29,訴訟の行方
「そんなことより、万里ちゃんはどうしたの?呆けた顔して帰ってきて」
「あ、うん……お母さん、板倉って覚えてる?」
「もちろんよ、板倉さんがどうかしたの?」
母が、どこまで私と板倉の関係を把握しているのかは知らない。
でも私の勤め先の上司で、父が縁談の話を進めていた元婚約者であることは、周知の事実だ。
「訴えるかもしれない」
「なんでまた?」
母は私が心を病んだ原因を具体的には知らない。
「……コンペっていう……大きな仕事を取る競争の邪魔をしてきてね。黙っているわけにはいかなくなって、前の会社で不当に扱われた事を、昔の同僚が訴訟を起こさないかって……」
「すごいじゃない。やったらいいと思うわ」
馬鹿にしているわけじゃないけど、母に理解できているのだろうか。
「サラリーマンが会社でデザインしたものは会社の物なの。だから、私がデザインを盗まれたって言うのは、実はちょっと筋が通らない主張って言えなくもなくて」
「あら。万里ちゃんが作ったのに?」
「うん。私が作ったけど、業務命令って言うか、仕事の一貫だし、会社の機材を使っているわけだから所有権は会社にあるのが普通だよね」
「あの、冬のスポーツイベントのデザインのことでしょ?」
「あ、知ってたの?」
「当然でしょ。パパがこーんなに鼻を高くして自慢してたんだもの。嫌でも耳に入ってくるわ」
母がグーにした手を鼻の前で伸ばしたり縮めたりしている。
まさか両親が私の仕事に興味関心を持っていたなんて、思ってもいなかった。
「パパね、それを万里ちゃんにやらせたくて、板倉さんにいろいろ指示出していたもの」
「指示?」
「そうよ。『いくらで落とせる』とか『競合はどことどこだ』とか、もう、具体的な名前は忘れちゃったけどね、パパは万里ちゃんにその仕事をやって欲しくて、必死で根回ししてたわよ」
母は面白そうに笑っているけど、これはちっとも笑えない。
入札の情報を父が板倉に漏らしていたという証言なのだから。
「お母さん、それって証拠とかある?」
「証拠?ないけど、証言ならするわよ。私が証人になってあげようか?」
母は井戸端会議のようなテンションで、事の重大さが分かっていない。
これが世間に知られれば、板倉を社会的に抹殺できるかもしれないが、同時に父の政治生命も断たれるのだ。
「うん。いざと言う時にはお願いするかも」
私は母に勘づかれないよう、極力軽いノリで返事をした。
眠れなかった。
お腹の子のことを思えば、睡眠不足などよくないとは分かっていたけど……
5年前のデザインコンペの勝利が私の実力ではなく、父と板倉が図った不正によるものだと知り愕然とした。
今回のコンペに父は関与していないと信じたい。
私の方には連絡は来ていないし、板倉に勝たせる義理もないだろうし……。
板倉は、ひょっとして父が私に加担していると踏んで、市役所に変なリークをしたに違いない。
『貴島市長が娘さんであるあなたに入札情報を事前に漏らしたとリーク情報が入りまして』と、入札担当の小森さんはおっしゃっていた。
もちろん、これに関しては滝岡社長の言う通り、痛くもない腹を探られたところで……って話なんだけど……
田所さんに伝えれば、訴訟に有利になる情報だ。
だけど、父の不正も同時に暴かれ、市長を失脚させられるだろう。
「たっちゃんならどうする?」
お腹に手を当てて聞いてみる。
「どうしたんですか?」
出社してきた柏木さんが声を掛けてくれた。
「ううん。なんでもない。おはよう」
言えなかった。
私を信じて、一緒に……ううん……私以上に頑張ってくれている柏木さんを裏切ってしまった気がして、後ろめたくて合わせる顔がない。
RRRRR……
電話が鳴ったので、私が取った。
「はい。株式会社ティー・ヴェルスの南原です」
『あ?南原?俺、田所だけど』
