30,恋の応援
「万里江さん!もう大丈夫なんですか?」
元気な柏木さんが出社してきた。
「うん、昨日はありがとう。お陰様で、すっかり元気」
昨日、母と話した後、決心を固めた私は、田所さん宛てに長文のメールを送った。
電話だと言い忘れがあったら嫌だし、弁護士に転送してもらう為、敢えて残る形にしたのだった。
終始、緊張が張りつめ、手汗でキーボードが滑ったが、母が隣で無言で家事をしてくれていたことが支えになった。
『できたけど読む?』と母に聞いたら、『そのまま送っちゃっていいわよ』と言われた。
100%の信頼を得ているのだと、身が引き締まる思いだったけど、心は軽やかだった。
―――そんな出来事を思い返しながら、私は柏木さんに声をかけた。
「昨日のランチはどこに行ったの?」
柏木さんも上機嫌で、昨日は楽しかったのだと、すぐに分かる。
「駅前の銀行を曲がった奥に、小さなフレンチレストランがあるんですけど知っています?」
「うん、知ってるよ」
そこは前にたっちゃんが連れて行ってくれたところだ。
プロポーズされて、実家に報告に行ったけど上手くいかなくて……
このまま婚姻届けを出していいものか迷っていた時、たっちゃんが誘ってくれたんだった。
『ご両親の了承を得るまで待とう』と言ったたっちゃんに、『そんな必要ない』と私は突っぱねた。
結局はたっちゃんが折れたような形になったけど、あの時のあの時間は本当にあって良かったと思う。
手の込んだ料理がゆっくりとコースで運ばれてきて、冷静さを失っていた私は、食事をしながらゆっくりと平静を取り戻していったんだ。
『こんなの手で食べた方が早くないか?』最後に出てきたデザートを指さして、たっちゃんが言った。
小指一本ほどのミルフィーユで、フォークで突けばバラバラになってしまうのが予想できた。
『本当だ』私はそう答えて、親指と人差し指で摘まんで、一口で食べた。
たっちゃんも同じようにして口に入れ、『こんなに綺麗に食べたの、きっと俺達が最初で最後だよな』と嬉しそうに言った。
気取らない。
無理しない。
やりたいようにやっていい。
それがたっちゃんのいいところだった。
――回想からふっと我に返ると、柏木さんが少し残念そうな声を上げていた。
「なんだぁ、万里江さん行ったことあるんですねー」
「うん?」
「美味しかったから、今度、万里江さんも連れて来てあげましょうって、社長に次の約束取り付けたんです。ちぇ、残念」
「大丈夫だよ。ランチは行ったことないから、初めてのふりするよ」
「え?万里江さんって意外とワル?」
「まあね、あながち嘘とも言い切れないでしょ?だってランチは行ったことないんだもん」
「あははー、なんか、今日の万里江さんおもしろー」
柏木さんが大きな声で言うと、滝岡社長がやって来た。
「何が面白いんだ?」
「あ、こっちの話なんで、女子の会話に割り込まないでもらえます?」
「うわっ、冷たくないか?」
「普通です。会社の上司が女子社員の会話に混ぜてもらえないなんて当たり前です、ね?万里江さん?」
可愛く首を傾げる柏木さん。
「はい。その通りです。滝岡社長、すみません」
「南原さんまで……!」
「あ、でも、昨日の約束は守ってもらいますよ。万里江さん、あそこのランチに行ったことないそうですから、来週とかどうですか?私、予約入れときますけど」
とんでもなく積極的な柏木さんに笑ってしまいそうになる。
「えっと、木曜の昼が空いてたかな。スケジュール確認して後で教えるよ」
「はーい」
柏木さんはこっちを見て、小さくペロッと舌を出した。
私もつられて、ちょっと舌が出ちゃう。
柏木さんの恋を応援したい。
滝岡社長も素敵だし、柏木さんとは本当にお似合いだと思う。
「あ、万里江さんが早退してから、昨日、私ちょっと一人でやってみたんですけど、次の新作のデザインできたんで見てもらえます?」
本当か嘘か分からないけど、柏木さんに腕を引っ張られ、デスクを移動した。
滝岡社長は頭をポリポリと掻きながら自席に戻った。
「これなんですけど」
パソコンに新作のデザインが映し出される。
