27,かつての同僚
「あら、万里ちゃん、その顔どうしたの?」
まさか、柏木さんの思いに感激し、なかなか泣き止めませんでした……とは言えない。
「大丈夫。何でもない」
そう言い残し、二階に上がった。
私の物はあまりなくて、たっちゃんが使っていた箪笥や机の一部に置かせてもらっている。
机の引き出しを開け、実家から持ってきた組木細工の小さな箱を取り出した。
中にはUSBメモリが入っている。
こんな事もあろうかと、データをバックアップしていたわけではない。
私はただ、一生懸命作った思い入れのあるデザインを、この世から消し去ってしまうのが嫌で、記念に手元に残しておきたい……そんなつもりで取っておいただけだ。
今日、田所さんから集団訴訟の話を聞くまで、この存在を意識したことはなかった。
パソコンに差し込んで、フォルダを確認する。
5年前、必死で考えたデザインを改めて見ると、その時の熱い思いが蘇ってくる。
コンペに出すデザインを選出するのに、私たちは社内コンペを行ったので、田所さんとは同期でありライバルでもあった。
僅差で私のデザインが採用されたけど、田所さんは快くサポートに回ってくれたんだったな……
あの頃の、仕事とかプライベートとか関係なく、携わることの全てに全力を注いでいた時のことを思い返すと苦しくなってくる。
いい思い出のはずなのに、思い出したくないような……いい気分ではない。
板倉のせいもあるだろう。
父の影響も少なからずある。
だけど何より、『自ら選んでやっているようで、実は選ばされていた』という、自由の皮を被った不自由さに気付いてしまったからだと思う。
心を壊した私はその原因について理解ができず、ただ、ぼんやりと鈍った頭で『何かが違う』と思っていた。
たっちゃんが、たっちゃんと過ごした時間が、私にこれを気付かせてくれたんだ。
このもやもやする、後悔のような気持ちに蓋をして、見て見ぬふりを通すのはよくない。
きっと、向き合った方がいい。
たっちゃんなら、応援してくれる。
正直、板倉のことなんて少しも考えたくないし、接点なんて持ちたくない。
だけど、田所さんが電話をくれたのも、たっちゃんが繋いでくれた縁のような気がして、たっちゃんが背中を押してるんじゃないかって気がして……
「万里ちゃん、お夕飯できたけど?」
下から母の声が聞こえてきた。
「今、降りる」
私はUSBメモリを鞄にしまった。
「お久しぶりです」
指定された飲食店に入ると、田所さんの向かいに三森さんと山崎さんが座っていらした。
退職してから一度も会っていなかったけど、皆さん、お変わりなかった。
フレンチ居酒屋のようなところで、奥まった4人掛けの席、私は田所さんの隣に座った。
「とりあえず、先に頼んじゃったんだけど、貴島さんどうする?お酒飲めたよね?」
「あ、ごめんなさい、今、妊娠してて、お酒は控えてるの」
「えっ!」
三人の男性にジロジロと見られる。
「うん。実は名字も貴島じゃなくて、今は南原なんだ」
「へぇ、知らなかったなぁ」
少し微妙な空気が漂う。
ここにいる人達は、私と板倉の関係も、心を病んで退職をしたことも全て知っている。
「あのね……いろいろあったんだけど、主人と出会って、私、変わったから、もう大丈夫」
「いくら何でも板倉と対峙するのは?妊婦には負担がでかいんじゃないか?」
いつも寡黙な三森さんが言葉を発した。
「大丈夫、問題ない。実は私も板倉からコンペの邪魔されて困っていたの。今、お世話になっている会社の為にも、一矢報いたい気持ちがあって」
「ならいいけど。証拠がない状態での『言った言わない』だから泥試合になると思うよ」
ここにいる皆、デザインを板倉に持って行かれた被害者だ。
『個人名で勝てるわけがない』『会社のブランドなしには価値がない』など、尊厳を無視するような蔑まれた口調で言われ、挙句の果てには『恩知らずの出たがり』と罵られて傷つけられた。
「私、証拠になるものを持って来たの」
「そんなのあるのか?」
向かいに座っている山崎さんが身を乗り出した。
「私が作ったオリジナルデータがあるの」
皆、絶句していた。
「ごめんなさいね、あの時は本当……」
私が会社からデータを消したせいで、あの後、社員総出でデータの復旧に努めたと聞いている。
もちろん復旧は不可能で、似たようなデザインを一から作り直すしかなかったらしいのだけど、コンペで受注した後だっただけに、雰囲気が異なると違和感が残り、困っていたはずだ。
今さらだけど、あの時の大変さを想像して頭を下げた。
「いやー!マジかよー!」
と、田所さんが大きな声で言って、パチンと一発、手を叩いた。
「やるなぁ!さすが貴島さんだなぁ!」
と、三森さんが笑いながら言っている。
「今は、南原さんですよね。そのデータ使わせてもらって構わないんですよね?」
と、山崎さんがメガネをくいっと上げながら言った。
「怒ってないんですか?」
「そりゃ、大変な目に遭わされたんだから怒ってないわけじゃないけど、貴島さんが一番の板倉の被害者だし、今となってみれば、そのデータのお陰で板倉をぎゃふんと言わせられるんだ、許してやるよ、な?」
「田所さん……三森さん、山崎さん……ありがとうございます」
「南原さん、俺達はこれから弁護士に相談しに行くけど、一緒に行くか?体調に響くといけないから、任せてもらえるなら、話し合いは俺達で進めても構わないけど?」
少し迷ったけど、体調第一だ。
「……お願いしてもいいでしょうか。仕事もあって、それは皆さん同じでしょうけど……ちゃんと行けるか自信がなくて」
「任せてくれ。ま、そもそも訴訟が成立するかどうかも分かんないんだ。もし訴えが通っても勝てるとは思ってないよ。それが俺達サラリーマンのサガだしな」
「そうそう、田所の言う通り。会社員のデザインは会社の物だ。だけど、デザイナーの気持ちを踏みにじられたのが気に入らねぇ。エリート面してる板倉の顔にちょっと泥塗ってやるくらいのつもりでな」
三森さんも、そうとうご立腹だ。分かる。
私たちの腸が煮えくり返るような気持ちを、ただ表に吐き出したいだけなんだよね。
「では、お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。何かできることがあれば、その時は参加させてもらいます」
その後は、それぞれの今の職場のことや、プライベートの悩みなどを話して過ごした。
「ただいま」
家に誰かいるという安心感がこれ程までとは知らなかった。
「万里ちゃん、お帰りなさい」
手を洗って仏壇の前に座り、今日のことをたっちゃんに報告する。
「一緒に働いてた頃はね、皆、自分のことでいっぱいいっぱいで、相手のことなんてちゃんと見てなかったの。でも、今日は、久しぶりに会ったのに違ったよ」
母が麦茶を持って、お盆に乗せたまま畳に置いてくれた。
「たっちゃんが皆のオフィスに求人がないか聞いてくれたんだってね。たっちゃんが亡くなったって言ったら、皆、驚いてたよ。信じられないって……それは、今でも、私もそうなんだけど……」
無意識にお腹に手を当てていた。
「ちゃんと産んで、大事に育てるからね」
先日の検査で、男の子だって言われた。
「予定日は9月9日だよ」
それは、たっちゃんと知り合った時期だ。
「まだ知り合って1年も経ってないんだね。なんかもう、何年も一緒にいたみたいな気分だよ」
足を投げ出して、麦茶を飲んだ。
「ねえ、たっちゃん、愛してる」
「私、ずっとたっちゃんのこと愛してる」




