28,味方
今日は覚悟を決めて出社した。
滝岡社長と柏木さんに言わなければならないことがある。
RRRRR……
電話を取った柏木さんが、私に言った。
「万里江さん、お電話です。市役所の小森さん」
入札のコンプライアンスの調査をしている担当者だ。
受話器を置いた柏木さんに、こう返事をした。
「申し訳ないんだけど、折り返すと言ってくれる?そしてちょっとお時間くれないかな」
電話を切った柏木さんと滝岡社長に応接室に来てもらった。
心臓が弾け飛びそうなほどドキドキしている。
「一身上の都合っていうのかな……退職させてください」
二人の顔を見ていられなくて、お辞儀をして誤魔化した。
「え!なに言ってんですか、急に!そんなの駄目ですよ、ね?社長!」
「ああ。一身上の都合って……もしかして、俺のせい……だったりする?」
「いいえ。違います」
私が告白を断ったのが気まずくて退職を申し出たのだと思われては困る。それは違う。
「じゃ、私?私の嫉妬がうざくて嫌になっちゃったとか?」
「まさか、それも全然違うから」
とりあえず座っていただき、事の経緯をお話ししなくては。
「さっきの市役所の小森さんは、私が父から入札情報を不正に入手したんじゃないかって調査をされているの。父が市長だからってだけで、そんなの出来るわけないのに」
「だったら、別にいいじゃないですか。万里江さんが会社辞めることなんてなくないですか?」
「うん。それがね、私の以前の勤め先からの嫌がらせなんだよね……それで当時の同僚と一緒にその上司を訴えようかと思っているの」
「へ?」
「驚くよね。訴訟になるかはまだ分からないんだけど、気にしてるのはそっちじゃなくて……」
滝岡社長が大きく息を吸って吐いた。
「どんな理由であれ、今、会社を辞めるのは得策じゃない。出産を控えているんだ。こんな時に手放していい福利厚生じゃないだろう?」
「はい。そうなんですけど」
「なにが気になるんだ?」
「板倉の更なる嫌がらせと、入札資格のはく奪です」
柏木さんがはっと息を飲んだ。
「おそらくそんな事態にはならないと思っています。だけど、万全を期したいんです。今回のデザインを世に出すために公正な競争で闘いたいんです。私が関与していることが原因で、舞台から降ろされるのは嫌なんです。コンペは会社の名前で参加しているので、私がいなくてもいいはずです。柏木さんに主担当となっていただいて、私はフリーランスでいいから、もし……勝ち取れたら、携わるだけでも構わないから……」
ずっと考えていた。
5年前、もし、私がデザインを消去しなければ、それは私の名前でなくともデータは生かされたはずだ。
板倉の名前で作り変えられた似て非なるデザインが、私のに成り代わることはなかったはずだ。
悔しかった。
だから、今回は……
「私は表舞台から消えて構いません。だから、どうか、コンペを乗り切るためにお力をお貸しいただけませんか?」
縋るような気持ちだった。
これは、この会社の本来の業務ではない。
滝岡社長の好意と、柏木さんのボランティア精神で実現した挑戦なのだ。
「勝手を言ってすみませんが、私は退職させて頂いて、フリーランスとして引き続きお仕事をさせてもらえたらと……」
「悪いが、俺は断る」
そう言って滝岡社長が席を立った。
「万里江さん、私もお断りさせていただきます」
柏木さんも滝岡社長の後を追った。
応接室に一人取り残され、胸が潰れそうに痛かった。
「やっぱり、都合が良過ぎたよね」
お腹の子に語りかける。
本業じゃない面倒な事を押し付けて、自分だけ蚊帳の外で応援してるなんて、そんなの許されるはずが無かったんだ。
コンペは今回だけじゃない。
そう言いながらも、もう将来、こんな挑戦の機会はやってこない気もする。