「え!すごいいい!」
思わず小さくジャンプしてしまった。
「本当ですか?ちょーうれしー!」
お世辞じゃない。本当に素晴らしいデザインだった。
「万里江さんにインスピレーションもらってるみたいで、私もなんか最近、いい感じのがどんどん出てくるんですよねぇ」
うっとりとした目でパソコンを見つめる柏木さん。
「分かるかも。乗ってるときって、そういう感じするよね」
「ひゃー、万里江さんと同じ感性を持ってるなんて、私も実はただ者じゃないとか?」
「私だって別に特別じゃないよ。でも、柏木さんが今、すごいスピードで成長してるっていうのは、本当だと思うよ。こういう時に、どんどん作った方がいいと思う」
「万里江さんもそうでした?」
「うん。もう描けないっていう限界まで描いて、だけど、そこに辿り着いたと思ったら、その先が見えてきて、とにかく描いて描いて描きまくった。その経験は今でも生きてると思う」
高卒でデザイン会社に入ってから、アシスタント時期を含めても、私の社会人経験は10年もない。
だけど、その時々で全力でやれることをやって来たつもりだ。
過去のコンペが、たとえ不正があって私に有利に働いたとしても、私が全力で取り組んだことを否定されたくない。
裁判で不正が公になれば、私も関与を疑われて白い目で見られるかもしれない。
だけど、それを恐れて隠蔽するのは間違っている。
母の言うことは正しい。
もし裁判の結果、この会社に迷惑をかけてしまうようなら、その時は辞めよう。
私が居なくたって、柏木さん一人で充分やって行けるはずだ。
そう思うと、また少し心が軽くなった。
「南原さん、ちょっといいかな」
滝岡社長に呼ばれた。
反射的に柏木さんを見たが、彼女の目線はパソコンに釘付けだった。
応接室の方に手招きされ行ってみると、紙の書類を手渡された。
「法律事務所から連絡がきた」
さっと目を通す。
「なぜ会社に?」
「田所さんって言ったね、南原さんの元同僚」
「はい」
「実は彼から連絡をもらってね。貴島市長が絡んでるんだって?」
父の名前が出ると、自分が被害者なのか加害者なのか分からなくなる時がある。
少し動揺したけど、これには慣れなければ……
「はい」
「田所さんたちは『原告団』と言うのかな?もともと個人で訴えるつもりだったようだけど、その、なんて言うか」
困ったように口に手を当てて、目を逸らされた。
「田所さんは訴えを取り下げるのだそうだ」
「え?何でですか?」
ワントーン高い、奇妙な声が出てしまった。
「その……市長の汚職事件で刑事事件として扱われることになったらしい。デザインの盗用は別件の民事として訴えを続けようか悩んだらしいんだが、刑事事件になれば板倉も罪に問われるはずだからと、民事は取り下げることにしたらしいんだ」
「どうして……」
どうして直接言ってくれなかったのだろう。
「君に謝っておいて欲しいと頼まれた」
「え?」
「板倉を懲らしめる為の情報提供をしてくれたのに、こんな事になってしまって、君に申し訳が立たないって。また、その……君が心を壊してしまわないか心配していたよ」
滝岡社長が優しく私の肩に手を置いた。
「私は大丈夫です。そもそも父がしでかした事なので、罪は償うべきです。それに関しては私も母も納得しています。ただ……」
「ただ?」
「こうしてまた会社にご迷惑を……」
「迷惑じゃない。ちっとも迷惑なんかじゃない。言っただろ?俺は君を公私ともに支えたいって。いつもよく働いてくれているし、感謝しているんだ」
「私は最近、ちっとも仕事をしていません。プライベートに振り回されて仕事にならないんです。頑張っているのは柏木さんですよ」
「ああ。柏木も頑張ってるのは知っているが」
「柏木さんが、頑張ってるんです。滝岡社長の為に」
「はい?」
「滝岡社長が公私ともに支えてあげるべきは、私じゃなくて柏木さんです」
「は?柏木?俺が?……公私ともに?」
訳が分からないといった、滝岡社長の表情がおかしくて笑ってしまいそうになるのを必死で堪えた。
「そうです。柏木さんです」
「はあ……柏木……俺が……?」




