーを脱いで後部座席に置こうとして、固まった。
万里江が寝ていた。
座ったまま、上半身を横にして、くたっとしている。
「体調が悪いのか?」
小さく声をかけながら、恐る恐る手首を掴む。
細くて重さは感じないが温かかった。
「脈はあるな」
安堵して、優しく肩に触れる。
「起きろ、帰るぞ」
のっそりと上体を起こし、万里江は自分の顔にかかった髪の毛を払いのけた。
それから運転席のヘッドレストを掴むと、大きく足を広げ助手席に移動してきた。
眠そうに目を擦りながら、ちゃんとシートベルトを締めている。
一連の動作が可愛くてたまらない……
さっき触れてしまったせいもあるだろう。
俺は、生まれて初めて異性を意識している。
嫌われたくない、好かれたいという衝動が、俺の中の『好きだ』という気持ちから湧き出てきてどうしようもない。
「万里江」
だがしかし、この後に続く言葉を用意していなかった。
「家はどこだ?」
苦し紛れに会話をそれっぽく繋げる。
「……」
「返事をしないなら、また俺んちに連れて行くぞ」
「ん」
おいっ!今、「ん」っつったな?いいのか?本当にいいのか?
どうやって帰ってきたか記憶はないが、事故らなくてよかった。
「着いたぞ」
俺がシートベルトを外すと、万里江も同じように車から降りた。
こんな時間に女性を連れ帰って、俺は一体どうやってもてなせばいいんだ。
家の鍵を開けながら、あれやこれや考えていると、万里江が背中をつんつんしてきた。
「なんだ?」
振り返ると、今日描いていた絵を俺に差し出している。
「え?くれるのか?」
頷く万里江。
「いいよ。悪いから。それは、持って帰れよ」
本当は欲しかったが、少しやせ我慢をした。
万里江は玄関先に絵を置くと、スタスタと歩き出して家から離れて行く。
「ちょっと待って。歩いてくなら送って行くよ」
追いかけていくと、万里江が首を横に振った。
「嫌なのか?」
答えてくれない。
「家を教えたくないとか?」
答えてくれない。
「明日も……来るか?」
答えてくれない。
「会社にはもう来ないでくれ」
あんなに長い時間、駐車場に一人置いておくなんてできない。
「どうせ来るなら、ここにしろ。な?」
そう言って、俺は家の鍵を渡した。
受け取ってくれたんだから、嫌ではないのだろう。
だけど、一言も発することはなく、万里江は帰って行った。
「確か……ここにしまったはずだけど……」
かつて親父が使っていた、今は、物置部屋となっている段ボールの山を漁る。
家族を看取った後、どこまで思い出の物を取っておくのかは、その人の価値観に寄るだろう。
俺は何ひとつ捨てられないままに、ただ、箱に詰め、放置した。
『そんなの取っておいてどうすんだよ』
親父が会社の接待で行ったゴルフコンペで優勝したとかでもらった賞状や、俺が高校の弁論大会で市長特別賞をもらった表彰状を額縁に入れて、親父は壁に掛けていた。
大した賞でもないし、頑張って狙った物でもなく、ただ運よくもらえただけの紙切れを飾るなんて、俺には恥ずかしかった。
だから親父の亡き後、俺はその手の物は全部、箱に詰めてしまったのだ。
「あった……」
記憶にはもう無かったが、俺の小学生の時の合唱コンクールの三位入賞や、中学生の時の陸上部のリレーの準優勝など、大したことのない賞状がいくつも重なって出てきた。
適当に選び、後ろの留め具を外す。
それから中身を取り出して、万里江がくれた絵と入れ替えた。
額縁があって、ガラスに覆われると、万里江のアートはより一層、本格的な物に見えてくる。
気に入って、俺の部屋の正面の壁に掛けた。
今日もらったのと、昨日もらったの。
二枚並んだ万里江のアート作品。
顔がニヤケてしまう。
アートのある生活はなかなか良いものだな。
正直、俺は機嫌がいい。
なんせ朝起きたら、万里江が俺の為に描いてくれた絵が真っ先に目に入ってくるんだ。
控えめに言って『今日はいい日』だ、既にな。
鼻歌を歌いながら、炊いたご飯をにぎっていく。
鮭や昆布、梅干しなんかを、俺は少量ずつごちゃまぜに入れる。
今日は終日点検で出ずっぱりだから、休憩時間にさっと食えるように弁当を持参するつもりだ。
「万里江も食うかな」
今日、彼女が家に来るかどうかは分からない。
だけど、あいつのことだから、きっと一日中絵を描いて、腹が減ったことにも気付かないかもしれない。
俺と同じものを倍にぎって、アルミホイルに包んだら、それをちゃぶ台の上に置いた。
気が向いたら食べればいい。
が……
気付くだろうか。
一応、念の為『万里江のおにぎり 冷蔵庫に麦茶が入ってる』そうメモに走り書をきして家を出た。
機嫌がいいからか、いつもより早く支度が出来てしまった俺は、いつもより早く会社に着いた。
「先輩、おはようございますっ」
「おはよう、小竹」
「昨日の、あれっすけど、作ってみたんで見てもらえますか?」
「リスケした点検順のリストか?もうできたのか?」
この地域は新興住宅街と過疎化が進んでいるかつての繁華街が混在していて、世帯数は多い方だ。
しかも、少し行くと整備が行き届いてない山林や畑なんかもある。
リスクの度合いと影響を及ぼす世帯数のバランスは、そう簡単に優劣が付けられるものではない。
「見せてみろ」
小竹が持っている二穴のファイルに手を伸ばす。
表紙には地域ごとに前回のメンテナンス時の評価得点、次ページには停電時に影響を与える世帯数と、病院や学校、一般企業のデータが並んでいた。
「一晩で調べたのか?」
「うっす!」
それらの個別の評価軸を見事に組み合わせ、小竹は独自の『点検優先順位』をつけていた。
「やるな……」
「あざっす!」
受け答えは軽いが、こんなデータをまとめる特技があったとは意外だ。
「これ、もう少し見させてくれ」
「もちろんっす」
「このまま使わせてもらうことになってもいいか?」
間宮さんの助言をいただいてから、上長にリスケの申請を申し出なければならない。
許可が降りれば、早速、この順で点検チームを再編成するつもりだ。
小竹が柄にもなくモジモジしている。
「どうした?まずいことでもあるか?」
「いやー、使ってもらえたら嬉しいんすけど、そのつもりで頑張って作ったんで……でも、『俺』が作った資料だって、ちゃんと報告してほしいっす。手柄の横取りはしないでくださいね、先輩」
「当たり前だ。ちゃんとお前が作ったって言うよ。俺にこんな芸当ができないことは、上だって分かってるさ」
「なら、よろしくお願いしますっ」
元気な小竹は他部署に配属された同期を見つけて走って行った。
見た目と第一印象で貧乏くじを引かされた口かな。
小竹は仕事覚えもいいし、明るくて素直だし、こんなパソコンを駆使した作業だってできるのに、俺なんかの元に配属されてきちまった。気の毒な奴だ。