残念だけど、一生懸命やった結果だから……
たっちゃんだって分かってくれるよね。
大丈夫。
涙は出てない。
私も自席に戻った時だった。
「株式会社ティー・ヴェルスの柏木と申します。小森様にお取次ぎ願えますか?」
柏木さんの声が聞こえてきた。
「南原は体調が悪く、本日はお休みを頂いております。代わりにお話を伺います。はい……はい……はい……」
メモを取りながら、柏木さんは額に流れる汗を拭った。
「はい……違います。ですから、今後は私を通して頂ければと思います。はい……メインで担当しているのは私ですので、はい、では、よろしくお願いいたします」
柏木さんは受話器を握りしめたまま、しばらく固まっていた。
「万里江さーん!」
泣きそうな柏木さんに、滝岡社長が拍手を送った。
「頑張ったじゃないか!」
「しゃちょー、超ドキドキしたんですけど、私、嘘ついちゃったし、なんか偉そうに……」
「嘘じゃないだろう?柏木がメインで頑張るって、自分で言い出したんじゃないか」
「だってぇ、そうしたら万里江さんが喜ぶって、社長が言うからぁ」
「俺のせいにすんなよな。そもそもデザインコンペに関わりたいって言い出したのも柏木だろ?責任持って最後までちゃんとやれ」
「はーい」
ポカンとしている私に、滝岡社長が言った。
「退職は認めない。だがあらぬ疑いでコンペに不利になるのは俺だって嫌だ。社名が出てるしな、汚名を着せられるのはまっぴらごめんだ。だからこそ、正々堂々と闘おうじゃないか。痛くない腹を探られたところで、どうせ何も出て来やしないんだ、な?そうだろ?」
あぁ、駄目だ。
せっかく堪えてた涙が、溢れて止まらない。
「万里江さん、泣くとこじゃないです。泣いてる場合じゃないんですよ。広告の締め切り迫ってるんですから!」
柏木さんが袖で目を擦りながら言ってくれた。
「うん。そうだよね。ありがとう」
ありがとう、本当にありがとう。
ぼんやりとした頭で帰宅した。
玄関を開けると、母の怒鳴り声が聞こえてきた。
「嫌です!もう電話してこないでください!」
こんな大声も、語気が強い言い方も、私の母のイメージではなかったので驚いた。
スマホをテーブルに伏せ、直立したまま、足をドンと床に叩きつけた。
その子どもみたいな怒りの感情の表現に少し笑ってしまった。
「なにプリプリしてるの?」
「あら、万里ちゃん、お帰りなさい」
母は知れっとエプロンで手を拭いながら、台所に立った。
「誰から電話だったの?」
一人しかいないのは分かっている。
だけど本人の口から吐き出させてあげたい。
「パパよ。早く帰って来なさいってうるさいの。何様だと思っているのかしら。私、しばらくこうして別居するつもりよ。そして、選挙はもう手伝わない、だけど、離婚はしてあげないわ」
「そうなの?離婚したら、それはそれですっきりするんじゃないの?慰謝料とかもらえるし」
「嫌よ。だって、あの人に『私がいないと困る』って思わせることに意味があるんだもの。そもそもいなくなってしまったら、また別の人と結婚しちゃうかもしれないじゃない?私の代替えが来たことで、何の苦労も感じなくなったらつまらないじゃない?」
まさか、母がそんなことを考えていたなんて。
父の言いなりになることを美徳と思っているのかと思っていた。
「お母さんの人生だもの、好きにしたらいいと思うよ」
「そうよね。どうして私は今までそう思えなかったのか、自分が不思議でならないわ」
「ねぇ、お父さんって自分で電話かけてくるの?」
「そうよ。電話だとしおらしくて……同情を誘ってるつもりなんでしょうけど、その手には乗らないわ。『由紀子、頼む』って土下座してもきっと許さないわよ」
母の決心が私の想像以上で、その頼もしさに感動を覚えた。