「おはようございます。どうしましたか?」
『会社に電話してごめんな、もう、弁護士との電話代がやばくって、携帯代も板倉の慰謝料請求に上乗せしていい?』
「ははは、いいんじゃない?そうしなよ」
『ま、馬鹿話はこのくらいにして、と。弁護士といろいろ話したんだけど、あ、今いい?話せる?』
「うん、大丈夫」
『訴訟はできるにはできるらしいんだけど、勝てるかと聞かれれば、難しいってさ。ま、思ってた通りの反応だよな』
「そうだね」
『そんでさ、南原、なんかいいアイディアない?例えば、板倉が会社を通さないでバックマージンもらってたとか、そういうの知らないか?』
「バックマージン……」
会社に入る契約金とは別に板倉が個人で私服を肥やしていた事実を探しているのね。
『あ、ごめん、俺、行かなきゃだから、また電話するわ。南原さ、過去の記憶辿って思い出しといてよ、じゃな』
田所さんとの電話は突風のようだった。
「万里江さん、大丈夫ですか?」
「うん」
「本当ですか?顔色が悪いですよ?」
滝岡社長がやって来た。
「本当だな、南原さんは今日は帰った方がいい。体に大事な時期だから、くれぐれも無理はしないで。後は柏木が一人で何とかするから」
「もぉ!社長ってば、私に頼り過ぎじゃないですか?ランチくらいご馳走してもらわないと割に合いません!」
「酒飲まれるとあれだから、夜は嫌だけど、ランチでいいなら昼どっか行くか?」
「え!いーんですか?前から行ってみたいお店があるんです。予約していいですか?」
「ちゃっかりしてんな。14時に来客があるから、それまでに戻れるようにしてくれよ」
このお二人を見ているとほっとする。
私もたっちゃんもきっとこんな風に会話を交わしていたんじゃないかな、と想像して、ちょっと泣きたくなった。
「すみません。それでは、今日はお言葉に甘えて早退させていただきます」
「分かりました。送って行けなくて悪いんだけど」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
鞄を持ってオフィスを出た。
駅まで母に迎えに来てもらう。
「万里ちゃん、大丈夫なの?」
「うん。ちょっと寝不足で……帰ってもいいって言ってもらえたから早退してきた」
助手席に座ってシートベルトを締めた。
面と向かって聞けない事を、車で前を向いている時に聞きやすいと思うのは私だけだろうか。
「お母さん、あのね」
「うん?」
「昨日の話なんだけど」
「昨日の?」
「お父さんが入札の情報を板倉に話していたって」
「ああ、証言台に私が立つって言った話?」
「そう。それなんだけど……」
「どうしたの?」
「その話で、立場がまずくなるのって、板倉だけじゃないんだよね」
「……」
「お父さんも情報を漏らした側の犯人って言うか、責任を取らされると思うの」
「責任?」
「うん。さすがに市長ではいられなくなると思う」
黙ってウィンカーを出し、母はいつも通り慎重に運転をしてくれている。
「だから、ママに黙っていろと?」
母がどんな顔をしているのか見たくなった。
「万里ちゃんは、パパを守りたいの?」
母は声色一つ変えずに言っている。
「不正を知ってて黙っているのは、ママも万里ちゃんも共犯になるんじゃないの?」
母はどんな気持ちなのだろう。
「知らなかったふりならいくらでもできるけどね、その方が面倒なことにならないし、楽だものね。だけど、本当に自分がそうしたいのでなければ、ママはもう黙ってはいないわよ」
信号で止まり、こちらを見た母の目が私の目の芯を捕らえた。
「万里ちゃん、達夫さんに恥ずかしくない生き方をしましょう?」
急に涙が溢れて、熱い雫が何粒も手に落ちた。
「達夫さんにも、お腹の子にも、胸を張って頑張ってますって言える生き方をしましょうよ、ね?」




